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団塊ジュニア世代の自分は18歳人口がピークと言われた時代に大学を受験しました。当時18才人口は200万人を超え、その数は日本全国の全ての大学・短大の定員数を上回り、浪人生が出るのは必須で「現役は偶然、一浪は当然、二浪は平然」とまで言われていました。あらゆる大学が高い倍率を有しおり、進路希望の優先事項は「入りたい大学よりも入れる大学」でした。
但し、当時から「今後18才人口は減少し、特に2000年以降は大学の定員が進学希望者を上回るようになる」と確実に言われていました。
でも、私は「バカな!」と言い放ち、そんな時代が来ることを信じようとしませんでした。模擬試験でも明らかな「A判定」が出て、入試当日も問題はほぼしっかりと解答し、合格を確信していたのに「なぜか不合格?」という人が続出していたからです。私が不合格だった地方の私大も合格最低点が75%以上だったのを覚えています。定員50名に対して受験者は1000人を超えていましたから、この事態が収束するなんて思いもしませんでした。
しかし、18才人口の減少は人口統計からも明らかだったわけですから、やはり大学の定員数が進学希望者数を上回る時代がやってきました。「大学全入時代」の到来です。でもこれは同時に「大学倒産時代」を意味していました。結局、受験生は有名大学へ集まります。私立大学の主な収入源は学生の授業料ですから、定員を確保できない無名な大学は生き残りが困難になるのです。「全入時代」は「倒産時代」を引き起こしました。特に私立大学は最も過酷な冬の時代に突入することになるのです。
18才人口の減少が目立ち始めた2000年以降から、私立大学を中心に「授業中の私語がうるさくて講義が聞こえない」「講義が理解できないので補習を実施」などそれまでの大学になかった惨状が聞かれるようになりました。この頃から入試制度も多様化し、成績面・生活面不問のいとも簡単に受かってしまう大学が出てきます。
そして、それまで警告にすぎなかった「大学淘汰の時代」が現実味を帯びてくるのです。2003年、広島安芸女子大学が共学になり校名を変更して、立志舘大学として開校しましたが、結局一度も卒業生を出さずに廃校を迎えました。今考えると、立命館+同志社のかなり無理な名称ですが。それに続き、山口県の萩国際大学、宮城県の東北文化学園大学が民事再生法の適用を申請しました。両大は現在経営再建に努めています。記憶に新しいところでは、福岡県の東和大学が2007年に募集を停止しました。短大の閉校や大学の撤退が相次ぎ、地域からは高等教育機関が姿を消していくことになるのです。
「廃校」「民事再生法」「撤退」そして「統合」が進みます。国公立単科大学では、東京商船大学と東京水産大学が統合して東京海洋大学へ、大阪外国語大学が大阪大学と統合し、多くの国公立医科大学が統合の道を歩み始めます。その他にも首都大学東京や兵庫県立大学と統合により新しい大学が生まれることになりました。私立大学でも共立薬科大学が慶応大学の薬学部として、聖和大学が関西学院大学の教育学部として合併・新設されたのです。武蔵工業大学は東横学園女子短期大学と統合し東京都市大学に校名変更をしています。受験者数の減少に備え、大学は従来の姿を保てなくなるのです。
昨日、入学志願者の減少で、三重中京大学(三重県松阪市)・聖トマス大学(兵庫県尼崎市)・神戸ファッション造形大学(同県明石市)の3つの私立大学で学生募集を停止するという報道がありました。三重中京大はかつての松坂大学、聖トマス大学はかつての英知大学で、大学の知名度アップのために校名を変更した僅か数年後のことです。
大学は冬の時代から全入時代を迎え、淘汰の時代へ立ち向かうことになりました。地方では過疎化に拍車がかかり、平成の大合併と言われる市町村再編が進行中です。地域の高校も統合を繰り返しその数を大幅に減らしています。気づけば郵政は民営化され、過去にも多くの鉄道路線が廃止され、世はあらゆる面において様変わりの様相を呈しています。
歯止めがかからない18才人口の減少が招く「大学淘汰の時代」も避けることのできない問題なのかもしれません。これまで、世の中はいつも環境と時代の変化に対応するために、再生と新生と繰り返してきました。大学もその流れの渦中にいるからこそ、廃校・統合・改変を目の当たりにしているのです。この時代を乗り越えてまた新しい姿が芽生え、形作られていくと思います。
しかし、大学の評価や価値はその学校の在学生や卒業生の頑張りで決まります。母校がなくなるとしたらそれはやはり寂しいことです。母校の存続のために自分のレベルでできることを続けて行けたらとよく考えています。淘汰の時代と言われても、自分の母校には最大限頑張って欲しいという思いは誰もが共通している持っているはずです。その思いが学校の末永い存続と結びつことを願って止みません。
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