文学

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全27ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

2011年の本

 
 
イメージ 1
 
 
 あけましておめでとうございます。
 この一年を振り返ると、加齢のための体力低下に加え、身内に不幸があっ たり、また 合唱団に入団したことなどで、ブログの時間とエネルギーが かなり制約された年でした。
 
 一年を振り返り、読んだ本などを思い出してもかなり読書量が落ちたのは 慙愧に耐えないことでした。
 今年はもう少し読書の「質」を大切にして量は多くなくても、よい本を見 つけていきたいと考えています。そんなこんなで、2011年は以下のものが 印象に残りました。
 
    「弦と響」小池昌代著 (光文社)
解散コンサートの弦楽四重奏団、時間、老い、喪うこと、そして愛。
表現することの不確かさ、「今」という瞬間だけでなりたつ音楽を通して、人の営みの不思議が香り立つ。
 
    「短編集」−柴田元幸著 (ヴレッジ・ブックス)
「箱」という概念をモチーフとして、若手、書き盛りの作者を集めた実験的な短編集。
小川洋子さんも名を連ねた作品群の中でいちばん光っていたのは、小池昌代さんの作品だった。
 
    「紅梅」 津村節子 (文芸春秋社)
「紅梅」は小説家の吉村昭さんが舌癌に冒され亡くなるまでを、妻の津
村節子さんが夫の死後約5年経って書き上げた作品で、今年の純文学を  代表する作品である。
息もつかせぬ緊迫した描写、癌という異界のものと闘う人間と、強い個性をそれぞれ持ち合わせた夫婦の繋がり、すれ違い、周りの人々との関係などが綯い交ぜになって迫る。カテーテルを引きちぎり背を向ける姿に、妻は取り返せない悲しみを感じたようだが、それはぶっきらぼうな夫の最後の愛情表現であることが読む者に伝わる。人に甘えることを良しとしなかった吉村昭という人を妻は愛情をこめて書き残した。
 
    村上春樹「雑文集」 (新潮社)
    「おおきなかぶとむずかしいアボガド村上ラヂオ2」(マガジンハウス)
「1Q84」第3巻を書き上げた村上氏は、少しほっとして肩の力が抜けたらしい。
あえて、原発への独自のコミットメントが示されるなど、今までにないフットワークを感じさせた。
2011年はそんな村上氏のエッセイ集などがファンを拡大していった年だったと思う。
とくに後者のエッセイ集は、大橋歩さんの美しい挿画の魅力も寄与して、作品を貫く「ゆるさ」みたいな部分が的確に効果を出しているのが印象に残り、だけどいざという場面になると、心に深く届く表現に圧倒される、いわば円熟の仕事と思わされた。
 
    「小澤征爾さんと、音楽について話をする」 小澤征爾×村上春樹 (新潮社)
小澤さんと村上春樹さんのクラシック音楽に関する対談集。
小澤さんの娘の征良さんが、村上春樹氏の夫人の陽子さんと大の友達(あとがきより)
だったことで、二人の交友関係が生まれる。
 小澤さんの京都の音楽塾に村上氏が訪ねたりして交友を深め、雑談の中で村上氏のクラシック音楽での理解の深さに小澤さんがおどろき、こういう一冊が実現して行ったようだ。カラヤン、バーンシュタインなどの指揮者のことや、作曲家のマーラーがどのように世界に受け入れられて行ったかなど、興奮に満ちた稀有な対談集に結実した幸福な一冊である。
 
    「アゲハ蝶の白地図」(五十嵐 邁著、世界文化社2008年)
NHKTVで11月に、ブータンの奥地に棲息する「ブータンシボリアゲハ」という
まぼろしの蝶を追跡する番組があった。
蝶に関する学術的研究に関心を覚えたところ、偶然図書館で見つけた一冊です、
ブータンシボリアゲハに限らず世界の蝶の魅力について、アジアを中心としてフィールド調査をかさねた、建設会社重役兼日本鱗翅学会理事の著者が著した魅力満載の
一冊で、掛け値なしで面白かった。
新種の最初の捕獲をいつも同行の奥さんに先んじられた著者は、実は遠征のときは新婚で、新婚旅行を兼ね奥さんを伴って意気揚々と現地に乗り込んだものの、新妻にいつもしてやられたというオチが、悔しさとものろ気とも受け取れるなど、まったく人間的で爽快な読書を楽しめる。
 
