不思議な知的現象
私たちは外からの刺激を五感を用いて認識しています。その五感は「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚」から成り立ち、それぞれの感覚器官「眼・耳・鼻・舌・手」に対応しています。この感覚器官によって「色を眼で見て、音は耳で聞いて、そして味を舌で感じる」ことができるのです。
ところが『音に色が見える世界』(岩崎純一著 PHP新書)から「文字に色を感じる」「音に色を感じる」「味に形を感じる」など、この「眼・耳・鼻・舌・手」の感覚器官が入り交じって外界を認識する人が世にいることを知りました。先日読んだ新聞でも次のようなコラムがありましたので紹介します。
ロシア系アメリカ作家のウラジミール・ナボコフさんは自伝「記憶よ、語れ」でアルファベットを発音すると、それぞれの文字にはっきりと色が付いて見えたと述べています。
例えば「a」なら<長い風雪に耐えた森の持つ黒々とした色>、「p」なら<熟する前の青いリンゴ>、「y」は<明るい黄金色>のように文字に色が見えたのです。
このような五感が入り交じる感覚は「共感覚」と呼ばれています。共感覚はとても珍しい知覚現象で、誰にでも備わっている感覚ではありません。上の「アルファベットに色が見える」話だって「そんな〜本当・・・?」と信じがたいですよね。ところが、この本を読むと、私たちは昔から「色」に対して共感覚的な認識をしていたことがわかったのです。著者は日本語の「色」の意味について大変面白い分析をしていました。
かつての日本人は「色」をcolorだと思っておらず視覚以外の感覚を用いて「色」を感じていました。「色恋沙汰」「色欲」「色気」さらに「色男」と「色女」のように「色」には「異性が見え隠れ」していたのです。これは「色彩・音・匂い・味・手触り」などの感覚が同時に作用しながら「色」を感じていたからでないでしょうか。
なるほど「色好み」「色盛り」など日本人は「色」について共感覚的な見方をしていたのでしょう。私たちは五感をフル稼働させて外界を認識していて、そのときに五感が入り交じり「色」に様々な思いを抱いたのかもしれません。
音に色が見える「音色」(ねいろ・おんしょく)
この五感が入り交じる共感覚。それは本当に理解できないほど不思議な感覚なのでしょうか?確かに、音や声は耳で聞くもの、色は眼で見るものですから、もともとは互いに性質の違うものです。でも実は、私たちの心のなかで、それがどこかでつながっていることがわかりました。今回は池上嘉彦著『ふしぎなことば ことばのふしぎ』(筑摩書房)から私たちの身近にある共感覚的表現について考えてみます。
共感覚について初めて知ったとき「音は耳で聞くもの!色なんてあるはずがない!」と思いました。でも、私たちは「音色」(おんしょく・ねいろ)という言葉をあまり疑問を抱かず用いています。つまり、私たちは「音」と「色」の間に何らのつながりを見出しているのです。ですから音に色があっても不思議ではないのです。日頃特に深く考えないで使っている言葉の中にも共感覚に似た表現があることに気づきました。
「甲高い声」のことを「黄色い声」と表現することがありますが、声が本当に「黄色い」はずがありません。それでも女の子たちの調子の高い声のことであることがわかります。
「明るい」「澄んでいる」も眼で見て感じ取る事柄ですが、耳で感じ取る「声」と結びついて「明るい声」や「澄んだ声」と言い表すときがあります。「明るい」を少し変えて「まぶしい声」にしてみると「はっとするような新しさ」を感じますよね。
他には、「真っ赤な嘘」や「赤の他人」など嘘や他人は色のないものですが、赤の持つイメージから「信じていたのに裏切られた(驚)!」「なんだ完全な人違いじゃないか(怒)!」という思いが伝わってきます。また柄が派手でゴテゴテしていて落ち着かないときに「うるさいデザイン」という表現を使うときがあります。その柄が「音」を奏でているわけではないですが、意外にわかりやすく的確な形容だと思います。
「甘い」は味覚だけではない
本来は舌で感じる味覚の「甘い」も「甘い声」など口での味わいを耳で聞こえるものと結びつけています。この「甘い」は舌で感じることができない場合に使うと「甘い言葉」「考えが甘い」「甘い親」や「ねじが甘い」など否定的な意味合いを持つこともあります。
このような「甘い」の使い方は英語のsweetにもそのまま適用できるのでしょうか?手元の辞書を引いてみると
sweet smell(甘い香り) ・sweet singer(美しい声の歌手)・a sweet face(かわいい顔)・You are sweet.
