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訪問ありがとうです。北海道から「駅・自然」そして「廃線・廃校」など心に残る風景をお届けしています♪ よろしくお願いします♪

旅の中から(廃墟・廃線編)

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2011年 夏「廃校にて」−青空と緑の中で−

北国にも「夏」が訪れました。外を歩くと眩しい日差しの中「涼しげな風」「乾いた空気」に包まれます。見渡す限りの「広大な農地」が僕が暮らす町の風景です。

青空と緑の風景はこのBGMがよく似合います♪「北の国から−純のテーマ−」
畑に点々と転がっているのは酪農地帯の風物詩「牧草ロール」です。このような「草の刈り取り」は初夏から秋にかけて行われ、後に「牛たちのエサ」となります。
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晴れた日の午後は「いつもとは違う道」を歩いてみることにしました。「青空と緑」の中で道は「どこまでも真っ直ぐ」続いています。
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すると「見慣れない光景」が目に入ってきました。どうやら「廃校を迎えた木造校舎」のようです。今も残る「校門」「石像」がここは「かつて学校だった」ことを伝えています。
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ここは幌加内町の「長留内(おさるない)」という地域です。この「長留内小学校」の開校は明治44年。遠い昔に「農地開拓」で多くの人が入植してできた集落でした。閉校は昭和55年。この地域ではもう随分前に「離農」が進み人々が去っていったことがわかります。
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「壁の一部」ははがれ落ち「窓」もふさがれていますが「校舎」は当時の様子のままこの地に佇んでいます。

この小学校は現在「長留内会館」として生まれ変わり「第二の人生」を歩んでいます。きれいに維持されているのはそのためだったのですね。
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まだまだ丈夫な「木造校舎」はこれからも「地域の人たち」が集う場所として頼りにされていくはずです。

玄関の「窓ガラス」が青空を映しだしていました。とても「澄んで」いて校舎全体が「活き活き」「若返った」気がします。
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子どもたちが遊んだと思われる「グランド」も今では草原となっています。自然に覆われた校舎の周りでは「風の声」「森の音」そして「鳥のさえずり」だけが響き渡っていました。
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昼下がりも終わりそろそろ「日が暮れる時間」です。夕日が「開校記念の石像」を照らしていました。遠くを指さす「子どもの姿」「希望」の文字が少し「寂しく」感じられます。もうここに「子どもたちの笑い声」がこだますることはないのです。
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いつもとは違う道をあるいて見つけた「廃校の木造校舎」。そこで過ごした「何気ない時間」も2011年の「夏の思い出」の一つです。北海道の短く「束の間の夏」。だからこそ「晴れた日」はできるだけ外に出て「夏の風景」を楽しみたいと思うのでした。

BGM「我が祖国−モルダウ−」(スメタナ)♪


ダムの底に沈んだ町−幻の風景−

町境の峠に続く「森林の道」。辿ってきた道を見下ろすと「ダム湖に浮かぶコンクリートの建物」が見える。まるで「ヨーロッパ」の川沿いに残された「古城」のようだ。ここは道北「士別市」にかつて存在した「伊文」と呼ばれる地域。今は、山中に残る「廃墟」だけが、そこに「人の暮らし」があったことを伝えている。
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その「集落へ通じる道」を歩いてみた。道の先にあるのは「自然」で覆い尽くされ、跡形もなくなった「町の姿」であった。水面は夏の空を映し出していて「澄んだ青い色」をしている。
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そして、遠くに見えた「コンクリートの建物」がその姿を現す。この「廃墟」は何の建物だったのだろう。「無機質」なコンクリートは何も教えてくれない。自然の中で「不気味」な存在感を放っているだけだった。
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戦後間もない頃の「伊文」の様子。ダム建設前は「小学校」もあり、小さな集落を形成していた。
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創立は明治時代に遡る「伊文小学校」。昭和34年には「開校50周年記念式」が行われたほど歴史のある学校であった。
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現在は湖が町全体を覆っているのがわかる。ダム建設が始まった「昭和49年」に住民は全戸移転。町は自然に還っていった。
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見渡す限り広がる「雄大な自然」。耳に届くのは、木々を渡る「風の音」と山中に響く「鳥の声」
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周辺の木々は根が灌水して枯れていた。「緑を失ったモノトーンの木々」は、まるで、ダム工事によって「絶え果てた町」の様子を象徴しているかのようだった。
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この町を「故郷」としている人もきっとどこかにいるだろう。「さようなら・・・」と僕はダム湖畔を後にした。
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農村地帯の廃校の風景−中幌糠分校の今−

