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昨年の音楽CDの国内最高売り上げは「嵐」の作品だったそうですが、国外最高売り上げのほうは、かのビートルズの「リマスター盤」が世界中で売り上げトップとなり、変わらない人気を見せることになりました。

 私もその中の1,2枚を聴きなおしていますが、クリアーになった音と、鮮度も昔に戻ったように感じられ嬉しい感想でありました。

 このうち久しぶりに聴く「Hey Jude」(作詞、作曲 ポール・マッカートニー)がとくに心に沁みました。

 ところで「ヘイ ジュード」には、日本ではあまり知られていない、「もうひとつのヘイ・ジュード」があることを近頃初めて知り、驚くと同時にその背景と、深く感じさせられた一人のある歌手の人生について書いてみたくなりました。

 もともとビートルズの「ヘイ・ジュード」は、ジョンレノンが妻のシンシアと離婚した際にその息子のジュリアン・レノンを励ますためにポール・マッカートニーが作ったもので、作詞作曲とも素晴らしく、彼らの代表作のひとつとなった7分にも及ぶ長大な曲です。

 この曲が出来上がって間もない1968年、今は分裂した「チェコスロバキア」では「プラハの春」という民主化運動が高まりました。ドプチェク政権の「人間の顔をした社会主義」でありました。しかしそれに反対するソ連はワルシャワ条約軍60万人をチェコに侵攻させ、その運動を押しつぶしました。

 当時チェコに若い女性歌手がいました。名前は、マルタ・クビショバ。
 彼女はジュードを少女に置き換えて、母国語でまったく新しい歌詞をつけて歌いました。ソ連とそれに屈服した自国の政権への抗議と自由への思いを歌ったのです。
 レコードは60万枚というチェコでは空前の大ヒットとなりましたが、彼女は命の危険にさらされることになりました。
 レコードは発禁、所持するだけで摘発され、彼女は音楽協会から追放となります。
 映画監督の夫も職を奪われて共産党に妥協しますが、マルタは娘を連れて夫と離婚、袋貼りの内職で生計を立てます。しかしその仕事までも奪われます。

 そうして20年。
 ついにベルリンの壁が崩れ、ソ連は崩壊、チェコでも人々は共産党支配からの自由を勝ち取りました。
 そのときチェコの人々が歌ったのが、マルタ・クビショバの歌詞の「ヘイ・ジュード」だったのです。
 当時日本のジャーナリストがチェコの革命の勝利のレポートを書きましたが、ここでもマルタが登場します(伊藤千尋「30万人のサイン・・・東欧革命の人々」)。

 1989年12月10日、ひとりの犠牲者も出さずに民衆の力で一党独裁政権を倒した革命の勝利の集会が始まろうとしている、プラハのバツラフ広場。
 集会正面のバルコニーには何本もマイクが立っている。
 いったい誰が出てくるのだろうか?
 広場を埋め尽くす群集は30万人。現れたのは政治家でもなく革命の中心人物でもなく、たったひとりの女性だった。
 身を切るような寒さの中で、白い半袖の薄いドレスを着ている。
 彼女は一言も語るわけでなく、手を差し伸べて歌を歌い始めた。彼女の「ヘイ・ジュード」を。
 30万人の人々は彼女を見つめながら右手を高く上げてVサインを示した、30万人のVサイン。人々は泣いていた。
 歌を禁じられたとき彼女は27歳だった、再び人々の前に姿をあらわしたとき、彼女は47歳になっていた。 

 
 マルタの歌は命がけの歌であった。そしてチェコの国民はひそかにこの歌を「自由」と「民主化」のシンボルとして歌い継いでいたのだった。
 マルタの歌詞には人間の持つ二面性が描かれているといわれている。
 裏切りも平気でする人間の心の弱さ、けれど、また結束して信頼しあう人間の心、そうした人間の心が歌われているのだった。

 もうひとつのヘイ・ジュードの歌詞の日本語訳も書き写しておきましょう。
 私たちの心に長く残る、ある真実のお話でありました。

(「THE ESSAYs6 nkgw’ 」さんの記事を参考にさせていただきました。)


 ヘイ ジュード 涙があなたをどう変えたの
目がヒリヒリ 涙があなたを冷えさせる
私があなたに贈れるものは少ないけど
あなたは 私たちに歌ってくれる
いつもあなたと共にある歌を

