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詩への道しるべ

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 新年度になってから職場ではトラブル続き、連日のように何ごとかが発生して、帰宅も遅くなり心身ともややお疲れモードでした。
 心機一転のため今年度メンバーの歓迎会を先日の金曜日に開き、午前零時ごろまで飲んで憂さを晴らしましたが、その反動のせいか土日は家の用事で過ごしただけで、疲労回復に専念し、外出する元気がわきません。

 村上春樹の「1Q84」の第3部が数日前発売になったので、これは早速購入して頁を開いているところ。
 今回はよく売れているものの、前回のあっという間の売り切れというほどではないようです(初刷りが大量だったのかな?)。
 
 そしてどうも源氏の「椎本」の記事を書くエネルギーがまだ足りません。
 
 いつか購入した女声合唱の楽譜を眺め、譜面からギターコードを推測して弾き語りをしてみたり、図書館の貸し出し期限が過ぎてしまった詩の入門書などを眺めたり。

 というわけで、ノートのメモ代わりに、女性合唱曲の詩のちょっと面白かったもの、詩の本の中のいくつかの作品を今日は書き写してみることにしました。

 木下牧子さん作曲の合唱曲集には、「ロマンチストの豚」などの作品の詩が英訳されて掲載されているのが新鮮でした。
 そのなかから、まど・みちおさんの詩「うたを うたうとき」という作品。
 日本語と英訳を書き写してみます。

 
 うたを うたうとき (まど・みちお 詩)

 うたを うたう とき
 わたしは からだを ぬぎます
 
 からだを ぬいで 
 こころ ひとつに なります

 こころ ひとつに なって
 かるがる とんでいくのです

 うたが いきたい ところへ
 うたよりも はやく

 そして
 あとから たどりつく うたを
 やさしく むかえてあげるのです

 
 When I Sing a Song

When I sing a song
I take off my body

I take off my body and
easily fly away

To where a song wants to go
faster than a song

And
When a song arrives later,

I will gentry welcome.



続いては「詩の道しるべ」(柴田 翔、ちくまプリマー新書)から。
柴田翔さんは、私たちの世代には芥川賞受賞作「されど我らが日々・・・」で、
全共闘世代の青春の自意識と感性を文章に表した作家として思い出深い。
 最近は東京の大学の文芸学部教授として、ゲーテや日本現代文学を専攻されているらしい。
 柴田翔さんの取り上げる対象は、なつかしいテイストで純度が高く、体温を感じさせる詩作品を選んでおられるのが特徴で、親しみやすさと人間の自然な感性を通じて、詩というものを日常に近づけようとされている印象で、心疲れた現代人にとって貴重なオアシスとでも言える世界となっているようだ。

 ちょっとピンボケと表現できるような、ボタンが掛け違ったような疲労感が増幅する今の私には、柴田さんの紹介される作品群が、清涼感と慰めと、簡潔だがとても深い生のかなしみを与え、教えてくれるようで好ましい。
下記の三作品が、偶然にも女性の詩人の作品であったことは、今の自分とどういう関連性があるのか、少し不思議な気がする。
 やさしく、淡く、するどく、かなしい。



 小さな靴 高田敏子

小さな靴が玄関においてある
満二歳になる英子の靴だ
忘れて行ったまま二ヶ月ほどが過ぎていて
英子の足にはもう合わない
子供はそうして次々に
新しい靴にはきかえてゆく

おとなの 疲れた靴ばかりのならぶ玄関に
小さな靴は おいてある
花を飾るより ずっと明るい



 小さな娘が思ったこと   茨木のり子

小さな娘が思ったこと
ひとの奥さんの肩はなぜあんなに匂うのだろう
木犀みたいに
くちなしみたいに
ひとの奥さんの肩にかかる
あの淡い靄のようなものは
なんだろう?
小さな娘は自分もそれを欲しいと思った
どんなきれいな娘にもない
とても素敵な或る何かが・・・・・

小さな娘がおとなになって
妻になって母になって
ある日不意に気づいてしまう
ひとの奥さんの肩にふりつもる
あのやさしいものは
日々
ひとを愛していくための
  ただの疲労であったと



 花    石垣りん

夜ふけ、ふと目をさました。

私の部屋の片隅で
大輪の菊たちが起きている
明日にはもう衰えを見せる
この満開の美しさから出発しなければならない
遠い旅立ちを前にして
どうしても眠るわけには行かない花たちが
みんなで支度をしていたのだ。

ひそかなそのにぎわいに。

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  村上春樹さんが、イスラエル最高の文学賞「エルサレム賞」を受け、その際の受賞スピーチが反響を呼んでいます。

