Clip-Clopの新しい発見

訪問ありがとうです。北海道から「駅・自然」そして「廃線・廃校」など心に残る風景をお届けしています♪ よろしくお願いします♪

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虹の岬の喫茶店−第4章<冬>♪Love Me Tender−

仕事帰りに立ち寄った書店で見つけた「小説」「表紙絵」「タイトル」に惹かれて手に取ったのは「虹の岬の喫茶店」森沢明夫(幻冬舎)でした。
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「トンネル」を抜けたら、ガードレールの切れ目をすぐ「左折」。雑草の生える「荒地」を進むと、「小さな岬」の先端に、ふいに「喫茶店」が現れる。そこには、とびきりおいしい「コーヒー」とお客さんの「人生」にそっと寄り添うような「音楽」を選曲してくれるおばあさんがいた。彼女は「一人」で喫茶店を切り盛りしながら、ときおり窓から「海」を眺め、何かを待ち続けいていた。

その喫茶店に引き寄せられるように「集まる人々」−妻を亡くしたばかりの「夫と幼い娘」、卒業後の進路に悩む「男子大学生」、やむにやまれぬ事情で喫茶店へ盗みに入った「泥棒」など−「心に傷」を抱えた彼らの人生は、その喫茶店とおばあさんとの「出逢い」で、「変化」し始める。(本の帯より)


岬に「ポツン」とある喫茶店。このようなお店が「あったらいいな♪」・ここでゆっくり「とコーヒーを飲んでみたい♪」と思い、そのまま「レジ」へ(^^)/

最も印象に残ったのは 第4章<冬> Love Me Tender でした♪


会社定年後も役員を務めていた「初老のタニさん」。彼はこの喫茶店の「常連客」。ずっと「独身」で過ごしてきた彼は、この喫茶店のおばあさん「悦子さん」「暖かさ」に惹かれ「淡い恋」をするようになりました。その彼は店に来ると決まってこの曲♪Love Me Tender♪をリクエストしていたのです。Love Me Tender「優しく愛して」…。きっと自分の「想い」をさりげなく伝えたかったのでしょう。(自宅の「レコードプレーヤ−」を撮影しました)
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しかし、「不況」の煽りを受けて会社は「人員整理」を行うことに・・・。タニさんも遠くへ「異動」をすることが決まりました。もうこの店にも来られなくなります。そして、いよいよ出発の日。彼は新地へ「フェリー」で旅立つことにしました。それは、このフェリーが喫茶店のある「岬の前」を通過するからです。彼は「甲板」に立ち「双眼鏡」を覗くと岬には「手を振る」悦子さんの姿が目に入ってきました。やがて、フェリーは岬から遠ざかり「彼女の姿」も次第に小さくなり見えなくなります。「さようなら」・・・別れの時です。彼の「人生の一幕」が終わりを迎えようとしていました。


とたんに、自分の内側に「空っぽ」が溢れだして、胸が「いっぱい」になった。「空っぽ」で胸が「いっぱい」になるなんて「矛盾」だよな。「ふぅ」と色々なモノを吹っ切るような大きな「ため息」'をついて、ジャンパーの袖で少年のように「涙」をぬぐった。(抜粋)


外は降り止むことのない「雪」。こんな日は暖かい「コーヒー」を飲みながら「読書」を楽しみましょう♪お気に入りの「木のカップ」です。
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たまたま見つけた本が「愛読書」になったりと書店に「ふらり」立ち寄るのもいいものですね。

いつも「訪問&コメント」ありがとうございます。「寒い日」が続きますがどうか健康にお気を付けて「冬」をお過ごしください。ではでは(^^)/
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3年前小林多喜二「蟹工船」(1929)が若い世代を中心にベストセラーになりました。船員たちの「厳しい労働条件」を描いた「蟹工船」の世界観「非正規雇用」「所得格差」などの「経済不安」に通じるものがあったからでしょう。このような「労働者の厳しい現実」を描き「その苦しさからの解放」を訴えた作品は「プロレタリア文学」と呼ばれています。今回はその「プロレタリア文学」の一作品を読んでみました。