ヘイ ジュード 甘いささやきは一見心地いいけど
それだけじゃないのね
「韻」の終わりがあるすべての歌の裏には「陰」があって
私たちに教えてくれる

人生はすばらしい 人生は残酷
でも ジュード 自分の人生を信じなさい
人生は私たちに 傷と痛みを与え
時として傷口に塩をすりこみ 杖が折れるほどたたく
人生は私たちをあやつるけど悲しまないで

ジュード あなたには歌がある
みんながそれを歌うと あなたの目が輝く
そしてあなたが静かに 口ずさむだけで
すべての聴衆はあなたにひきつけられる

あなたはこっちへ、私は向こうへ歩き出す
でも ジュード あなたと遠くはなれても
心はあなたのそばに行ける
今 私はなす術もなく あなたの歌を聴く自分を恥じている
神様私を裁いてください
私はあなたのように歌う勇気がない

ジュード あなたは知っている
口がヒリヒリ 石をかむようなつらさを
あなたの口から きれいに聞こえてくる歌は
不幸の裏にある「真実」を教えてくれる


 
ビートルズの「ヘイ・ジュード」



 
The Beatles - Hey Jude (HQ)







 マルタ・クビショバの「ヘイ・ジュード」


小さな喫茶店

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昨日今日ととても暖かで、気温も20度くらいに一気に上昇し、あまりの急激な変化に戸惑うほどの変わりようです。
 今日は文字どおりの「春一番」、暖かくて激しい風が、一日中吹いていました。

 先日の節分草はもう盛りを過ぎてしまったのでしょうか?
 
 いよいよ春がやってくるようなので、春のために用意した音楽を少しづつご紹介してみたいと考えています。

 まずは、懐かしいレトロな音楽から一曲(アラカン年代向きの企画です)。

 石川さゆりさんの歌で「小さな喫茶店」です、

どこかに春の気配が感じ取れるように思うのですが。



ひらひら

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夕べNHKのBSでフォークソング特集があり、まだニューミュージックといわれる以前の、そしてカレッジフォークよりは以降の音楽を少し珍しいセレクトで放映していました。
 泉谷しげるとイルカがメイン司会者、南こうせつや山本潤子さん、沖縄の佐渡山豊さんや、「一人の道」の茶木みやこさん、ケメこと佐藤公彦氏など少し珍しいメンバー構成でした。

 前回取り上げた、ユーミンらが登場したころの音楽について、なんとなく頭の中で反芻しておりますと、ふと思い出したのが「中山ラビ」さんでありました。

 ちょうど大学に入りたての頃で、学生運動が退潮し、シラケ世代と呼ばれた「遅れてきた青年たち」の我々にとって、まぶしかったのは、中島みゆきと荒井由美の颯爽とした登場ぶりで、本質をわしづかみするようなみゆきワールドと、都会的で繊細な、欧米のにおいのするちょっとスノッブな印象のユーミンの世界はまさに対照的で甲乙つけがたい魅力がありました。

 そしてなぜか理由はまったくわからないのに惹きつけられたのが「ひらひら」というなんだかあやしげなタイトルのデビューLPが発売された、中山ラビさんなのでした。

 少々巫女的とも言われ、どちらかというと「身体系」風のメロディーと歌詞のミュージシャンで、都会の入り組んだ、周囲から閉鎖されたような空間から登場したようななぞめいた女性。
 もう、かなりの個性派だった中山ラビさんは、その後の活躍も聞いていないので、音楽シーンから退場されたとばかり思っていましたら、ユーチューブで、出会うことができ、とても懐かしい気がしました。

 見つけた映像では、国分寺市の「男女共同参画社会」のグループの主催する講演会だかのゲストに登場して、昔と変わらない雰囲気で(髪は金色に変わっていましたが!)いい声を聞かせています。
 会の趣旨と彼女の曲との間に、必然性のある状況は何も感じられないのですが、独特の存在感と彼女の楽曲の持つ、若いのにどこか複雑な味わいは、今聞いても少しも色あせてはいないのです。

 40年経っても古びていない曲の数々と彼女の存在感を確認できたことをよろこび、オリジナルの曲を一曲ご紹介してみます、どうぞ一度お聞きになってみてください!