郊外の農村地帯を訪ねて
道北の「JR留萌本線」の沿線上にある「幌糠駅」(ほろぬかえき)。郊外に広がる「農村地帯」にこの駅はあります。駅前には民家や商店が連なっていてそれなりに大きな集落が形成されていました。この「幌糠」の歴史は古く「町」の始まりは「明治期の開拓」まで遡ります。
明治時代「富山県からの移住者」がこの山林地帯を開拓し「集落」が生まれました。今でもこの地域の祭りでは富山県から伝えられた「越中獅子舞」を見ることができます。開拓で入植した人が「故郷を偲んで」始めた「郷土芸能」がこの北海道の山間の集落で受け継がれているのです。

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駅前の小市街から少し奥に入り延々と広がる「水田地帯」を歩いてみることにしました。雲間から覗く「青空」と畑を黄色に彩る「菜の花」など爽やかな「初夏の景色」が目に入ってきます。
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開拓の名残りの小さな集落
さらに進むと民家もほとんど見えなくなり「中幌糠」(なかほろぬか)という集落にたどり着きました。開墾された田畑も「荒れ地」となっています。周囲には「廃屋」が点在するだけで急に「寂しさ」が漂ってきました。この集落は「離農」「離村」が進み既にほぼ「無人地帯」となっていたのです。

BGMは坂本龍一 Solitudeです。よろしければ一緒にどうぞ♪


風で揺れる「草の音」だけが聞こえる「薄暗い林」から学校らしき建物が姿を現しました。この建物は「幌糠小学校中幌糠分校」という小学校の校舎です。開校は「明治38年」。かつてはこの山間にも大きな集落があったのでしょう。しかし「昭和58年」には児童がいなくなり閉校を迎えています。おそらく昭和後期には「過疎化」が急速に進んだと思われます。
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閉校から30年近くが経過しているのに校舎は倒壊することなくこの地にしっかりと残っています。そして「校舎内の様子」も閉校当時から変わっておらず「時の流れが止まっている」ように感じました。
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教室には「卒業生のことば」が残されています。「この地で育った人の思い」がこの校舎を支えているのかもしれません。ここは「思い出が詰まった」校舎なのです。
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廃校になった今でもこの学校は「卒業した子どもたち」が懐かしくなって戻ってくるのを待っている気がしました。だからこそ「天井」が崩れても「床」が抜け落ちても倒壊するわけにはいかないのです。

幾度となく訪れた「厳しい冬」に耐えかねたのでしょうか。「体育館」のように見えた建物は積雪の重みで「倒壊」していました。新緑の草木に覆われて「自然と一体化」しているかのようです。
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足下にあったのは卒業生が「記念に残したメッセージ」でした。草木に覆われているこの山間にも「子どもたちの笑い声」が響き渡った時期が確かにあったのです。この校舎が開拓時代に築かれた集落の「証」となりこの地に「人の生活」があったことを伝え続けて欲しいと願います。
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帰り道に後ろを振り向くと曇り空の下、放置された「廃バス」が目に入ってきました。まるで「人の生活」が消えかかっている「集落の悲哀」を表現しているようでした。
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明治時代の開拓によっていくつもの集落が形成された北海道。しかし今「山間部の農村」では、既に住民は去り「学校」だけが置き去りにされているのが現状です。学校はその地に残り、通り行く人に今でも「開拓の足跡」を伝えています。開拓から「1世紀以上の時」が流れ、残された建物もいつかは「朽ち果て」「自然に制圧され」「手つかずの山林」に戻っていくのでしょう。山深い所にある小さな集落にも「辿ってきた歴史」があることに気づかされた日曜日でした。
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「隣の駅までの距離が34km」
「道北」「道東」を結ぶ「JR石北本線」。この路線には延々と「駅のない無人地帯」が続く区間があります。なんと道北の「上川駅」と道東の「上白滝駅」の間は「34km」もあって駅と駅の距離としては「日本最長」なのです。今回はその石北本線にある「何もない空白の区間」を歩いてみることにしました。