「キャラメル工場から」−もうひとつのプロレタリア文学−

蟹工船と同時期に発表された佐多稲子「キャラメル工場から」(1928)も「労働者の姿」をありのままに描いています。作品名の「キャラメル工場」から「チャーリーとチョコレート工場」などファンタジーな内容を想像してしまいますが、実際には作者が幼少期に体験した「少女たちの集団労働」の現場が描かれています。
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<時代背景>
大正時代以降は大都市に「資本」そして「工業」が集中するようになり東京にもたくさんの労働者が流れ込みました。しかしこのような都市への人口の流入は「貧富の差」を大きく拡大することになったのです。上京した佐多さんの一家もこうした都市への流入者の一家族でした。
大正4年「主人公のひろこ」は尋常小学校5年生の11才でした。上京した父親は東京での新しい生活に適応できず自ら仕事を探そうともしません。同居していた父の弟も病気で床についたままでした。母親の内職だけでは暮らしていけず一家は生活に窮していたのです。そしてある晩新聞で「キャラメル工場の求人」を見た父は
「ひろ子も一つこれに行ってみるか。」
と思いつきのように言い出しました。父親はひろ子の気持ちなど全く無視して話を進めてしまいます。こうしてひろ子は「一家の窮状」を助けるべく「キャラメル工場」「女工」として通うことになったのです。
「少女たちの集団労働」の現場から
ひろ子はまだ薄暗い中、朝ご飯を済ませ急いで仕事へと向かいます。工場には「遅刻」がありません。工場の門が閉められるのは「朝7時」です。少しでも遅れるとれるとその日は否応なしに休まされました。彼女たちの「わずかな日給」から遅刻の分を引くのが面倒だったからです。

工場では「すきま風」が遠慮なく吹き込む中で「立ち仕事」が延々と続きました。夕方には足が棒のようにつり、体中もすっかり冷え込み「目まい」「腹痛」を起こす子もいました。
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従順に働く女工たちでしたが、退勤前にはキャラメルを無断で持ち帰らないように毎日チェックを受けました。「袂」・「懐」・「弁当箱」の中を全て調べられたのです。みんなは自分の番が来るのを「吹きさらし」の中、ずっと立って待っていました。
「無計画な父親のために」
女工たちは「徒歩」で通える所に「働き口」を探すのが普通でした。しかし、ひろ子の父親が選んた工場は電車で40分もかかる所にあったのです。実は彼女の日給は電車賃を引くといくらも残らなかったので働いても意味がありませんでした。

さらに、工場の求人は「13才以上」と定めてありました。ですから、実際は11才だったひろ子は13才と偽って働いたのです。他の女工たちよりも体も小さく幼いため上手にキャラメルを包むことができません。夕方までにみんなはキャラメルを「5缶」仕上げてもひろ子は「2つ半」が限界でした。やがて工場の賃金は「出来高制」に代わり「2つ半」しか仕上げられないひろ子の賃金は「3分の1」に減らされてしまうのです。

それが原因でひろ子はわずか1ヶ月でキャラメル工場を辞めることになりました。
「郷里の学校の先生からの手紙」
その晩、ひろ子は「もう働きに行かなくていいんだ」と思いと久しぶりに「安心」して眠りに就きました。ところが、またもや父親の思いつきで今度は「中華料理屋」「住み込み」で働かされることになったのです。ある日小学校時代の先生から手紙が来ました。その手紙には次のように書いてありました。
だれかから、なんとか学費をだしてもらうよう工面して−たいしたことでもないのだから、小学校だけは卒業するほうがよかろう
ひろ子は仕事中唯一自由になれる「便所の中」に隠れて手紙を読みました。暗い便所の中で何度も読み返しては「涙」を流したのです。この時は既に「住み込み」で働いていた彼女に「学校に戻る道」はほとんど残されていませんでした。自分の道を選べずに、変えられずにどれほど悲しい思いをしたことでしょう。

今から100年前のお話です。日本では「児童労働」が存在し、ひろ子のように小学校にも行けず悲しんだ子供も数多くいたはずです。「少女たちの集団労働」の現実を知り「豊かな今」「しあわせ」・「ありがたさ」を改めて考えさせられました。