 曲のタイトルは「わかれ」。LP「ひらひら」には、魅力的な楽曲がたくさん
詰まっているのです!



雨の街を

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 昨日の読売新聞に、山田太一さんと寺山修司の交友関係が掲載されていて興味深かった。
山田太一さんと寺山修司は、
青年時代、早稲田大学で出会い、のち、それぞれの道に進みながら、
最後まで強いきずなで結ばれた。
それは、純粋で濃密な青春時代の友情があったからだろう。
山田さんはいま、寺山修司をどう思っているのだろう。

「私にとって寺山修司は、なにより大学時代の同級生であり、目の光であり、
 仕草であり、姿であり、笑顔であったから、著作がいくら残っていても、
 その死で大半が失われてしまったという思いがある。」と。
やはり、山田さんにとっての寺山とは、多感な青春時代のイメージが強い
印象で残っているのだろう。




二人の、往復書簡がある。
ちょっとしたことでいさかいをおこした時の
手紙だ。19才、寺山入院中のことだ。
山田から寺山へ
そして、僕達の交遊は君の全快によって、いよいよ深められることはなく、
君の入院中、からくも二人を繋いでいた君の「病気」という心の靭帯が失われることによって
むしろ薄らいでゆくのではないか。
僕はしきりにそう思われてならない。もちろん(と僕はそう思うのだが、)
君は僕以上に、そう予見している、と思う。
「見舞われている」「相手は病人」という相互の気遣いが、
こわれる交友をうまく、つくろっている。
従って、そういう互いの我慢が、全快によって、とりはらわれたら、まず十中八、九
僕たちの交友は終わりだろうと思うが、どうだろう?
寺山から山田へ
僕はまもなく、詩を止すだろう。
でも僕は散文よりも音楽みたいな世界性のある芸術、
芸術よりも本物の人生をはじめたい。
君とまだ海へいったことはないね。
退院したら行こう。
ちかいうちにかならずおいでよ。
今日ぐらい元気なら僕はおしゃべりしたいことが一杯ありそうだ。
今日、実は鴨の肉を食った。
また。
(さよなら寺山修司 新書館刊)


寺山修司 第一作品集「われに五月を」より ―「五月の時・序詞」―

きらめく季節に
たれがあの五月を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎて行く時よ
二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ 若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
はにかみながら鳥たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した



・・・・誰にでも、それぞれの時と青春があるのだ。
今夜のNHK BS2では、松任谷由美(荒井由美)が夫や当時のミュージシャン仲間と(細野晴臣氏も)集まっていて、由美夫妻のなれそめや当時の音楽作りについて熱く語っていた。
 松任谷由美さんにとって、全曲を通じもっとも好きな曲がこれらしい。
 「ひこうき雲」から、−「雨の街を」−
 たしかに名曲だ、この頃、中島みゆきもほぼ同時期に登場した。









大晦日

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 写真は紅白歌合戦の舞台、NHKホール。



 大掃除も終わり、注連飾りも取り付けて、いよいよ今年(2009年)も残りわずか。

 一年間いろんなこともありましたが、なんとか新しい年を迎えることになりました。
 これから紅白ももうすぐ始まりますが、今年を振り返りながら大晦日の夜が更けてゆくのを、それぞれの過ごし方で味わうことになりますね。

 アメリカ合衆国の初の黒人系大統領となったオバマ大統領の就任、政権交代が今年の流行語大賞になるなど大きな「チェンジ」があった2009年でしたが、
政治も経済も、身近な生活も不安をかかえたままの年越し。
 でも、ともかく元気で無事に、新しい年に向かってゆくのだということで、ひとまずよしとして、寒い今宵は熱燗など酌み交わしたいものです。

 小生は生まれてこのかた、ずっと皆勤賞の紅白の観戦?は今年も怠りなく、最後まで見届けるつもり。

 どうかみなさん、どうかよいお年をお迎えいただきますように。そして来年もお互いに楽しいブログ生活をめざしましょう。

 歴代の紅白の中から、今回は昭和63年の「ちあきなおみ 紅とんぼ」の映像も懐かしみましょう。
 どうかもう一度、ぜひ再登場して欲しい歌手の一番手かも。








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