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【車窓からの風景】「さようなら留萌-増毛線」
また、北国から鉄路が消えた。日本海の荒波を背景に走る留萌-増毛線。この車窓から見える景色も最後となる。95年に渡り、住民の足を支えた鉄道も、今日で長いその歴史に幕を下ろした。 |
僕の好きな駅
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星の名がつく駅を訪ねて(前編)
− JR宗谷本線 北星駅にて −
♪BGMは Danny boy (Eric Clapton)♪
「残暑」から逃れるため遠くまで車を走らせた。市街地を抜け、郊外の「山の中」へと進む。すれ違う「車」もなくなり「民家」も次第に見えなくなってきた。数時間後、辿り着いた先は「無人駅」だった。
風で揺れる「ススキ」の穂。もう日が暮れる頃だ。草木の間から「虫の声」が聞こえる。
「北」へと向かう下り「列車」。行き先は遠い「見知らぬ町」。そこにはどんな「風景」が広がっているのだろう。
ここは宗谷本線「北星駅」。周囲には小さな木造の「待合室」がある。赤地に白の文字の「看板」がこの駅の「目印」。「ガラス窓」が夕方の「空の色」を写し出している。
コンクリートの「床」と古い木造の「壁」。昔からずっと変わらない「待合室」。
「電灯」も「暖房」もない。冬は「隙間」から雪が吹きつける。ここで長い時間、列車を待つ時代もあっのだろう。
星の名がつく駅を訪ねて(後編)
−北星駅に夜が降りるとき− 本日の上り「最終列車」がやって来た。遠くから「閃光」が迫ってくる。
目の前が「パッ」と明るくなった。わずかな時間だけ「停車」する列車。駅の周囲は「空き屋」が点在するのみ。もちろん「乗降客」はいない。
勢いよく「次の町」へと駆け抜けて行く。
小さくなる夜汽車の「後ろ姿」。ディーゼルの「エンジン音」もいつしか聞こえなくなった。そして、僕はひとり「ホーム」に残された。
北海道には「星の名」がつく「地名」が多いと言う。「北星駅」のホームの「電灯」は北の空に輝く「一番星」のようであった。
「夜」も更けてきた。「駅の灯り」だけが「唯一の光」。「闇」の中に明るく光る「星」のようにこの町の一角を照らし続ける。 |
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北の無人駅で過ごした夏の日
−JR宗谷本線 雄信内駅にて−
BGM♪テネシーワルツ♪
木枠の「ガラス窓」と「折り鶴」。窓の向こうには「緑の山々」が見える。
ここはJR宗谷本線「雄信内(おのっぷない)駅」。昔ながらの「木造駅舎」が残る「無人駅」。
駅舎内にある「木製ベンチ」。かつては列車を待つ「乗客」の姿が見られたのであろう。駅周辺は「無人地帯」。「閑散」としていて「人の気配」は感じられない。
駅は「無人化」されて久しい。只今の行事は「空白」のまま。
「大正14年」の開業からずっと駅舎を支えてきた木製の「柱」や「コンクリート」。「疲れ」を見せ始めているがまだ「現役」だ。
線路で「チョウ」が一休みするほど宗谷本線の「本数」は少ない。
遠くから聞こえる「踏切の音」。上り列車が停車するのは「4時間に1本」。静かな駅構内に列車の「エンジン音」が響き渡る。
広い山中へ向かう列車。僕はその「背中」を見送った。
持参したパンと缶コーヒーが今日の「昼食」。コンビニも自販機もない駅。
「国鉄時代」の面影を残す「重厚な駅舎」。僕は「駅周辺」を歩いてみることにした。
駅前通のさび付いた「家屋」。「白い軽トラ」が駐車してあった。「家主」が今も利用しているのだろうか。わずかだが「生活感」がまだ残っている。
昭和40年代までは「食料品店」や「鮮魚店」など「5店舗」がこの駅前通に店を構えていた。当時この駅周辺には「150人」ほどの人が暮らしていたらしい。
店を閉めてからそんなに「年月」が経過していないように思われる。「のれん」がまだ新しかった。
積雪に耐えきれずに「倒壊」した酒屋。赤や黄色の「ケース」が生々しく散らばっていた。
「住む人」を失った家屋。まだ「原型」を保っているが、度重なる冬の「積雪」にどこまで耐えられるだろうか。
玄関先に放置された「オーブントースター」。ここで暮らした人たちの「生活の様子」を想像しながら歩いていた。
しばらくすると「小学校の校門」が見えてきた。「雑草」が生い茂っている。
「昭和57年」閉校を迎えた「雄信内小学校」。各学年の児童が「10名以下」の小さな小学校だった。残された「体育館」は災害時の「避難所」になっている。
閉校した年の卒業生は「1名」。昭和50年以降「過疎化の波」が押し寄せ「離農者」が相次ぎ人口は「激減」していった。
駅前通りから「校舎」を望む。「夏草」に埋もれて「郷愁」を感じさせる。
日本の最北端「稚内」へ向かう宗谷本線。その沿線には昔ながらの「木造駅舎」と住む人のいない「無人の集落」がいくつもあるという。列車を待つ「乗客」・通りを「歩く人」の姿を見かけなくなった今、駅は気まぐれのように立ち寄る「旅人」を待っているのかもしれない。
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昭和の木造駅舎が残る街
−変わりゆくもの・変わらぬもの−
♪BGMは中島みゆき「時代」♪
道北の小さな街「秩父別」(ちっぷべつ)。昭和9年に建てられた「木造駅舎」が今もひっそりと「街角」に佇んでいます。屋根にずっしりと重く「のしかかる雪」。幾度となく訪れた北国の「厳しい冬」を耐え抜いてきました。ここには時が流れても「変わらない風景」があります。
「白い息」を吐きながら次の列車を待つホーム。
「凍てつく空気」を切り裂くように「眩しい灯り」を放つ夜汽車。
雪で閉ざされた北国で暮らす人々の「大事な足」。
わずかな「停車時間」に足早に降りていく乗客たち。今までどれほど多くの人がこのホームを「行き交った」のでしょうか。列車はまた「次の駅」へと向かっていきます。
「漆黒の闇」と「白い煙」を吐きながら進む列車。切なく感じる「後ろ姿」。
雪国の駅には欠かせない除雪用の「スノーダンプ」。
待合室に置かれた「駅ノート」。この北国の小さな駅を訪れた旅人たちの「メッセージ」が記されていました。
「石油ストーブ」を囲むベンチ。初めて訪れる人も「優しく」迎え入れる「暖かさ」がここにはあります。
駅から少し歩くと出くわす「繁華街」。「小さなネオン」が通り行く人に「安心感」を与えています。
「旅の疲れ」を忘れさせてくれる街外れの「旅館の灯り」。
静かな通りを照らす「ネオン」。楽しそうな「笑い声」が聞こえるのは「土曜日の夜」のいつものこと。
地域で暮らす「土の人」そして一時だけ身を寄せた「風の人」を誘う灯り。多くの人が「集い」そして夜が更ければ「離れて」いく。この繰り返しをずっと見守ってきた「ネオン」。
昭和の駅舎が残る小さな街。これまで、そこに「暮らす人々」を支え・そこを「訪れる人々」を迎え入れきました。時の移り変わりと共に「変わりゆくもの」と「変わらぬもの」があります。この小さな街にある「昭和のぬくもり」もこれからも残り続けていくことでしょう。
「昭和」から「平成」へ。そして「四半世紀」が経過しようとしています。
これから先、私たちは「どんな時代」を思い出すのでしょうか。
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