    「持ち重りする薔薇の花」 丸谷才一 (新潮社)
申すまでもなく、昨年文化勲章を受章された丸谷さんの最新作。
カルテットとは4人で薔薇の花を持つようなもの、もちにくいぞ・・・  大変だぞ!
 「『持ち重りする薔薇』とは芸術のことでもあり、人生そのものでもあ  る」らしい。夫婦をはじめ家庭の関係も、職場をはじめ社会的な人間関  係も、すべてが持ち重りするようなもの・・・。丸谷さんらしく全体小  説を目指された、音楽界、政財界、海外にわたる、一個人の愛憎から、  それぞれ世界をまたぐ意欲作。魅力なのは音楽とその世界での葛藤。
  大人のための大人による、逸品のワインを賞味しているような深い味わ  い。
  評価は分かれることだろうけれど、こういう味わいの小説は嫌いではな  いなあ。
 
 *今年は、現代詩にも少しこだわりたいと思います、どうか宜しくお願い  します。

開く トラックバック(1)

開高健のアフォリズム

イメージ 1
 
 開高健のTV番組、BSプレミアムの「開高健特集番組」が2日間にわたり放映されました。(22日、23日)。
 1ファンとして懐かしく、20年の歳月の速さを感じました。
 22日は見そびれたので、23日は気合を入れて最後まで見ていました。
 彼の最後の釣りの旅(カナダ)を徹底取材、編集したもので、バックペインと闘いながら釣りに没頭し、語り続ける姿が懐かしく、またときに痛々しくも感じられ、20数年の時間をタイムトンネルで潜ったようなひとときでした。
 
 開高健には、様々の側面がありましたが、言葉の魔術師としての彼を存分に発揮したものとして、アフォリズム・・・つまり日本語でいうと「箴言」がありました。
 言葉の歌舞伎役者のようなその内容は、このまま埋もれさせてはあまりにもったいない魅力を秘めています。
 そのジャンルの作家としては、戦前では芥川龍之介があり、戦後は三島由紀夫や寺山修司がダントツですが、最近あまり魅力的な箴言に出会うことが少なくなったのはなぜなのでしょう?
 番組ではアフォリズムにはスポットライトが当たらなかったので、一ファンとしては、開高さんのダンディズムを表す名言の数々をぜひご紹介をしてみたいと思うものです。
 
その1 STURDY TO BE QUIET
 
 アイザック・ウォルトンの名著『釣魚大全』の最後の一行を飾る言葉。小説家・開高健はこの一句を“静謐の研究”と訳してみたり、ときに“おだやかなることを学べ”と訳したりしている。『釣魚大全』の哲学は「この一語に凝縮される」とも書き残している。
 
その2 漂えど沈まず
 
 開高健が残した名言の中でもとくに人気の高い名言中の名言。
 彼自身の創作ではなく、パリが“ルテチア”と呼ばれていた頃から、《漂えど沈まず》がパリのスローガンであり、パリ市の紋章にその文言が記されているという。
 含蓄のある言葉で、いろいろな解釈ができるが、開高健は「男が人生をわたっていくときの本質を鋭くついた言葉ではあるまいか」と書き残している。
 ベトナム戦争を舞台とした『輝ける闇』、本人をして第二の処女作と言わしめた『夏の闇』、それに続く闇三部作の最後の作品の冒頭、1行目に《漂えど沈まず。》と書き留めたまま、開高健はその先が書けなくなってしまう。十数年間書けない状態が続き、書けないままこの世を去ってしまうのである。
未完の小説は『花終わる闇』。
『輝ける闇』『夏の闇』、そして『花終わる闇』の3作品を総称し《漂えど沈まず》」と冠される予定だったともいう。
 
その3 毒蛇はいそがない
 
「毒蛇はいそがない」は、「どくじゃはいそがない」と読むらしい。
 アラスカを皮切りに、地球をほぼ半周する釣りと戦争の取材旅行に出た開高健は、旅の終盤にタイを訪れる。ベトナム戦争の取材に備えてしばらく休養して気力の回復を図り、その間にベトナムのビザを入手するのが目的だった。
 そのタイで、タイの旧王朝の王族の一人、アンポール殿下と知り合い、殿下に誘われてアンダマン海(インド洋)に浮かぶライ島で釣り三昧の優雅な日々を過ごすことになるのだが、ある朝、釣りに出かけようとして桟橋を歩いているときに誤って踏み外し、5メートル落下して右足を骨折。地元の病院で全治3〜四カ月と診断される。それ以降のスケジュールをすべてキャンセルして東京へ帰らざるをえなくなった。
「夢中になって逃げだした東京へ私は帰らねばならない。懐かしさよりも憂鬱、愉しみよりは嫌悪、密よりも酸を抱いて、しかし、どこへいくすべもなく、帰っていかねばならない。この島へ来てからときどき東京を思いだして足もとからあぶられるようなことばを口にだす私をなぐさめて、殿下はタイの諺を一つさしあげましょう、これを心得ておかなければいけません、とつぶやいた。わがヤマタイ国ではどう実践のしようもないが、インキを新しくして書きとめておきたい。」
『毒蛇はいそがない』  
 