道北の冬は「白一色の氷点下の世界」です。「寒さで張りつめた空気」「けがれのない一面の雪景色」が私たちを包み込みます。小説家三浦綾子さんもこの道北の旭川市で生まれ、生涯の作家活動を旭川で過ごしました。三浦綾子さんの多くの作品は「雪で閉ざされた厳寒の冬」を背景としています。今回、僕が手にした「塩狩峠」も北海道で起きた史実を基に描かれたものです。

小説 三浦綾子の「塩狩峠」の足跡と面影−JR北海道宗谷本線 塩狩駅にて−


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「塩狩峠」(昭和43年)の舞台背景

この作品は明治42年に北海道の和寒町で起きた鉄道事故が基になっています。塩狩峠は勾配の険しい峠で、かつては宗谷本線の最大の難所でした。
自らの命を犠牲にして事故を防いだ若き鉄道員
明治42年2月28日の夜、列車が峠の急坂を登りつめたときのことでした。突如、最後尾の客車の連結器が外れて、その客車だけが後退し始めたのです。暴走する客車、声もなく恐怖に怯える乗客。その車両に乗り合わせていた鉄道員 長野政雄さんはとっさの判断で線路に身を投げ出して客車の下敷きとなり、暴走を食い止めたのです。列車は転覆を免れ、乗客は無事に助かりました。彼は自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救ったのです。

神聖な空気さえ感じる「塩狩駅」

駅構内を歩いていたときにイメージしたのは 賛美歌 Amazing Graceでした。どうか記事といっしょにお聴きください♪


道北の和寒町(わっさむ)にある「塩狩駅」は峠の頂上に位置しています。幹線道路から外れ山の中へ少し入ると遠くに「しおかりえき」の駅標が見えてきました。

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「塩狩駅」は峠の森の中でひっそりと佇んでいました。屋根にはずっしりと雪が積もり、厳しい冬に「じっと耐えながら」この地に立ち続けているかのようです。

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遠くを見渡すと線路が山の奥深くまで続いていることがわかります。厚い雲に遮られて冷たく輝く「冬の太陽」辺りを包む「静けさ」から「神聖な空気」さえ感じました。

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ホームの近くには「長野政雄殉職の地」碑が建っています。一昨年は塩狩峠事故から100年を記にこの記念碑前に大勢の人が集まり、ろうそくを手に賛美歌と祈りをささげました。

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長野政雄さんはキリスト教徒でした。三浦綾子さんは「自ら信ずる神のために自ら犠牲となり、乗客の命を救った」と信じてこの小説を書いたはずです。

待つ人のいないホームに各駅停車の列車がゆっくりと入ってきました。

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乗降客はおらず新しい動きを見せることなく列車は遠くに去っていきます。ディーゼルのエンジン音だけが広い山中に木霊するように鳴り響きます。

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そして駅はまた静けさを取り戻すのです。

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駅の右手には「塩狩峠記念館」があります。三浦綾子さんの旧宅を復元移設したものです。館内では作品の資料なども展示され、執筆活動に従事した生活空間も再現されています。

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小説「塩狩峠」は鉄道員の「信夫」と「ふじ子」の純愛に強く心を打たれました。二人は一切のけがれもない真っ白な雪のようにきれいな心と愛を最後まで貫いたのです。ふじ子は生まれつき足が悪く肺病を患っていましたが、信夫はふじ子を熱心に見舞い、病状の回復を何年も待ち続けました。
「必ず、あなたはなおって、ぼくのお嫁さんになるんだ。どんなに長くかかっても、必ずなおってくれなければ困る。しかし、なおらなければなおらないで、ぼくは一生他のひととは結婚しませんよ」

「ふじ子さん、人間にとって一番大事なものは、体だとでも思うんですか。ぼくはそうは思いません。ぼくには体より心のほうが大事です」

信夫の献身的な愛情でふじ子は奇跡的な回復を見せ、二人は結婚することになったのです。そして結納の日非情にもあの事故が起きてしまいます。死亡事故のことを知ったふじ子は、それでも駅に行って信夫を待つのでした。

「約束通りこの汽車で来るにきまっている。迎えに出ると約束した以上、自分は改札口で信夫を待っていなければならない」

気づいたら僕はでページがかすんで読めなくなりました。小説で涙したのは初めてかもしれません。二人の気持ちを考えると「切なくて」「辛くて」胸がいっぱいになってしまうのです。ですからこれ以上内容に触れることは止めますね。