(優しいですね)・The sweet tones of a flute(快いフルートの調べ)・The sweet country air.(かおりのいい田舎の空気)
英語のsweetには「考えが甘い」のような否定的な意味はないようです。ですから・・・
「ねじが甘い」をそのまま英語に直して The screw is sweet(???)や「黄色い声」を yellow voice(???) そして「真っ赤な嘘」を tell a red lie (???)などと言ったら意味不明な英語になってしまいます(笑)英語でもgreen eyesで「嫉妬深い目」、yellow streakで「臆病」そしてblue jokesで「わいせつなジョーク」という意味もありますから、それぞれの言語で色のイメージも違うようです。
言語学からのアプローチ
共感覚表現を見たり聞いたりしても、それほど理解に苦しまずに「イメージ」が湧くのは、私たちが「色」に対して共通認識を持っているからではないでしょうか。
「色」から連想するイメージを調べるための心理的実験を行った研究もあるようです。この『メタファー研究の最前線』(楠見孝編 ひつじ書房)から私たちに潜在する色の共通認識を見てみましょう。
実験では「色」と「色を持たない名詞」を組み合わせてそこから連想するイメージを答える調査を行っています。色の単独のイメージと「赤い○□△」と形容語として用いられた場合のイメージを被験者はそれぞれ答えました。
「赤」⇒単独:火のイメージから「暖かい」⇒形容語:「暗い・重い・醜い」
「青」⇒単独:空のイメージから「澄んだ」⇒形容語:「暗い」
「黄」⇒単独:光のイメージから「明るい」⇒形容語:「暖かい」
「黒」⇒単独:「つや・固い・重い」 ⇒形容語:「醜い」
「白」⇒単独:「柔らかい・軽い」 ⇒形容語:「澄んだ」
単独の色のイメージも名詞と結びつくとイメージも変わることがわかります。「赤」や「青」が形容語になると否定的な意味合いを連想する人が多かったのですね。どうやら私たちの色に抱くイメージはある程度共通しているようです。
これらの研究には 文学作品から共感覚表現を抽出して分析する試みがなされていました。その結果を見てみるとやっぱり
「赤」は「赤い叫び・殺意・衝撃・疑惑・罠・運命・絆・欲情・闘志」
などの否定的なイメージと結びついています。さらに意外にも
「白」も「白い空虚な場所・嵐・人影・幻覚・死の世界・化け物・亡霊」
と同様に否定的なイメージを持っていました。
「青」では「青い観念的な嫌悪感」「青い息」「青い神経質な表情」「倦怠の青い唄」
などの表現が見出されていて 「重苦しい」様子が伝わってきます。
特に「白」の「白い欲情」「白い眠り」
などは 「気味の悪い」雰囲気を与える表現でした。
共感覚は不思議な感覚ですが私たちの身近な表現によく用いられることがわかりました。視覚で感じる「色」も「冷たい色合い」そして「柔らかい色合い」などと言うときがありますが、私たちの脳裏にはちゃんとイメージが湧いてその表現を理解することができます。
さらに「明るい柔らかさ」「暗いなめらかさ」・・・これはどういう意味なのでしょうか?わかりにくいですが、考えてみるとこれまで覗いてみたこともなかった新しい世界が見えてくるかもしれません。言葉にはまだ使われていない表現がたくさんあるはずですよ♪
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