その4 ごぞんじ
 
開高さんの手紙の結びはいつも「ごぞんじ」。これは何か?
 古くから、艶書などで差出人の名前を伏せておく場合に「ご存知より」と用いた。これにならった開高流の結語。もっとも、彼の手紙はいずれも封書の裏面に自分の住所氏名を書いているので、名前を伏せているわけではなく、したがって、「ごぞんじ」と書くのは意味のないことなのだが、「あなたとわたしはちょいといい仲なのですよ」と匂わせようとする意図がそこにあったと思われる。もっとも、「ごぞんじ」の手紙をもらった人のどれくらいがその意図に気づいたかどうかははなはだ疑問ではあるが。
「艶書」はえんしょ、古くはエンジョ、エンゾともよみ、恋慕の情を書いて送る手紙。いろぶみ。けそうぶみ(懸想文)、恋文。
 
その5 悠々として急げ
 
人生こうありたいもの。   
この言葉は、「festina lente」。フェスティーナ・レンテーとはゆっくりといそいでという意味の言葉で、古代ギリシャの悲劇作家ソポクレスの作「アンティゴネー」の第231節に関わる語だそうである。 
 
その6 たとえ明日世界が滅びるとも、今日わたしはリンゴの木を植える
 
もともと宗教改革者のマルティン・ルターの言葉。あるとき彼は『もし明日世界が最期の日を迎えるとしたらどうしますか?』と聞かれ、こう答えた。『たとえ明日世界が滅びるとも、今日わたしはリンゴの木を植える』と。
 神学者はご存じなかったが、このマルティン・ルターの言葉、実は小説家のお気に入りの言葉。色紙などに、小説家はよくこの言葉を書いていた。
 ただし、小説家は、この言葉の主語をいつも変えていた。「あなたはリンゴの木を植える」、「キミはリンゴの木を植える」というように。
 何があろうと、「あなた」や「キミ」は今日と同じように暮らすのですぞ。静かなることを学びなさいよ。小説家はそういいたかったのかもしれない。
 あるいは「あなた」や「キミ」がいつも心穏やかにいられますように−−そんな願いを込めてこの言葉を書いていたのかもしれない。
 天国にいる小説家は、おだやかな顔をして今日もリンゴの木を植えているだろうか?
 
 
 ルターから艶書まで、開高さんは、地球を旅し、釣り、愛し、飲み、食べ、そして書いた。
 聖なるものから恋文へ、男女の機微から大自然の真理まで。そして圧倒的な大文学をめざした。
 「穏やかなること」を学びつつ。
 文学でいえば、志半ばだったかもしれない、しかし人間臭い圧倒的な存在感と、古今東西の巨大な博識と行動力で多くの人を魅了し、忘れられない記憶を与えた。
 大阪の下町の一少年は、そのまま世界の謎と魅力とよろこびと悲しみを陽気に賑やかに駆け抜けていったのである。
 開高健は永遠である!

イメージ 1

 「ミーナの行進」2006年 (小川洋子)

 『・・・1972年から73年にかけて、一年あまり過ごしたあの芦屋の家を、私は決して忘れることはできない。30年以上たった今は既に、家は跡形もない。
・・・しかし現実が失われているからこそ、私の思い出はもはや、なにものにも損なわれることがない。心の中では家はまだそこにあり、家族たちは死んだ者も老いた者も昔の
ままの姿でいきいきと暮らしている。
 私はそっと彼らの間をさ迷い歩く。なのに必ず誰かが私に気づき30年の月日などなかったように「なあんや、そのにいたん、朋子」と声をかける。「そうよ」と私は、思い出の中の人たちに答える・・・』
 このすぐれた作品の紹介にあたって、どのようにすれば意を尽くせるかとけっこう長い間考えたが、うまくいかなかった。
 以下に記す「小尾隆」さんという方のレビューを読み、その過不足のなさに脱帽した。
 「言葉」と「沈黙」との幸福な関係、共鳴、ひたひたと内側を満たし、深い井戸に木霊していくような静謐さ・・・などの文体解説。失われる記憶へのこだわり。
 全くの掟破りだけれど、小尾氏の紹介文を読んでいただくことがもっとも適切な方法だと結論するに至り、以下の魅力的にして示唆に富んだ解説をぜひ読んでいただきたいと思います。敬白。ネットでも最近すぐれた解説が増えました、「小尾隆」さんてどんな方?

