伝統芸能・芸

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  ブログを始めてそろそろ5年。
 この時期には丹波篠山の春日神社で行われる「篠山春日能」を鑑賞するのが習いとなり、今年は連続5回目の鑑賞となりました。

 春日神社の能舞台は、国の重要文化財の指定を受けており、今年は舞台建立150周年記念というお能となり9日が開催日でありました。

 前日は雨、当日のお天気が心配されましたが祈りが神様に通じて、雨が上がり、昼ごろからは陽もさしてめでたく本来の能舞台での公演を楽しむことが
できました。
 市長さんのご挨拶の後、実行委員長の中西薫氏は東北大震災へのお見舞いといたわりの気持ちを言葉にされていました。

 記念の春日能の最初の演目は、名高い「熊野(ゆや)」。
 三島由紀夫も「近代能楽集」の中の一編として、採り上げました。

 登場人物は清盛亡き後の平家の棟梁、平宗盛と彼の寵愛を一身に集める熊野
(ゆや)。
 
 「熊野」は、花見をテーマとした春の気配溢れる逸品。「熊野松風に米の飯」
と呼ばれ、古来能の名曲とされているらしい。「松風」を秋の代表能とすれば、
春の代表はこの「熊野」であると言われる。
 たっぷりと演じられる、風格のあるお能だと思いました。
 平宗盛の妾熊野が、老母からの手紙に接してその病を知り、暇をもらって見舞いに帰りたいと思うのですが、宗盛は熊野を愛するあまりに手放すことができず、かえって熊野の気持ちを引き立てようと花見に誘います。
 親子の情愛と男女の葛藤という点でドラマ性を持ちながら、そんな部分よりもゆったりと進行するゆらめきのリズムの中にこそ、作品の命があるように、
誰しもが感じる作品。風格、品格が快い。

     
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 いかにせん、都の春も惜しけれど、馴れし東の花や散るらん

 いっぽう、宗盛ははじめは熊野の帰郷を許さず、「身勝手男」と一見思われます。

      
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 「この春ばかりの花見の友と思ひ留め置きて候」と宗盛の言葉の中にあります。
 「この春ばかり・・・」というのは、彼が代表する平氏がこの年を最後として、もはや都を落ちて修羅の巷に入らねばならぬ予測を持っていたからです。
 宗盛は悲劇を体現する存在であり、最後の花見に最愛の熊野がいないことは、
耐え難いものだったはず・・・。
 しかし熊野の「いかにせん・・・」の和歌に感じ入った宗盛は熊野の帰郷を許します。大急ぎで帰国の途につく熊野、舞台中央に宗盛が立ち尽くす最後の場面は哀しく美しいと感じさせられました。

        
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 人間国宝だった茂山千作氏の孫に当たる茂山茂さんが主役を勤めた、軽妙な
狂言「伯母ヶ酒」のあとは、お能「土蜘蛛」。あまり見ることが少ないお能の作品だそうだ。

 この物語の主人公は源頼光。
 病気の頼光の元に、侍女の胡蝶が薬を持って見舞いに来る。

          
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 色を尽くして夜昼の、色を尽くして夜昼の。境も知らぬ有様の・・・。

 胡蝶は気弱になっている頼光を励まして退場すると、そこに誰ともわからない怪僧が現れ、

 我が背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛のふるまひかねて知るしも

 と古歌を詠ずるや頼光に蜘蛛の糸を投げかけ、頼光が太刀を抜いて斬りかかると怪僧は姿を消す<中入り>。

           
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 駆けつけてきた武者たちに頼光は一部始終を語る、武者たちは流れた血を追って古塚に行き当たる。それを崩していると中から蜘蛛の精が現れ、蜘蛛の糸を投げかけるが武者たちはやがて斬り伏せて都に帰るのでした。

            
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 「土蜘蛛」はお能の中でも最も派手な演目と言われます。何度も投げられる蜘蛛の糸のスペクタル的要素とエンターテイメント性は際立っていて、強い印象を与えます。