時刻表から消えた駅たち−JR石北本線の空白区間を歩く−

峠を貫く石北本線
北海道のほぼ中央に位置する道北の「上川町」。この「上川町」「道東」「隣接」していますが、その境目には「標高800m以上」「北見峠」が立ちはだかっています。石北本線はこの「険しい峠」「長大なトンネル」で突き抜けているのです。この峠は「何もない森林地帯」に見えますが「その麓から頂上付近」にかけて「時刻表から名前を消した駅」がいくつもあります。峠を車で走る際に「線路沿い」に目を向けると「駅跡」「廃駅」が点在しているのがわかります。
「天幕駅(てんまくえき)」(平成13年廃止)
「最初の廃駅」「峠の入り口」にありました。この「天幕」という地域は明治時代後半に「入植者」を迎え形成された集落です。駅が開業したのは昭和4年。当時は「林業」で栄えていたと言われています。林業の「衰退」と共に人々は町を去り、昭和後期には駅周辺は「無人化」していたのだそうです。現在は駅舎は解体され「記念碑」がその地に建てられています。
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駅跡の周りを歩くと「天幕小学校」の石碑を見かけました。学校があるのはそれなりの規模の集落があったからでしょう。「昭和51年の閉校」から長い年月が流れ敷地内に残っているのは「コンクリートの土台」のみでした。
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付近を歩いてみると生い茂るの木々の中から「電話の中継所」が姿を現しました。積雪で屋根が抜け落ちています。いつの時代まで使われていたかわかりませんが、この地で朽ち果てるのを待っているだけなのかもしれません。
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ここは駅が廃止されるずいぶん前から「利用者は皆無」だったに違いありません。ただ駅跡から少し離れたところに民家もあり「人々の生活」を感じることができました。それでは次の駅跡に向かって峠の中腹に近づいてみましょう。

「中越駅(なかこしえき)」(平成13年廃止)
国道をさらに進むと道路沿いに「古い駅舎」が見えてきました。「中越駅」は峠の中腹に位置しており現在は駅業務を終了して「信号場」になっています。信号場とは列車が待機するために停車する場所なのだそうです。周りは「深い山」で囲まれていて見渡す限りの「原生林」が広がっています。今では「家の跡」すら見つけることもできません。
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この地にも昭和中期までは「林業を中心とした集落」があったようです。「小学校の跡地」もあると聞いたことがあります。峠の麓の山深い場所だったせいか林業が衰退すると住民はいなくなり昭和後期には「無人地帯」となりました。すでに「廃屋」すらも見当たらず人々がこの地を去ってからもうずいぶんと長い時が流れているようでした。

「上越駅(かみこしえき)」(昭和50年廃止)
峠を登っていくと道路脇にはまだ「雪」が残っています。上川町は「豪雪寒冷」な地域。さらに「峠の頂上付近」は気温も低いためこの時期でも雪が解けきらないのです。
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上越駅は国道から脇道にそれた林道沿いありました。ようやく雪解けを迎え「ふきのとう」が顔を出した道を歩くと「つり橋」が見えてきます。橋の向こうには「線路」も走っているので「かつての駅舎」もきっとそこにあるはずです。
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橋の向こうには今は「信号場」として運用されている「上越駅の駅舎」が現れました。「標高634m」と峠の頂上付近にあった駅。信号場としても北海道では「最も高いところにある」と言われています。
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ちょうどこの真上を「高速道路」が走っています。人や車の流れも完全に変わってしまい、ほとんどの人がこの山奥にある駅舎に気づくことはもうないでしょう。
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この線路の向こうは峠を貫く「長大トンネル」へとつながっています。そのトンネルを抜けると道東の「遠軽町(旧白滝村)」です。今は廃駅となった「奥白滝信号場」もそこにあります。その「奥白滝」という地区も昭和中期には「無人地帯」となり今は「元の自然の姿」へと戻ろうとしています。
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このような「峠の奥深い地」に本当に集落があったのかどうかはわかりません。上越地区の「生活の様子」については今でも聞いたことがないからです。それでも駅があるなら必ずそこに「住む人」がいたはずです。しかし、周辺には「生活の跡」は一切見かけませんでした。「原生林樹海」が広がる山間部に「ポツン」と信号場だけが佇んでいます。