ブログでお気に入り登録させていただいている、『猫と本と音楽と映画と私』さん、(ニックネーム:kokokaraさん)のところで、受賞スピーチの映像と、日本語訳のスピーチの内容を掲載されていました。

 内容に感銘を受けたので、改めて拙ブログでも、映像と訳文を転載させていただくこととしました。
 この転載に当たっての種々の責任は、すべて「電池切れ」にあります。


村上春樹 「エルサレム賞」受賞スピーチ  『卵と壁』






こんな風にぼくはエルサレムにやって来ました。小説家として、つまり――嘘の紡ぎ手としてです。

 ただ小説家だけが嘘をつく訳ではありません――政治家もそうですし(大統領には申し訳ないけれど)――外交官もそうです。ですが、ほかの人たちと違ったところもあります。ぼくらの嘘は訴えられることがありません……むしろ誉められさえするのです。嘘が大きければ、その分誉められさえするのです。

 ぼくらの嘘と彼らの嘘との違いは、ぼくらの嘘が「本当」を明かすことに手を貸すことです。「本当」を完璧に把握するのは難しい――だからぼくらは、それをフィクションの領域に移し換えるのです。ですからまず、ぼくらの嘘のどこに「本当」があるかはっきりさせておく必要があるでしょう。

 今日、ぼくは「本当」を語ります。ぼくが嘘をつかないのは、一年の内数日だけです。今日はその内の一日です。

 受賞について尋ねられた時、ガザは戦闘状態だと警告されました。ぼくは自分に問いかけました……イスラエルを訪れることが正しい事かどうか? 片方に荷担することが?

 少し考えがありました。そこで行くことにしました。多くの小説家と同じ立場を、ぼくに言われていたこととは反対の立場をとることにした訳です。小説家としては自然なことでしょう。小説家は自分の目で見るか、自分の手で触れていないことを信じることが出来ません。ぼくは見ることを選びました。何も言わないことよりも、話すことを選びました。
 こんな風にぼくは述べに来たのです。

 仮に壁が堅く高く、卵が潰えていようと、たとえどんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていようと、ぼくは卵の側に立ちます。

 何故でしょう? ぼくらはそれぞれが卵だからです、ユニークな魂が閉じこめられた、脆弱な卵だからです。ぼくらはそれぞれ高い壁に直面しています。高い壁とはすなわち、ぼくらに普段通り個人的には考えさせないよう仕向けている、システムにほかなりません。

 ひとつだけ、小説を書く時に意識していることがあります、個々人の神々しいまでのユニークさを描き出すことです。そのユニークさを喜べるように。そしてまたシステムがぼくらを絡み取ってしまわないように。だからぼくは――人生についての物語を、愛についての物語を書いています。人々に笑い泣きしてもらえるように。

 ぼくら人なるものはすべて、個々の、脆弱な卵なのです。壁に逆らうことなどかないません……それはあまりに高く、陰気で、冷ややかなのですから。ぬくもりや強さを求めて魂をひとつにする、ぼくらはそうやって壁と戦うよりほかないのです。決してぼくらを、システムのコントロールに――ぼくらがつくったものに委ねてはなりません。ほかならぬぼくらが、そのシステムをつくったのですから。

 みなさんに、ぼくの本を読んでくれているイスラエルの人たちに感謝します。願わくば、ぼくらがなにがしか有意義なものを分かち合えますように。ぼくがここにいるのは、ほかでもないあなたたちのおかげなのですから。


 Kokokara さんのブログのURLは下記のとおりです、



 Kokokara さん、素晴らしい記事をありがとうございました!
 

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読むので思う

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 図書館に荒川洋治さんの読書エッセイ、『読むので思う』が出ていました。
 昨年の11月に出された現代詩作家荒川さんの最新の単行本で、ずっと貸し出し中だったもの、待ちに待ってやっと実現したご対面です。

 まず表紙のかわいい猫のイラストが印象的。これだけですっかり嬉しくなってしまいます。
 一冊の中に「週刊朝日」を中心として発表されたコラム風の短い記事が66編収められていました。

 いつものことながら、一編あたり2,3ページのごく短い文章が色とりどりのキャンディのように美味しそうで、どれを食べても(読んでも)、幸福感を与えられる肩のこらない作品群です。

 読書をめぐるエッセイ、コラムなのはいつもどおりですが、読書自体からの距離が広がった感じで、これまでより、いわば円の中心からの半径が大きく自由になっているようです。
 歳月と共に文章の中味も融通無碍で、枯淡の味わいさえ感じ取れる趣(おもむき)であります。