 この一見わかりやすい演目には、しかし古代の深い世界が垣間見える部分があり、謎の存在を強く示唆しているようです。
 後シテが登場する際の謡には大和朝廷に対立し敗れていった「まつろわぬ民」
の記述があり、それらの人々の総称が「土蜘蛛」という名となっていった流れが感じ取れます。
 
 鮮やかに投げられる蜘蛛の糸はひとつ1200円はかかるそうで、その経費面でも際立っているそうですが、なかなか奥深い歴史を秘めた作品であることが面白かったです。

 お能が終了するともう夕方。桜はまだ満開には早く、例年のように花びらが
能舞台に降りしきることはありませんでしたが、天気が回復した篠山盆地にも
春がようやくやってきました。

 被災地の春の一日も早い到来を祈りたいものです。
 

桜の花の絨毯

            
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 今年も篠山春日神社の「春日能」が、桜がちょうど満開の昨日10日開催されました。
 ブログ開設から4回連続の鑑賞となる今年もさいわい天候に恵まれ、参加者数も昨年より格段に増加してますますの賑わいを見せました。
 
 今年の演目は、能「楊貴妃」、狂言「清水」、そして最後が能「鵺(ぬえ)」となっていました。
 
 「楊貴妃」はいわゆる三番物(蔓物)と呼ばれる、女性が主人公となるもの、「鵺」は五番物と呼ばれ人間以外の動物や妖怪などが主人公になるものだそうです。
 演者も順に梅若万三郎さん、茂山千五郎さん、大槻文三さんという関西のトップの方々がシテ(主役)を勤められました。

           
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 今年はバスツアーで訪れた方々も多く、例年より観客が100人ほどは多い盛況振りで、華やかな和服姿の女性の団体もいらっしゃって雰囲気もたいそう盛り上がりました。

 能の知識も生半可なので、今年もただただ満開の桜を愛でながらいにしえの人間や歴史の雰囲気を味わい、空を渡る雲や鳥たち、そして丹波路の午後の空気を身体に浴びて日常の時空からのタイムスリップを楽しむという私のスタンスは幸か不幸か変わりがありません。

 遠来からわざわざ来られた多くの観客の方々にとって、今年は春日能の醍醐味を十分に味わっていただける公演となり、毎年素晴らしいのですが今年はまた格別の味わいを楽しめたことは特筆すべき結果だったと思います。


          
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 今年の格別の味というのは、「桜」がまさに主役となったこと。
 能舞台の脇と正面に位置する桜がちょうど満開でしたが、一番目の「楊貴妃」の途中からほどよい風が舞台に向かって吹き出すと、しばらくのうちに能舞台の床全面が桜の花びらで覆われ、花びらの絨毯のようになりました。
 その中を面(おもて)を付け、頭に輝く飾り物を施した楊貴妃が舞い語るさまは、この世ではなくこの時間でもない特別で例えようのない光景となりました。
 観客たち全員がその雰囲気に打たれて、舞台と溶け合い主客一体の世界が現れて、すすり泣き目頭を押さえる人達で会場が包まれました。
 演者は桜吹雪と花びらの絨毯の別世界で舞い語り続け、楊貴妃の後半はずっとそのような、彼我が溶け合った見るでもなく聞くでもない感情そのものが目の前にある状態だったのです。
 それに近いことは幾度か、優れた芸術空間で経験したことはありますが、昨日の楊貴妃のような完璧な体験を味わったのは初めてでありました。

          
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 昨日鑑賞できたすべての方々は、昨日の光景(記憶)をおそらく忘れられることはないと思われます。
 なお、三番目の演目「鵺」では、桜の絨毯は掃き清められてしまいましたが、
楊貴妃の感動の余韻が支配しており、その舞台も特に源三位頼政と鵺の二役を演じられた後シテ(?)の硬質な語りが、舞台を引き締めて素晴らしいものであったと思ったことを付記したいと思います。

 自然の中でのお能の力の本領をまざまざと経験できる篠山春日能。
 来年は、能舞台が完成してからちょうど150周年を迎えるのだそうです。

 未体験の方々、来年はどうか桜が満開となる4月9日(土)午後1時から開催される150周年記念公演にぜひともおいでいただき、お能という奇跡を共に味わってみられませんか?!