林道をさらに進むと「大きなダム」が姿を現しました。「轟音」を立てて水が流れる様子に飲み込まれそうになります。広い山中に自分だけが一人。急に「寂しく・怖く」なってきました。
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北海道の歴史は明治時代の「入植者の開拓」で始まります。彼らは木々を切り倒して山々を「開墾」し「厳しい寒さ」に耐えながら「生活」を築いてゆきました。やがてそこに「集落」が生まれ「学校」も建てられます。住民の移動手段として「鉄道」が走り「駅」も作られました。しかし集落を支える産業が衰退すると「山深い地」から人々は去り誰もいなくなるのです。最後には「駅」だけがその地に残り「小さな集落」があったことを通り行く人に伝えています。北海道が歩んだ「時の移り変わり」を「駅跡」から感じた週末でした。
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道北の山間部では冬になると「通行止め」になる道路が多くあります。今回訪れた「鷹栖町」(たかす)と「和寒町」(わっさむ)を結ぶ「維文峠」も冬の間は「通行止め」になっていました。でも、その「維文峠」も5月の連休を前にようやく開通です。そこで今までずっと閉ざされていたこの峠の周辺を歩いてみることにしました。

峠の麓にある廃校たち−時の移り変わりを感じて−

峠の麓には鷹栖町の「維文」そして和寒町の「福原」という地域があります。峠付近の山深いところにあるため民家もほとんどなくひっそりと静まりかえっています。しかし道路沿いを歩くと出くわす「廃校跡」から、かつて「集落」があって「人々の生活」「賑わい」を見せた時期もあったことがわかります。

鷹栖町立維文小学校(昭和50年閉校)
「レンガ造りの校門」からそこが校舎跡地であることがわかりました。校門には学校名がはっきりと記されています。かつてはこの地に「チャイムの音」「子どもたちの遊ぶ声」が響き渡っていたのでしょう。でも今では想像もつきません。
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敷地内にあるのは「教員住宅」だったのでしょうか。閉校後30年以上経過していますが損傷もなくきれいなまま残っています。
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ブロック造りの建物もありました。こちらは長年放置されてきたのか自然に埋もれそうになっています。
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この「維文」という地区は町の北端に位置しています。峠の麓で不便な場所だったため人口も減り道路沿いには「傾きかけた倉庫」「離農した廃屋」がいくつも見られました。
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維文峠からの眺め
峠の頂上付近に車を止めて遠くを見渡してみました。山々がいくつも連なっていて「白樺の林」が遠くまで広がっています。鬱そうとしていて麓の集落も見えず本当に「山深い所」に来たことがわかります。
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和寒町立福原小学校(平成12年閉校)
峠を降りるとそこには「小さな集落」がありました。トラクターや大きな倉庫など「農村部の風景」が目に入ってきます。「黒い子猫」が道路をトボトボと歩くのどかな町でした。
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かつてここは大きな集落だったのでしょうか。通りには「古い神社」があります。「木の鳥居」は昔からこの地にあって人々の生活を見てきたのでしょう。
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通りから奥へ入ると閉校した小学校がありました。閉校後は「宿泊施設」として再利用されているようで校舎はきれいに保存されています。
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もう子どもたちが遊ばなくなった遊具も錆び付いていて寂しそうでした。「大きな校舎」なので町の最盛期には児童数も多かったはずです。
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昭和40年代後半から「離農者」が増え始めこの集落の規模も次第に縮小していったそうです。それでも通りにある「神社」「集会所」からは今でも「人々の生活」が感じられました。

和寒町立西和中学校(昭和49年閉校)
福原の集落を越えると「西和」という町にたどり着きました。ローカルバスの「バス停」も見かけるようになり民家の数も少しずつ増えてきます。しかしここにも廃校跡がありました。閉校からはもうずいぶん長いときが経過していて、校門も倒れ「木造校舎の一部」が残されているだけでした。
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グラウンドだったと思われる空き地には「バックネット」が放置されていました。ここで生徒たちが野球の試合をしていた時期もあったのでしょうね。「球を追って走る姿」はもう浮かんでこないほど校舎跡地は寂寥としていました。
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この付近では他にも「2校の小学校」が閉校を迎えており地方の「衰退の様子」がまざまざと伝わってきました。道北の山間部では離農や離村が相次ぎ「人々の生活」がなくなりかけています。

明治時代「北海道に入植した人々」が広大な原野を切り開きいくつもの集落を築き上げてきました。しかし地方の集落は「賑わった時期」はあっても、1世紀以上たった今「元の自然の姿」に戻ろうとしています。次々と現れた「廃校跡」から「時の移り変わり」を感じた連休の最終日でした。大地から活き活きと生えた「ふきのとう」「春の息吹」を伝えていました。「桜の開花」もそろそろです♪

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