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終戦記念日

  
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 南鹿児島の知覧の町に立ち寄ったのは、もう10年近く前のことです。

素朴で美しい武家屋敷と石垣の風景、開聞岳の周辺にどこまでも広がる茶畑。

美味しい知覧茶の味も今でも忘れられません。


 
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知覧のもうひとつの顔、かつての特攻隊基地の場所をそのときは訪れません

でした。


 ブログのお知り合い、「花子さん」が紹介されていた、you tube の映像、

「群青」を今日アップしようとずっと前から考えていました。

 映像のもととなった映画がどのような意図で制作されたのかは知りません。

 その意図の如何にかかわらず、この映像と音楽は忘れられないものを私達

にいつまでも残します。

 今日は8月15日、64回目の終戦記念日です。

            





画像が不調のときは、下記のURLから御覧になれると思います。

  http://www.youtube.com/watch?v=kZGpDiK-atw



(花子さん、どうかご了承いただければさいわいです)。

大和の最期、それから

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 暑い夏、今年も戦争と平和について考えてしまう時期を迎えました。

 今たまたま、吉田満さんの「戦艦大和ノ最期」や、それに関連する数冊を読んでいます。

 「戦艦大和ノ最期」については、類のないその作品と時代と登場人物たちに圧倒されております。

  なにをか言わんや。

 吉田満氏の日銀での部下となった千早耿一郎さんが表した「大和の最期、それから」はつい数年前に出版された、吉田満さんとその作品をめぐる軌跡を追った一冊です。

 戦艦大和の特攻出撃で散華した日系二世のことをさりげなく紹介した部分が心に残りました。

 日系で母をアメリカに残し日本に留学、慶應義塾大学予科にて二重国籍者として、やがて海軍兵科に徴兵された。

 およそ軍人向きでない性格、不器用さ、たどたどしい日本語。水泳ができないかなづち。二世の故をもって現役の仕官から白眼視されていた。

 鉄拳制裁を受けながら不屈の精神力を見せて、通信を任務とする全員が二世のV班に加わり、第2艦隊旗艦「大和」に乗り込んだ。

 「純朴の好青年にして勤務精励。米軍緊急信号の補足は抜群であった。」

 大和出撃間近、長く届かなかったアメリカの母からの手紙がスイス経由で届いたときハンモックにて声を忍んで嗚咽していた。

 彼は死の前日も書物を読んでいた。カール・ヒルティーの『幸福論』。

 あと何ページ読めるだろうと思いながら。


 「ひどく死を恐れるのは、人生の正しい道を歩いていない人である。恐ろしいのは、死に臨んで、自分の人生が過った無益のものだったことを見る時、許されがたい大きな罪が山積しているを見るときである。
 死によって滅びるのは我々ではない。滅びるのはこの世である。」


 彼は傾き始めた大和の巨体の傾斜を戻す際の不意の注水、その奔流に巻かれて砕け、さらに大和自身の砲弾の爆発によって散華したものと思われた。
 彼は最下甲板の二番主砲真下の通信室にいたのであった。

 吉田は戦後、日銀勤務の中でアメリカ勤務となったことがあった。
 吉田は文通を続けていた、彼の母に巡り合うこととなっていく・・・


  写真は、大和の沈没前の最期の姿。

http://sidenkai21.cocot.jp/m131.html さんからお借りしました。
                   問題あれば削除いたします。
  

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