国道に戻り峠の手前にあるパーキングで休憩をしました。温度計を見ると「マイナス10℃」を指しています。

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もうずいぶんと長い間、外を歩いたのですっかり体も冷え込んでいました。北海道では1年で最も長い季節は冬です。これからも幾日も雪と寒さを乗り越えて冬が明けるのを待たなければなりません。しばらくは雪景色とも長い付き合いになりそうです。
今でも時々10代の頃の「つまずき」「あやまち」を思い返すことがあります。多感な時期に経験したからなのでしょうか?なぜか確かな「記憶の感触」が残っているようです。あれからずいぶんと経つのに不思議ですね。

今から考えると「あんなことで悩んでいたんだ・・・」と述懐することが多いのですが、あの時、当事者は真剣で、脳と心の全てが「いっぱい」になってしまうほど切実な問題だったんですね。

本来なら10代後半で読むべきでしたが、「思い煩うこと」を避けることのできなかったあの頃の自分にそっと伝えたい本を先日見つけました。今回はとりわけ共感を覚えた内容のいくつかを紹介します。

『大人になる前に身につけてほしいこと』板東眞理子(PHP研究所)

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第1章 友達づきあい 失恋や片思いを大事に

今は中学生でも「彼」や「彼女」がいる人はめずらしくありません。異性を好きになったら、すぐにその気持ちを相手に告白し、ノーと言われれば、さっさと別の人をさがせばいい。好きな人がいても、相手から拒否されるのがこわくて、その思いをなかなか相手に打ち明けられないなんて、かっこ悪いこと。そう思う人は多いかもしれません。

確か・・・僕にもこのように考えていた時期があったはずです。その気持ちはわかります。でも次のような考え方ってあの頃はできなかったもしれません。

好きな人ができたらすぐに告白する、というのは、単純すぎて、恋の一番大事な部分を経験しないことになります

恋は思いを打ち明ける前の、片思いのあいだのほうが心がときめき、喜びも大きいものです。相手と目が合った、話しかられたなど、ほんのささいなことがあっただけでも、幸せな気持ちでいっぱいになります。

相手は自分をどう思っているのだろうかと思いをめぐらせる時間は、不安ばかりでなく、甘いときめきをもたらします。相手にふさわしい人間になろうと努力するエネルギーにもなります。

自分の思うようにならないものだからこそ、恋は心をふるわせるのです

江戸時代や戦前は、恋愛の自由はほとんどありませんでした。自由でないなかで、かえって激しい恋愛が生まれました。それよりずっと前の平安時代は、比較的恋愛が自由で、人々はたくさんの恋の歌(和歌)を残しています。なかでも千年経った今も心をゆさぶるのは、悲恋や片思いなど、思うようにならなかった恋の歌です。

現代でも、ひそかに胸にしまっている恋や、片思い、自分の思うようにならない恋が、その人の感情を豊かにし、魅力を高めてくれるのではないでしょうか

思いを伝えるだけの勇気がないから行動力がないからと自分を卑下することもありましたが、片思いも立派な恋の姿だったんですね。

自分が好きなのに相手が自分を好きになってくれない、つきあっていても相手が自分ほどには好きになってくれないのは、つらいものです。でも相手の気持ちと自分の心は同じではないのです。努力すればうまくいくとは限りません。

これだけ思っていても振り向かない相手に対して時には「腹立たしさ」を感じることがありましたが、それだって相手の気持ちを考えていない「独りよがり」の現れともとれます。

無理に相手に合わせたり、何度も電話をしてもうまくいかないことが多いです。他のことで気を紛らわしてその人のことを考える時間を短くなるようにしてみましょう。仕事や勉強に打ち込んで忙しくしてましょう。いつのまにかひりひりしていた心がおだやかになっているはずです。

こう思えたらよかったのだけれど、かつての自分に教えてあげたいくらいですよ。

その人を優しい気持ちで見ることができるようになったら、一歩大人になれます。心が優しくなると新しい人と出会えると思います

上手くいかなくても、「イエス」と「ノー」をハッキリさせられなくても「それでよかったんだ」という考えを当時は受け付けようとしませんでしたが、同じ思いを持った10代の子に読んで欲しい1冊です。

