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Clip-Clopは「新しい発見」を探す「長い旅」に出かけました。「いつ戻ってくるのか」はまだわかりません。ですので、今のところ「ブログ再開」は「未定」です。これまでの「ご訪問&コメント」誠にありがとうございました。またいつか・・・(^^)/
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星の名がつく駅を訪ねて(前編)
− JR宗谷本線 北星駅にて −
♪BGMは Danny boy (Eric Clapton)♪
「残暑」から逃れるため遠くまで車を走らせた。市街地を抜け、郊外の「山の中」へと進む。すれ違う「車」もなくなり「民家」も次第に見えなくなってきた。数時間後、辿り着いた先は「無人駅」だった。
風で揺れる「ススキ」の穂。もう日が暮れる頃だ。草木の間から「虫の声」が聞こえる。
「北」へと向かう下り「列車」。行き先は遠い「見知らぬ町」。そこにはどんな「風景」が広がっているのだろう。
ここは宗谷本線「北星駅」。周囲には小さな木造の「待合室」がある。赤地に白の文字の「看板」がこの駅の「目印」。「ガラス窓」が夕方の「空の色」を写し出している。
コンクリートの「床」と古い木造の「壁」。昔からずっと変わらない「待合室」。
「電灯」も「暖房」もない。冬は「隙間」から雪が吹きつける。ここで長い時間、列車を待つ時代もあっのだろう。
星の名がつく駅を訪ねて(後編)
−北星駅に夜が降りるとき− 本日の上り「最終列車」がやって来た。遠くから「閃光」が迫ってくる。
目の前が「パッ」と明るくなった。わずかな時間だけ「停車」する列車。駅の周囲は「空き屋」が点在するのみ。もちろん「乗降客」はいない。
勢いよく「次の町」へと駆け抜けて行く。
小さくなる夜汽車の「後ろ姿」。ディーゼルの「エンジン音」もいつしか聞こえなくなった。そして、僕はひとり「ホーム」に残された。
北海道には「星の名」がつく「地名」が多いと言う。「北星駅」のホームの「電灯」は北の空に輝く「一番星」のようであった。
「夜」も更けてきた。「駅の灯り」だけが「唯一の光」。「闇」の中に明るく光る「星」のようにこの町の一角を照らし続ける。 |
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北の無人駅で過ごした夏の日
−JR宗谷本線 雄信内駅にて−
BGM♪テネシーワルツ♪
木枠の「ガラス窓」と「折り鶴」。窓の向こうには「緑の山々」が見える。
ここはJR宗谷本線「雄信内(おのっぷない)駅」。昔ながらの「木造駅舎」が残る「無人駅」。
駅舎内にある「木製ベンチ」。かつては列車を待つ「乗客」の姿が見られたのであろう。駅周辺は「無人地帯」。「閑散」としていて「人の気配」は感じられない。
駅は「無人化」されて久しい。只今の行事は「空白」のまま。
「大正14年」の開業からずっと駅舎を支えてきた木製の「柱」や「コンクリート」。「疲れ」を見せ始めているがまだ「現役」だ。
線路で「チョウ」が一休みするほど宗谷本線の「本数」は少ない。
遠くから聞こえる「踏切の音」。上り列車が停車するのは「4時間に1本」。静かな駅構内に列車の「エンジン音」が響き渡る。
広い山中へ向かう列車。僕はその「背中」を見送った。
持参したパンと缶コーヒーが今日の「昼食」。コンビニも自販機もない駅。
「国鉄時代」の面影を残す「重厚な駅舎」。僕は「駅周辺」を歩いてみることにした。
駅前通のさび付いた「家屋」。「白い軽トラ」が駐車してあった。「家主」が今も利用しているのだろうか。わずかだが「生活感」がまだ残っている。
昭和40年代までは「食料品店」や「鮮魚店」など「5店舗」がこの駅前通に店を構えていた。当時この駅周辺には「150人」ほどの人が暮らしていたらしい。
店を閉めてからそんなに「年月」が経過していないように思われる。「のれん」がまだ新しかった。
積雪に耐えきれずに「倒壊」した酒屋。赤や黄色の「ケース」が生々しく散らばっていた。
「住む人」を失った家屋。まだ「原型」を保っているが、度重なる冬の「積雪」にどこまで耐えられるだろうか。
玄関先に放置された「オーブントースター」。ここで暮らした人たちの「生活の様子」を想像しながら歩いていた。
しばらくすると「小学校の校門」が見えてきた。「雑草」が生い茂っている。
「昭和57年」閉校を迎えた「雄信内小学校」。各学年の児童が「10名以下」の小さな小学校だった。残された「体育館」は災害時の「避難所」になっている。
