田中栞日記

2017年10月29日(日)武井武雄刊本作品の実物をお見せします!

全体表示

[ リスト ]

本を焼く

イメージ 1

イメージ 2

 火災に遭ったアシェンデン・プレスの話を書いたが、先日、青猫書房目録で購入した本、『柏崎だより』(昭和53年5月、港北刊)に、「本を焼く」という短文が収録されていた。

 著者は吉田小五郎といって、慶應義塾幼稚舎長を勤めた人。
 幼稚舎というと「幼稚園」をイメージする人が多いが、慶応の場合はこれが小学校にあたる。吉田氏は大正13年に慶應義塾幼稚舎の教員に、そして後に幼稚舎長となって数十年の年月を勤め上げ、昭和48年6月、上野毛(東京は世田谷の高級住宅地)の住まいを畳んで、故郷の新潟県柏崎に居を移した。
 お兄さんが創刊に関わったという週刊紙「越後タイムス」(創刊は明治44年だという)に、著者は柏崎の住人となってから「柏崎だより」という文を4年にわたって寄せ、本書はそれをまとめたものである。
 布装角背上製貼函入という造本は立派だが、あまり色気はなく、とても書店で販売されたとは思えない。奥付に「定価3,300円」と入ってはいても、おそらく自費出版に近い形で誕生した書物であろう。

 著者は美術を愛好する人で、棟方志功、清宮彬、岸田劉生などの名が出てくる。
 書物も愛でる人で、付録として「丹緑本覚書」「色刷本事始」の研究余滴風の2文が載る。本文にも、「端本の山」「よく本を貰う」など、本の話題が多い。
 ……というのは、なにも私がこういう内容の本と知っていて注文したわけではなく、青猫書房目録に全部付記されていたのである。そそられそうな所を全部書いてくれる青猫目録。しかし……こんなに客が無精でいいのか?
 

 前置きが長くなった。 
「本を焼く」という話題で、著者は「本は、容易に焼けるものではない」と断言する。それも、「石油でもぶっかけたのなら知れたこと、否石油をぶっかけても石油のしみた所だけ焼けると火は自然に消えてしまう」と、やけに描写が生々しい。
 著者はなんと、実際に本を焼いてみるという経験をしているのである。

 文の後半、「何でどんな本を焼いたのか」と自ら話題を振る著者。
「根が本好きだから、どうせ良い本を焼く筈がない」と前置きした後で、挙げられたのが次のようなものだ。
 それぞれにカッコつきでコメントがあるのが面白い。焼いた本の具体例と、その本に対する著者のコメント(「……」の後の部分)を引用してみよう。

 *列車の時刻表……列車の時刻表だって、たしか列車の時刻表が本の形で出たのは明治三十年頃と思うが、古本屋に出れば何千円もするだろう。
 *同窓会の名簿……同窓会の名簿だって、例えば東京帝国大学の卒業生の最初の名簿が出たらこれまた何千円もするだろう。近頃【田中注・この文が書かれたのは昭和51年2月22日】の古本屋は変なものに高い価をつけるし、物好きの方でも勇敢に買う。この間上京したら、某古本屋で明治中期のランプ屋のポスターが一万八千円と価がついていた。
 *いらなくなった電話帳
 *役に立たない古雑誌……古雑誌だって、左翼系の新聞みたいな何とかという雑誌が一冊で四万何千円で落札されたという話を聞いた。


 ……というわけで、最後に「焼いたものの実例」として掲げられるのが、「長年書いて誰にも見せなかった相当のカサの原稿」だ。
 その「原稿」の、焼け具合についてのコメントは次の通り。


 諸君は原稿なんかすぐ灰になるだろうと思うだろうが、そうはいかない。百枚綴りの原稿など周りがこげるだけで、余程鉄の棒で引っかきまわさなければ焼けきるものではない。菓子箱や張子の玩具なら忽ち灰になるが、紙を綴じたものに限ってどうして、こう焼けにくいものであろうか。


 今なら、原稿など大抵はパソコンの中に入っているから、キー操作ひとつで消滅する。手書きの時代は、書くのも大変だったが処分も容易でなかったわけだ。


 さて、かく言う私も、実は本を焼いたことがある。
 正確に言うなら、「焼かれた経験がある」。 
 あれは昭和44年頃、私が小学生の時のことだった。お小遣いをほぼ100パーセント漫画本に費やしていた私は、「もう漫画本を買っちゃダメ!」と母から厳しく言われていたのにもかかわらず、やめられなくて隠し持っていた。
 とはいえ、2DKの公団住宅の中に、隠せる場所などそうそうあるはずがない。洋服箪笥の中に溜めていたコレクションはすぐに見つかり、即刻団地内の焼却炉へ。泣いてすがる私の目の前で、本は次々と火の中に投じられていったのである。
 大きな紙袋2つ分ほどあったろうか。
 燃えさかる火の中にくべられた、愛しのマーガレット・コミックスたち(ううっ、今思い出しても涙)。
 吉田小五郎さんの言うように、確かに本は燃えにくい。しかし、専用の焼却炉だ。あとで未練がましく中を覗きに行ったが、残骸は救い出せる状態ではなかったと記憶している。

 あの当時は、このように物を燃やすことが民間でも平気で行われていたが、今はできなくなった。今なら、母は一体どうしたろうか。
 
 消滅させることはできないが、本を駄目な状態にすることは簡単だ。
 水をかければよい。攻撃アイテムは、火ではなくて「水」なのだ。これなら一瞬で、本は使い物にならなくなる。
 もっとも、水を吸って膨れあがり、重くなった大量の本を処分するのは、想像を絶する大変な作業になるが。

この記事に

閉じる コメント(2)

顔アイコン

永井荷風は、空襲で偏奇館?炎上を見ながら 中にある書物の事を思ったんだよね 炉で燃やしたり、家が火事になれば焼けるだろうが いきなり本に火をつけても燃えにくいって事か 家でも落ち葉で焼き芋していましたが もうできません。(規制される前から、となりも三階建てで、洗濯物に 飛んでいくし) 削除

2006/10/8(日) 午前 9:02 [ ykom ] 返信する

顔アイコン

大貫画伯の版画教室に行くのに、「西東京郵便局保谷分室」というバス停でおりてしばらく歩くのですが、畑の広がるのどかな風景の中、民家の庭先でドラム缶を使って焼却行為をしている家がありました。ウチのお隣の家も焼却炉みたいな竈みたいなものが駐車場にあって、つい最近まで時々使っていました。そもそも横浜はゴミの分別をするようになったのがついここ1〜2年のことです。それまでは、「横浜の焼却炉は高性能だから、全部一緒に燃やしてしまって、残ったのがビンと缶だ」というような処分をやっていました。

2006/10/8(日) 午前 10:33 [ 田中栞 ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事