 
 
 

春日能

 今年の桜は、輝くばかりの晴天と共に満開を迎えました。
そんな一日、恒例の篠山春日能が土曜日に催されました。
 
 今年は丹波篠山城築城400年目に当たるそうで、素晴らしい天候の中、演目も「羽衣」、狂言「千鳥」、それからお能に戻り「安宅」という構成でした。

 400年記念能ということもあって、観客数も多く盛況で後半は風に舞う桜の花びらの中での公演となり、贅沢なひとときでした。
 キャストも羽衣の梅若吉之丞、千鳥の茂山千五郎、安宅の大槻文蔵さんなど、
関西では最高の配役となっていました。
 
          
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 「羽衣」はシンプルで気品のある舞台でした、前半のシテの衣装がなんとも言えず素晴らしい意匠でした。
 そして羽衣の舞は、序から少しづつ破へと高まっていきます。
 三保の松原の松の枝に色香も妙なる衣がかかっているのを漁師が見つけ、家の宝にと持ち帰ろうとすると、天人が現れ、返してくれと頼むが漁師は断る。
 天上の世界に返れなくなった天人は空を仰ぎ嘆き悲しむので、あまりに痛わしく、羽衣を返し、天人の舞楽を舞ってほしいと頼むと、天人は喜び羽衣を着て、日の本の国を寿ぎながら数々の舞を披露し、数の宝を地上に降らして富士の高嶺に飛び去る・・・というお話。能面をつけた、蔓物と呼ばれるジャンルの作品です。
          
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 狂言の「千鳥」は、ツケがたまっている酒屋から、なんとか酒をさらにせしめようとする太郎冠者と酒屋の主人のやりとりが軽妙な作品。笑いが会場いっぱいに広がります。

          
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 そして「安宅」は、歌舞伎18番?にも入っている、修羅物の名作。
 「旅の衣は篠懸(すずかけ)の・・・」で始まる謡の節回しは誰もが聞いたことのあるお能です。

          
          
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 兄頼朝と不和になった義経と弁慶はじめ12人のつくり山伏が、奥州の藤原氏を頼って、加賀の安宅関に差し掛かると、関守の富樫が一行を待ち構えていて、山伏だけは通せぬと言う。やむなしと一行は最後の勤行をするので、感じ入った富樫が東大寺大仏供養の勧進帳を読み上げよと問い詰めると、とっさに弁慶が一巻の巻物を開いて朗々と読み上げる。恐れをなした関守たちが一行を通そうとすると、末尾にいた、笈を背中に負い菅笠と金剛棒をついてよろよろと歩く強力に不審を抱いた富樫が止まれと命じる、とっさに弁慶がその山伏を腹立たしいと打ち据えるのだったが・・・。

           
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 春日能は三回目でしたが、今回はどれも並々ならぬ迫力と演技がいつにも増して素晴らしく、お能はそれぞれ1時間半たっぷりと演じられ、これまでで最高の出来栄えと感じられて、たいへん満足でした。
           
           
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 好天の中のお能は、今年も風に桜の花が舞って舞台に降り注ぎ、風が通り過ぎ、鳥のさえずりが聞こえます。

           
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 周りの自然がお能と一体になって、遠い過去の世界をまざまざと時を超えて能舞台の上に浮かび上がらせます。
 それを体感していると、その美しさに喜びと同時に、切ない悲しみのような感情がないまぜになって沸いて来て、どういうわけか目頭が熱くなってしまうのでありました。

 会場外に出ると、なんと400年を記念して篠山にも「ゆるキャラ」のマスコットがお目見えしていて、ひこにゃんの向こうを張って「まるいの」(丸い猪の意味?)のキャラクター着ぐるみが登場し愛嬌を振りまいていました!