まずは、書名と同じタイトルの「読むので思う」から。
『・・・本を読むと何かを思う。本など読まなくても、思えることはいくつかある。だが本を読まなかったら思わないことはたくさんある。人が書いた作品のことがらやできごとはこちらには知らない色やかたち、空気、波長をもつ。いつもの自分にはない思いをさそう。読まないと思いはない。おもいの種類の少ない人になり、そのままに。そのままはこまるので、僕も読むことにした。』

 小学生が書いたかのような平明な、どうということもないような文章、でもそのなかに含まれている「思い」の深さを感じます。

 続いて、万葉集の木簡が発見されたという新聞記事から生まれた「手本のうた」。
 発見されたのは次の二首の歌であったそうです。

ー安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに
 (安積山の影までが映る山の湧き水のような、そんな浅い気持ちで私はおりませんのに。)
 難波津に咲くや木(こ)の花冬ごもり今は春べと咲くや木の花
 (難波津に咲いているよ、この花は。今は春なのだと咲いているよ、この花は。)
 「古今和歌集」の仮名序(紀貫之)に、この二首は「歌の父母のように初めに習う」とある。平安時代は歌の手本だった。木簡の発見で古今集より約150年前からそうだったことが判明した。古代の人たちが、二つの歌をくりかえし書き、書き方、歌い方を学ぶ光景を想像するのは楽しい。心もことばもつながる気分だ。
 お手本ていいなとぼくは思った。(以下略)ー

 最後にもう一編、「日記の<新年>」。
 荒川さんの日記は、大学ノート、一日数行。一冊で三年分。この方式で30年間続いているそうです。
 ー日記をつけない人は、いう。いったい何を書いたらいいのかと。何も書く必要はないのだ。何かを書こうとする時点で拘束され、負担に。やがて挫折。
日記は提出の必要なし、文章表現に凝る必要なし、自由にそのひとの「いちばん楽なことば」でつければいい。事実を書くだけでいいと。こうしたああしたという行為を書くほうが日記の性質にかなう。高見順は「若いうちはなかなかそれができない。そのきびしさにたえられない」(敗戦日記)と書いた。
 日記をつける「ひととき」は、自分が自分の呼吸に帰るとき、ちょこっとつける。ほんの一、二分だが自分を感じとる瞬間は、日記でもないとなかなか得られない。―

 そしてブログについては、荒川さんは次のように否定的なのです。
 ―いまはやりのブログ、ネットでの日記公開は、他人を意識したもの。それは他人に追いかけられること。人に見せたら日記ではない。別のものだ。日記公開は、不安からくる自己表現に過剰な期待をかける人たちの、あやしげな熱気から生まれる。いっぱい書くことは、何も書かないことと同じ。書いた、伝わったという幻想にとらわれ、自分を見失う結果に。書きたいことなどなくていい。個人のひとときがあるほうが、よほどだいじ。ネット時代はもう古い、と考えたい。てもとでできることがいっぱいあるからだ。一日の日記がただひとことでも、人は輝く。世界は新しくなる。−

 とてもきびしい見方です、でもブログを書いてきて時に感じる焦燥感やリアルな世界とのギャップのような感覚を言い当てておられることは否めないところだと思います。
 私は今のところ、ブログは自分の読書などのために有用だと思うところがありますし、刺激を受ける楽しみも感じますので続けていこうと思っております、荒川さんの指摘は常に意識しつつ、足元をたしかめながら歩いていこうと思うのですが・・・。
 読むものをなぐさめ、癒し、そして厳しく本質を指摘してくれる忘れられない一冊だと思います。

待つということ

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  哲学者、鷲田清一さんの『待つということ』は、半年ほど前から手にとって眺めている本である。
 角川選書の一冊であるが、私にはこれまでとても難しかった。
 「読書のあしあと」さんが、推薦されていた一冊である。

 最近、「待つこと」と、「祈ること」について考えてしまう出来事が続いて起きたので、この本の内容を切実に感じるようになった。
 
 この本はたとえば次のようなセンテンスから始まる。

・・・<待つ>ことはしかし、待っても待っても「応え」はなかったという記憶をたえず消去しつづけることでしか維持できない。河瀬直美の映画『沙羅双樹』(2003年)の中の印象的な台詞をここで引けば、「忘れていいこと、忘れたらあかんこと、ほいから忘れなあかんこと」の整理をやっとの想いでつけながらしか、待つことはできない。待つことの甲斐のなさ、それを忘れたところでひとははじめて待つことができる。<待つ>ことにはだから、「忘却」が内蔵されていなければならない。<待つ>とは、その意味では、消すことでもあるのだ。(p16)


