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いつもは英語に関する記事が多いのですが、母語である日本語にも目を向けてみることにしました。最近、漢字についての面白いエッセイを読む機会がありましたので紹介したいと思います。正直なところ漢字は苦手です。部首が異なれば意味も変わり、筆順も固定されていますので、漢字を使うときはいつも神経を使います(T_T) 漢字の形状と意味の結びつき 日本語の漢字は表意文字と呼ばれています。漢字にはそれ自体に意味があります。例えば、象・像・増・憎・造でも全て同じ「ぞう」と読まれますが、意味は全く違いますよね。漢字は「音」よりも「形」が意味と緊密に結びついています。 次のエッセイ集にある「漢字と遊ぶ」(吉野弘著)を読む中で漢字が持つ意味に改めて考えさせられました。 父と母の昔話 - '96年版ベスト・エッセイ集 日本エッセイスト・クラブ【編】(文芸春秋) 「裏」が含む「表」 「裏」という漢字には「表」という漢字が含まれています。確かに、人間や物事の表面だけでは、その裏側(実質)はわからないことが多いです。しかし、裏を知れば表もわかることってありますよね。 著者の吉野さんは自詩を紹介されていました。 表裏 「裏」の中に「表」があります 裏を見れば表もわかるのが世の常 「表」だけは目を凝らしてみても、その中に 「裏」を読み取ることが出来ません 目に見える表の姿と目に見えない裏の姿を知ることで初めて本当の姿がわかるということに気付かされました。 次の漢字が持つ意外な共通点を知り、今回の記事のタイトルにしてしまうほど印象深いものとなりました。 「幸」が含む「辛」 確かに「幸」という漢字の中に「辛」が含まれていますが、「幸い」という状態が「辛さ」を隠しているのはちょっと矛盾していますし、それは「本当は幸せではない」かのように思われます。 しかし、この「幸」「辛」の二字の関係について次のように解釈ができるようです。 「辛さ」を乗り越えて知る「幸い」 幸せという心情は、「幸」に浸りきっている状態ではなかなか意識出来ず、むしろ挫折を経験してその「辛さ」を克服したときに強く意識する心情だろう 今の自分に「不満」なときも「満足」しているときも過去を懐かしく思い返すときがありますが、そのときの過去の自分は今の状態と反対で「楽しい」また「苦しい」状態だったかもしれないですね。ここにも「幸」と「辛」の結びつきを感じることができます。 「裏と表」「表と裏」のように一方が他方を含むことを「包含関係」にあると言いますが、その他にも包含関係にある二字はいくつもあります。 失と矢・任と仕・理と埋・舌と古
古と占・往と住・金と全・幼と幻 感と惑・侍と待・衰と哀・友と反 上の中で「金」と「全」は『金が全て』『地獄の沙汰も金次第』と読むこともできますね。 「感」と「惑」については次のような自詩を紹介されていました。 感と惑 「感」の中には惑に似た部分があります 感じるということは幾分か 惑い似た心情かも知れません 惑うほど豊かな感受性に 恵まれたいものです 物事に「感じ」やすい人ほど「惑い」やすい人なのではないかと思いこの詩を書かれたようです。僕にも思い当たることがあります。 エッセイの最後には「どうか読んで遊んでみてください」ということで似ている二つの漢字があげられていました。 純と鈍・老と考・幕と暮・折と析
思と恩・仰・抑・努と恕・王と正 この中で著者の吉野さんは「王」と「正」を『王であることと正であることは両立しないようです』と解釈しています。正義を呼称していた武将が王の地位に就いたとたん、正義とは無縁になってしまう例がいくらでもあったからだそうです。歴史を顧みると「確かに」と思えます。 他には「純と鈍」「老と考」「幕と暮」などなど多くの例がありますが、「どのように二つの漢字が関係しているか?」を考えるのはちょっと面白いですね。正解は考える私たちの中にありますので発想も自由ですよね。 長めの内容でしたが最後まで読んでいただいてありがとうございました(^_-)-☆
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