 レビュワー/小尾隆
好きな作家を探し出すというのは読書の大きな楽しみのひとつだと思う。だから小川洋子という小説家を知ることは、読み手によっては無形の財産と呼ぶべきものなのかもしれない。そこには放たれた言葉と同じくらいの沈黙があり、それらが静かに共鳴し合っていく様を、まるで小石が投げられた水面を息を潜めて眺めるような、言葉と沈黙との幸福な関係を感ぜずにはいられない。饒舌な文体や大胆なプロットでめくるめくような別世界へと引き込んでいくようなタイプとは異なる。むしろ一点の染みが少しずつ広がり、やがてひたひたと内側を満たし、深い井戸に木霊していくかのような静謐さが、心を捉えて離さない。
そんな小川作品の場合、登場する人物にしても大向こうを張るような英雄的な人物は注意深く避けられ、一見何の変哲もない、しかし内面に奇妙な位相を抱えた人物が様々に立ち現れることは、ファンであれば先刻ご存じのことだろう。例えば『揚羽蝶が壊れる時』(89年)での痴呆症の祖母と精神を患ってしまった母や、『シュガータイム』(91年)に登場する過食症の姉と背が伸びない弟など、健常ではないもの、歪んだものにこそ目を向け、そっと照らし出すことは、ごく初期の作品からの特徴となっていた。そうした彼女の手法は、身体や記憶を次第に失っていく人々を、(ホロコーストを想起させる)記憶狩りの秘密警察と対比させながら描いた94年の優れた『秘めやかな結晶』によって壮大な世界へと羽ばたいていったし、何といっても03年に発表された普遍的な名作『博士が愛した数式』のことを語らずにはいられない。わずか80分の記憶しか続かないという障害のある老博士が、ふと出会った平凡な家政婦と、さらに彼女の息子と心を通わせていくこの邂逅の物語は、記憶するという営為にことさら心血を注いできた彼女ならではの一里塚だった。

けっして忘れないと誓った約束もいつかは時の流れのなかで忘れ去られていく。今この瞬間に焼き付けた鮮やかな風景もやがて色褪せていく。あらゆることは通り過ぎていく。そうした虚しさや残酷さを知れば知るほど、そして大人になればなるほど、小川洋子という書き手は記憶という回路を丁寧に紐解き、手の平に乗せるように慈しんでゆく。05年に新聞小説という形で読売の土曜版に連載され、06年に単行本となったこの長編『ミーナの行進』にも、そんな彼女の思いが溢れ出ている。

時は1972年春の芦屋。その町にある伯父の家へと、主人公の朋子という12歳の女の子が引き取られてくるところから舞台は始まる。朋子のもっぱらの友達は一学年下のミーナであり、この女子二人の交遊を軸に話は進められていくが、小川がいつも考慮する人物造型に関しては、このミーナにドイツ人の血が流れているということや、彼女が重い喘息を患っている“弱き者”であること、あるいはミーナの飼っている動物が犬でも猫でもなく、カバであることなどに見て取れるだろう。
さて、そんな病気もちで内気なミーナの密かな楽しみは物語を紡ぐこと。蒐集するマッチのラベルに描かれた絵ごとにイメージを飛躍させる文章を書き、それぞれのマッチ箱に保存していくミーナだが、その壊れそうな物語を劇中劇のように読んでいく展開がまた素晴らしい。

伯父の家に暮らす人々(と動物一匹)の表情も多彩でユーモラスだ。清涼飲料水会社の三代目社長となる伯父、叔母、ローザおばあさん、家事を仕切る快活な米田さんが、あるいはポチ子という名のカバが、ときに光となりときに陰となって、朋子とミーナの視界に出入りする。その家族構成の賑わいは、まだ日本にかろうじて大家族の名残りがあった時代の活気を伝えると同時に、家を留守にしがちな伯父の事情も仄めかされ、またテレビに映し出される映像は、あの忌まわしいミュンヘン・オリンピック事件をも言い含めている。

