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河合隼雄さんによる『源氏物語』評論本が図書館にあった。1995年にプリンストン大学に約2ヶ月滞在された際、初めて源氏物語を通読されたのがきっかけとなり、書かれたものらしい。
河合さんは小説の主人公である「光源氏」の姿が捉えられないと感じられた。
「影が薄いのではないか」と。
そうして読み進むうちに、これは光源氏の物語というよりも、「紫式部の物語」なのだと思うようになられたとの鋭い指摘がまず登場します。
紫式部を「内向の人」ととらえ、母の影が薄く、父の娘という存在であった娘時代、仲はよかった年配の夫、藤原宣孝と死別し一人娘をかかえて苦労を味わったと想像される次の時代のこと。
やがて道長によって宮仕えに出て、式部は娘、母、妻、娼(?)として少なくとも心理的体験を味わい、それを深く体験として内に沈潜させ、やがて「物語」としてあらわしていくこととなったこと。
光源氏という男との関係において物語を作っていくがやがて彼女自身の存在を物語りに託して行けるようになっていく過程を河合さんは魅力的な語り口で示してくれます。
たとえば光源氏にとって「母なるもの」として現れるキャラクターは冒頭の「桐壺」の巻に全員が顔を揃えていること。実母の桐壺のほか、優しい母としての大宮、恐母としての弘徽殿女御、あこがれの藤壺、そして葵の上・・・。
密教のマンダラの配置になぞらえてそれらの配置を視覚化し、藤裏葉を円周の女性陣の配置として関係性を多様化しつつ考えられたり。
そして後半の宇治十帖におけるその場所の精霊としての「トポス性」を感じ、
「幻」以降、文体がそれまでとまったく異なる と言われる意味について思考されていかれるのですが、やがて自らの意思や行動を持たなかった浮舟の、出家後の意志の強さ、個としての女性の姿を大きな努力を払って紫式部という人が描ききったすごさ・・・へと、話が続いていくのです。
源氏物語に登場するすべての女性を描ききった人、それが紫式部という人なのでしょう。
この本にはそれだけでない、様々の斬新な視点がありました、私も腰を据えて
しっかり読まなくては!
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