タイトルに惹かれて
パラパラと立ち読みしながら目についたのは「途中下車」の文字でした。この「途中下車」という言葉からは「一人旅」「ふらりと降りた見知らぬ駅」「立ち寄った知らない町」などが思い浮かびます。日常から遠く離れた空間に身を置く楽しみが感じられるのでお気に入りの言葉の1つです。いつか時間と余裕ができたら旅にでも出掛けたいと思いながら、今回は作家 宮本輝さんの若き日の「途中下車」のお話を読んでみることにしました。

途中下車−宮本輝 『二十歳の火影』から−

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大学受験のために上京
友人と乗った東京行きの列車の中。心細さと不安の中、友人と二人で静かに窓外の景色を見ていました。しかし、後に彼らの様相は一変します。京都駅に着いたとき、ある女子高生が乗り込み、二人の隣の席に座りました。彼女は滅多にお目にかかれないような美人だったのです。

意識して落ち着かなくなった彼ら二人でしたが、友人が意を決して話しかけたのです。その後、三人で話すようになり「彼女は京都の大学を受験して伊豆の大仁へ帰る途中」であることがわかりました。彼女もうち解けてきて、最後には「三人が無事受験に成功したらどこかで逢ってお祝いしよう」などうれしい言葉と微笑を残して三島で降りていきました。

親不孝な途中下車
二人の心はその言葉にすっかり乱されてしまい「今年は受けてもたぶん落ちると思う」「1年浪人して来年京都の大学を受けたい」と本気で言い出し、東京での宿泊費を「あの子がいる」伊豆の旅にまわすことにして熱海で降りてしまったのです。これはずいぶんと親不孝な途中下車ですよね。

彼ら二人は伊豆の温泉につかりながら伊豆の大仁のどこかにいる「きれいな女子高生」を思い浮かべていました。住所も電話番号も教えてもらっていたのに、二人はその紙切れを見つめるだけで何もしませんでした。

半年後の電話
もちろん大学には受からず浪人生活が始まります。それでも、二人の心の中からは「電車で知り合った女子高生の面影」は消えることなく、逢うとその話ばかりしていました。彼女が京都の大学に受かったかどうか気になって仕方がなかったのです。

それから半年後のある日、じゃんけんで負けた方が彼女の実家に電話をかけることになりました
以下は抜粋です。
私が負けて、ダイヤルを回すと、ちょうど何かの用事で京都から帰ってきた彼女が出てきた。無事試験に合格し、京都の親類の家に下宿しているのだという。

「ところで、あなた、二人のうちのどっち?」

と彼女が訊いたので、私はほんの冗談のつもりで友人の名前を言った。
すると、しばらく考えて彼女はこう囁いた。

「逢うのなら、あなたと二人だけで逢いたいな」

私はだまりこくったまま、じっと電話をにぎりしめていた。そしてそのまま電話を切った。
18才の私は打ちひしがれて、ほかにどうしていいのかわからなかったのである。

何度も目を輝かせながら友人は「彼女の近況」を尋ねてきましたが、「彼女は受験に失敗して働いている」「もう電話などしないで欲しい」と言って電話をガチャンと切られたとをついたのです。友人は「見事にふられたなぁ」とペロリと舌を出して笑っていました。

確かに、自分を振り返り、そう言えば「そういう恋愛の終わりってあるよな」と思いました。「電話を切ったときの気持ち」「友人に嘘をついたときの気持ち」まるで自分のことのようにわかる気がしました。

最後に著書は次のようにエッセイを締めくくっていました。
このことはいつまでも私の中から消えなかった。自分がついてきた数多くの嘘の中で、この嘘だけは決して自分でも許すことができなかった。私がいまそれを文章にできるのは、にっくき恋敵であるその友が、交通事故で死んでからもう10年たったからである。

初めての「途中下車」は「恋」そして「嘘」が重なって忘れられない経験として心に残っていたんですね。人によってそれぞれの途中下車があることにも気づきました。それぞれに辿ってきた道のりも違うのですから、途中下車によって感じることや思い浮かぶことだってきっと違うんですね。このお話はなぜか何回も読み返してしまうほど気に入っています。

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