           
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 なかなか可愛い仕上がりで、ひこにゃんに負けないかも!
 写真でご覧のとおりです♪

能とは「風」である

 今年も篠山春日能が、春日神社の能舞台で行われました。
 さいわいまだ、名残の桜が綺麗に咲くなか、満員の盛況でした。

           
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 篠山まで峠越えで向かう途中、約10kmにわたり続いている桜並木も今が見ごろです。
桜はこのようにたくさん咲き誇っていても、なぜか静寂の花だと感じます。

 春日能の今年の演目は、

 能「百万」(世阿弥 作) 梅若万三郎ほか
 狂言「蝸牛」      野村小三郎ほか
 能「殺生石」(日吉左阿弥 作) 大槻文蔵ほか

でした。「百万」は、お能の四番物(狂女物)の中の世阿弥の作。「殺生石」は五番物(畜類物)の中の一作です。
 四番物は「狂」の世界、狂女や敵討ち、斬り合いなど人間的な世界のもの。
 五番物は「鬼」の世界。能の最後に舞われるので「切能」とも呼ばれます。
お能には他に、一番物「神」、二番物「男」(修羅物、主として源平から題材をとるもの)、そして三番物「女」の世界、蔓物とも言い、もっとも幽玄な世界と言われます。

          
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 いよいよお能が始まりました。「百万」のあらすじは、
 三吉野の僧が西大寺辺で拾った子どもをつれ、嵯峨の大念仏にやってくると、女物狂いに出会った。女は百万という名で、行方不明のわが子を捜して都に来たのだ。子どもはそれが自分の母と気づき、めでたく再会して帰って行く。

          
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能は静かな語りから、少しづつ切迫して行き、子どもが母と気づくあたりから鼓や笛も情念の世界を示しながらテンポが高まってゆきます。
 緊迫と感情のゆらぎが胸をしめつけるような精神性を作り上げます。
 世阿弥の狂女物の作は、「隅田川」も有名ですが、そちらは子どもの所にたどり着いたとき、既に亡くなっており幼子の亡霊を捕らえようとする哀切極まりない名作ですが、ハッピィーエンドとなるこの作品も、精神性の深さではそれに匹敵していると思いました。
 理由もないのに、目頭が熱くなるばかりでとても困りました。

          
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 狂言「蝸牛」は、野村小三郎さんという、名古屋の若手の狂言師がとても元気で声がよいのと、太郎冠者を演じた7歳くらいの男の子の達者な語り口と可愛らしさが面白く、気持ちのよい狂言でありました。

         
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 最後の殺生石は、下野国那須野が原に実在するという「殺生石」にまつわるお話。玄翁道人がこの場所に通りかかると、里女が現れ、人畜に害を及ぼすこの石の由来を説き、鳥羽院の寵愛を受けた玉藻前が化生のものであることを知られここで殺され石になったこと、自分こそがその石塊であると明かして姿を消す。石の中から再び現れると妖狐の姿となっており、僧に供養され、以後悪事を働かないことを約して消えうせるというお話でありました。


         
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このお能は、テンポも速く、里女が石に隠れたと思うと、やがて石が割れ、そこから狐の姿に変身した後シテが現れるので、変化に富んでいて動きも多く、見ていてとても楽しめるお能でした。

          
          
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 お能のあいだ、木々がそよぎ、小鳥が鳴き、カラスも何度もやって来てその上空を舞っていました。
 そして、風に乗って桜が散り続けていました。
 お能とは、舞台だけでなくそのような自然と生きもの、その周りのすべてが一体となってその世界を作っているのではないかとここに来ると思います。
 鼓の音も笛の音も、地歌の響きも、解き放たれた空間にこそ本来の響きを自然とともに作れるのではないでしょうか?