閉校した年の卒業生は「1名」。昭和50年以降「過疎化の波」が押し寄せ「離農者」が相次ぎ人口は「激減」していった。
駅前通りから「校舎」を望む。「夏草」に埋もれて「郷愁」を感じさせる。
日本の最北端「稚内」へ向かう宗谷本線。その沿線には昔ながらの「木造駅舎」と住む人のいない「無人の集落」がいくつもあるという。列車を待つ「乗客」・通りを「歩く人」の姿を見かけなくなった今、駅は気まぐれのように立ち寄る「旅人」を待っているのかもしれない。
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最終列車の灯り−初秋の夜風を感じて−
虫たち「涼しげな声」が鳴り響く「初秋の夜」。北国の「短い夏」が終わろうとしています。心地よい「夜風」に包まれながらホームを発つ「最終列車」。「雨の中」次の町に向かって「出発進行」!「列車の灯り」で「1日の疲れ」が抜けていく気がしました。
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遠くにいるお友達へ−いつもの通学路から−
−夏休みはお別れの時期− 小学生の頃「夏休み」は仲良くなった友だちと「お別れする時期」でもありました。僕のいた町には「自衛隊の基地」があって、遠い「九州」や「中国地方」から多くの人が転勤で来ていました。クラスの生徒にも自衛官の「お子さん」がたくさんいました。自衛隊の転勤は「全国規模」です。北海道にいるのも長くて「5〜6年」。ですから、友だちの口からよく「あと何年で帰らないといけないんだ・・・」と聞いたことがあります。でも、どうして「夏休み」が「お別れ」なのか?というと・・・自衛官の転勤はなぜか「7月」が多かったからです。遠くへ行ってしまう友だちの「お見送り」をしていたのがいつも夏休みでした。
それが!最近になってお別れした友だちの一人と「連絡」を取り合うことができたのです。転校してからもう「20年以上の時」が流れています。でも、その人は「北海道での生活」のことも「僕のこと」も本当によく覚えていました。フェリーで出発するとき「友人と離ればなれになる」のが辛くて「どんどん小さくなる」北海道を見て涙を流したと・・・それを聞いてとても「切ない」気持ちになりました。「見送る方」も「見送られる方」も両方にとって別れは「寂しい」ものなのですね。
−ささやかな贈り物−
そこで今回はその遠くにいる友だちに「懐かしい風景」を見てもらおうと思い記事を更新しました。もう北海道に来ることもなかなかないかもしれませんが、この風景を見て少しでも昔を思い出してくれたらうれしいです。今日の朝「小学校の通学路」を歩いて撮った写真たち。あの時からそんなに大きくは変わっていないはず。思い当たる場所はありますか♪
BGMは坂本龍一♪ambiguous lucidity♪
6年間通った小学校。新しく作りかえられた「校門」。
校舎は「高台」にあったのでいつもこの「坂道」を登って学校へ行きましたね。通り道の「赤い実」のなる「ナナカマド」の木が今も健在です。校舎はすっかり「新しく」建て直されています。
通学路には「コンクリート」の塀がありました。昔はもっと「低かった」ので登って遊べたんだけどなぁ。
「市街地」までは遠かったから「バス」を使うこともあったはず。バス停の名前は見覚えあるかな?
市内バスの本数はかなり減ってしまい今では「1時間に1本」が平均なんだそうです。
あの頃みんなが暮らしていた「官舎」は新しくなっていました。今も遠い「西日本」から来た人がたくさんいるのでしょうね。この官舎の前の通りで「手つなぎ鬼・缶けり・影踏み」などの遊びをしたような・・・。当時は「第二次ベビーブーム世代」!子どもがたくさんいました。幼い頃は「無邪気」で「男女」を意識しないで遊べました。
この官舎にはたくさん「友人」がいてよく「遊び」に来ました。今は「空き屋」になっていてもう誰も住んでいないようです。
ここは「駄菓子屋」さん。同級生の「おばあちゃん」が一人で切り盛りしていたお店。「うまい棒」や「粉ジュース」など10円でたくさん買い物をしましたね。でもあのおばあちゃんはもういないのかな・・・。
「通学路」が「基地」と隣り合わせだったから自衛隊の「車両」も毎日の光景でした。
そして「今の僕」。カメラを持って静かな「住宅街」を歩いていました。
今はお互いに遠く離れていますが「同じ時間・場所」を共有していたのですからきっと「何か」を思い出したり・感じ取ってくれたと思います。ではでは♪これからもよろしくです(^_^)v |