では、<祈り>はどうなのだろう。


・・・閉鎖から、「祈り」へと、たとえそれが「《名宛人不明》の付箋」(ガブリエル・マルセル)がついているものであるにしても、おのれをふたたび開いてゆくことは、どのようにして可能になるのだろう。
・・・たとえばみずからが患っている病気からの恢復を祈ること、この「祈
り」には誤ったところがあるとマルセルは言う。(p138)

「祈り」はあくまで、<待つ>ことのひとつのかたちなのであって、「<神さま>への要求なのではない。

(中略)お宮の前に立つ人もたぶん、そう、マルセルのように思っているのだろう。
 身を閉じることから、身を開くことへの最後の力は、じぶんのうちにはなく、宛先も不明なまま誰かに届けようとする「祈り」そのものなかにしかないはずだ、と。あるいは、こう言い聞かせている。おのれのイニシャティヴを放棄したところにしか訪れないものを待つ、その覚悟が、憔悴しきったなかでかろうじて立ち上がってくる、やせ衰えてはいるが確かな「祈り」のかたちをとるのだ、と。(p140)

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

『待つということ』は哲学者というより、詩人のような文章であり、普遍をめざしつつ、きわめて切実な「想念」のうごめきのなかでようやくたどり着いた
ひとりの個別的な境地のようでもあった。
 そしてそれは、むしろ理性を超えたところで訴える力を持ち、心惹かれ共感が訪れる文章でもあると思えるようになったのです。

 最後に、この本の「あとがき」から、「待つということ」への錐が材木を穿つような求心的なアプローチを体験してみてください。

 あとがき

 待つということにはどこか、年輪を重ねてようやく、といったところがありそうだ。痛い思いをいっぱいして、どうすることもできなくて、時間が経つのをじっと息を殺して待って、自分を空白にしてただ待って、そしてようやくそれをときには忘れることもできるようになってはじめて、時が解決してくれたと言いうるようなことも起こって、でもやはり思ったようにはならなくて、それであらためて、独りではどうすることもできないことと思い定めて、何かにとはなく祈りながら何事にも期待をかけないようにする、そんな情けない癖もしっかりついて、でもじっと見ることもなく見つづけることだけは放棄しないで、そのうちじっと見ているだけの自分が哀れになって、瞼を伏せて、やがてここにいるということ自体が苦痛になって、それでもじぶんの存在を消すことはできないで・・・。そんな思いを澱(おり)のようにため込むなかで、ひとはようやく待つことなく待つという姿勢を身につけるのかもしれない。
 年輪とはそういうことかとおもう。


 ※ たしかに、このような想念の行きつ戻りつを繰り返しつつ、わたしたちの心の中の年輪は毎年ひとつづつ、同心円を刻み続けているような気がするのだ。寒さの厳しい年には、ひときわくっきりとした円を描きながら・・・・

大審問官

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 大審問官

 もしおまえが神の子ならこの石をパンに変えて見せよ、そうすれば全人類は感謝の念に燃えながらおまえにしたがうだろう、と悪魔がすすめた時、キリストよ、お前がこの申し出をしりぞけたのはなぜだろうか。

 おまえは「人はパンのみにて生くるにあらず」と答えたというが、それは人々から自由を奪うことを欲しなかったのだ。「おまえの考えでは、もし服従がパンで買われたものならどうして自由が存在しえよう、という腹だったのだ。」

 また、もしお前が神の子なら、この崖から飛び降りてみせよ、天なる父がお前を助けてくれるだろうから、おまえの信仰のほども知れることとなるだろう、
 と悪魔がすすめた時、おまえがこれも拒んだのはなぜだろうか。
 ここにも同じ理由が顔を見せている。
 結局おまえは人が奇跡の力で自分に帰依することを、欲しなかったのだ。
 十字架にかけられた時、多くの人が神の子なのだから下りてくればいい、そしたら誰もが信じてやる、と口にしたのに、やはりその時、そうしなかったのも同じことだ。

 つまり、例のごとく、人間を奇跡の奴隷にすることを欲しないで、自由な信仰を渇望したから、おりなかったのだ。おまえは自由な愛を渇望したために、一度で人を慴伏させる恐ろしい偉力をもって、凡人の心に奴隷的な歓喜を呼び起こしたくなかったのだ。(『カラマーゾフの兄弟』 米川正夫 訳)。

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