思えば朋子とミーナが心を通わせたのは、わずか一年間のことだった。だからこの本はきっと誰もが経験し、心の奥底に眠らせている幼少期を描いた“小さな物語”のひとつに過ぎないのだろう。しかし読み終えてからの余韻はむしろ大きく広がっていく。それはこの書が、三十年後の朋子による一人称によって進められるといったこと以上に、小川が秘めた記憶への意志のようなものが読み手を揺さぶるからではないだろうか。
文中で作者は「私の記憶の支柱と呼んでもいい」「過去の時間によって守られていると、感じることがある」と朋子に回想させている。そんな意味でもこの『ミーナの行進』は、小川洋子の自伝的な要素さえ感じられるとても素直な作品だ。一人の記憶の守り手が、この爽やかな郷愁に満ちた物語をそっと引き寄せ、沈黙する水面に小石を投げたのである。

 備考:小尾隆氏は1958年生まれで音楽著述業の仕事をされている、
    著作も多く、書評ブックレビューのサイトも持たれていて、才能ある
    文章を書かれる人だと思った。
    URLは、多分、
     
  http://bookjapan.jp/search/reviewer_detail.html?id=R47

開く トラックバック(1)

紅梅

イメージ 1

 先日、近所のかかりつけ医の先生のところに母の薬をいただきに行った。
 土曜日の午前なのに、めずらしく患者が一人もいない。
 60代後半の先生から声がかかり、診察室に入る。
 この先生の一族は、戦前から我が家と縁があり、うちの祖父が一家あげて神戸の御影に住んでいたころからの友人どおしという間柄である。
 あるとき宴席で、祖父と先生の父親が同席し、出された生牡蠣を食べた祖父が食中毒になり、チフスで急逝してしまうことになった。
同席した先生のご尊父はたまたま食べなかったため助かり、その後どちらの家も決して生牡蠣は食べないという家訓が生まれ現在に至っている。
私を招き入れた先生は、ゆるゆると文学談義をはじめた。
文学界5月号に掲載された津村節子さんの「紅梅」のことを熱心に話される。

「紅梅」は小説家の吉村昭さんが舌癌に犯され亡くなるまでを、妻の津村節子さんが死後約5年経って書き上げた作品である。
医師として患者や夫婦や家族のありようを数えきれないほど見てきた先生にとっても、それぞれが小説家という夫婦の病との闘いや、家族たちとの機微は深く心にとどいたらしく、あれこれと私に語りかけられ、時間があっという間に過ぎて。

という次第で、単行本になった「紅梅」を早速読んでみた。
息もつかせぬくらい緊迫した描写に引き込まれ、癌という異界のものと闘う人間と、強い個性をそれぞれ持ち合わせた夫婦の繋がり、すれ違い、周りの人々との関係などが綯い交ぜになって迫り、最後のほうは文字通り涙なしには読み通すことができなかった。

最後のほうで点滴のカテーテルを自ら引きちぎる夫の姿は、錯乱ではなく、強い意志で最後を自らの手で選んだ「人間の尊厳」を感じさせられたし、全体を通じて迫ってくる夫と妻の愛情の深さは、夫婦だけの神聖な領域であったことに感服した。
カテーテルを引きちぎり、妻に背を向ける姿に、作者自身は取り返せない悲しみを感じたようだが、それはぶっきらぼうな夫の最後の愛情表現であることが読む者に伝わり、人に甘えることを良しとしなかった吉村昭という人の真骨頂ではないかと思った。
葬儀のことなどの遺言の潔さなどなど・・・いつまでも深く重い感想が残る、夫婦の物語だったと思う。

朝寝の荷風

イメージ 1

 永井荷風が37歳から42年間書き続けた日記『断腸亭日乗』は、今なら毎日ブログを更新するようなものだと先日の産経新聞のコラムに書いてあった。
 それを真似したかのようなブログにヤフーの『断電池亭日乗』があると書いてほしかったが、なぜか書かれていなかった。

 本家の荷風は昭和34年4月30日の朝、自宅で血を吐いて絶命しているのが見つかったという。
 かつて「誰の死にざまに共感するか」というアンケートをとある雑誌が行ったところ、トップは荷風だったとのこと。
 時は変わり平成22年の国勢調査では、一人暮らしが3割を突破し、夫婦と子供の世帯を初めて上回った。
 荷風の朝食はココアとクロアッサン、料理もお手のもので若き日のフランスを思い出し、トマトにオリーブ油をからませる。
 「奇人」と呼ばれた荷風は2度の離婚をし、一人暮らしを楽しんだ。独自メニューの料理も得意としていた。
 今の女性は「これらができれば、結婚をする必要があるのかしら」・・・荷風のメニューは先駆的シンプルライフのレッスンだったのかもしれない。

 平成の独身女性たちが自分の暮らしをお手本にしていると知ったら、荷風はどんな顔をするのでしょうか?

 最近の新聞記事のもじりです、スミマセン!

全27ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事