 そしてお能とは何か?なんだろうと考えました。そしてこう思いました。
 能とは「風」である。

 吹き来たり、過ぎ去るもの。見えないが確かに存在するもの。流れてゆくもの、かたちをとどめないもの。捕まえられないもの、やさしく頬を撫でるもの。
ときには心の中に吹いてゆくもの。

桜能

 昨日14日(土)、篠山春日能、通称「桜能」を鑑賞してきました。
 会場の春日神社は、篠山城主青山家とゆかりが深く、幕末に当時の藩主が、境内に能舞台を寄進しました、現在は重要文化財となっています。
 例年大晦日の夜と、4月のこの時期にお能が奉納されます。4月のものは第2土曜日開催が恒例で、別名「桜能」と呼ばれています。

        
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 演目は修羅物の「屋島」、狂言の「舎弟」、それに4番物の「葵上」でした。
屋島は大槻文蔵氏他、狂言は京都の茂山千三郎氏他、そして葵上は「観世銕之丞」という豪華キャストでした。
 すでにパイプ椅子の席は満員、舞台の正面の岩山に陣取っているカメラマンの隙間に入れてもらいます。
 「屋島」は、中世の春の夕暮れ。西国行脚の僧が都から讃岐の屋島にやってきた。そこの漁師の老人に宿を所望すると、都から来たと聞くや涙にむせぶ。
 源平合戦の模様を聞きたいと僧が尋ねるとあまりに詳しい語りぶり。
 不審に思い老人に名を尋ねたが、夢の中で待ち給えと姿を消す。そして、暁近くなって義経の幽霊が在りし日の甲冑姿で現れ物語るが、いつしか夜は明けて、夢は醒めるのだった。


          
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 「桜能」の言葉の通り、春の晴れ間が広がる中、舞台近くの桜の花がはらはらと落ち続けます。
 風がそよ吹き、小鳥が鳴きます。
 能舞台が自然と一体になっていました。屋内の能舞台に行ったことがありますが、屋内よりも、こういう自然に恵まれた屋外の能舞台の方が「能」の本来の姿ではないかと感じました。
 高度な精神性とたゆまぬ精進とで表現される「お能」の世界は、閉ざされた屋内より、広い屋外の光と風などの中にこそ、息づくように思います。世阿弥が表したお能の本の題名を「風姿花伝」としたのは、
意味深いことではないでしょうか?

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 私にお能を教えてくれた友人が一番好んでいたのが「修羅物」でしたが、なるほど序破急の巧みさなどに修羅物のよさが発揮されていた上演でした。
 なお、後シテに使われた面(おもて)は、室町時代の製作の「平太」でした。

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 狂言の茂山さんのお家は、現代の狂言を再興させたとも言える、東の野村、と並び称されるご一族。ともかく面白い。

 そして「葵上」。般若の「後シテ」もさることながら、まえシテの怨念は胸を打ちます。
 演者の観世銕之丞さんが、手のひらを目の辺りに持っていくだけで面は慟哭し始めます。すごい力です。
 この「桜能」を見ていて、最近久しぶりに、ハンカチを何故か何度も何度も濡らしたのでありました。

なお、このお能では題名の葵の上は実際には登場せず、着衣が舞台の正面に置かれることで、物の怪にとり憑かれて病に臥せっていることが表され、巫女によって呼び出した物の怪が「六条御息所」であって実際の主人公はその生霊が、前シテ、後シテとして登場します。

 お能のセリフはむずかしいなりにもなんとか聞き取ることができますし、その謡や鼓、掛け声などで、意味が分からなくても何を表そうとするかは実によくわかります。私のお隣にいた日本語の不自由な外人の女性も、屋島も葵上も目を真っ赤にしてすすり泣いていました。

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