☆チーばーばのひとりごと☆

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              皮膚がん今キャシー中島さんが

  此の2・3日キャシー中島さんの皮膚がん手術の事がテレビで話題ですね。
  早期発見で良かったですね。顔ですので勇気がいった事と思います。
  御嬢さんの言葉に素直に手術に踏み切っていままでの様なキャシーさんの
  笑顔がすてきでしたよ。どんな癌でも早期発見が大事ですね。
  私の小父は平成10年胃・腸・肺に見つかりましたが多分転移したんでしょう
  胃と腸手術しました肺は?翌年11年4月永眠しました東北大震災でしたので
  新幹線も東北自動車道も通うらず岩手の親戚皆無私と皮膚癌で亡くなった
  兄の嫁さんと2人だけが小父の親戚で出席しました。
  私の末兄は2年前に胃がんで胃を三分の二取りましたが今はまだ再発無し。

  皮膚がんは。次兄が今から11年前に皮膚癌が見つかりました、足が痒くて
  赤いぼつぼつが出来て皮膚科に行くと水虫と言われ薬を頂き治療しても中々
  治らなかったそうです。3カ所位の皮膚科を受診そして大学病院を紹介されて
  受診した時には皮膚癌との診断に皮膚癌は何処?足で無くもっとも遠い処
  眉尻と目尻の間位約1㎝位の色の薄い黒子が若い頃に出来て居ました。
  時々何気なく引っ掻いたりぶつけたりで傷ついたり何時かは無く成っていて
  「どうしたの?」「気が付いたら取れていた」とかでした多分その頃に黒子の
  メノラーマがリンパに入り込んで全身を巡り足まで行った時に発症したんだと
  なので大学病院に行った時にはもうすでに癌が。
  皮膚科の水虫の診断が適切な診断だったら・・と思う事も有りましたがすでに
  リンパに入りこんだ。顔は首のリンパに近いからアッと言う間だったんでしょう
  それでも治療受けてから1年間は再発はせずに・・でも多分兄嫁は医師から
  知らされていたんでしょう。1年の間は色んな場所に旅行に行ったり実家にも     
  行かせたりとそして再発したと私に連絡が入った時には兄の家族と医師の
  説明受けたりしました。
  リンパに入り込んで全身に癌がまわっています・・・いまは病名忘れましたが
  一応皮膚癌です何とかリンパ細胞難しい癌。兄嫁が主人の妹ですの紹介に
  医師は[出身は九州ですか」に私「いいえ岩手ですどうしてですか?」と言うと
  「皮膚癌は九州に多いんですでも軽くてほとんどが完治するんです]と言い
  もうすでにリンパに入り込んで全身を駆け巡っているので持って月単位です
  
  皮膚癌があんなに恐ろしいものとは兄は赤ちゃんの頃に手を囲炉裏に入れ
  あの野口英世の様な手に成りかけたが遠い医者に負ぶって通ったと祖母が
  言っていた1日かかったそうです。         
  何とか指を動かせる位に回復見た目ではわからない判らない様に。
  中学生の時に盲腸に成り手遅れ寸前になり2回手術2か月位入院してました
  お腹痛いと言う兄に父は寝てれば治ると言い夏なのにイカを食べたからだと
  イカを買って食べさせた祖母を叱ったり・・あまりにも痛い痛いと言う兄。
  小学校にBCGの予防注射に来ていた医師に頼みこんで帰りに寄って診てと
  診察した医師は何にも要らないから汽車賃だけ持ちすぐ病院に行きましょう
  駅まで徒歩30分位の処を長男に馬車を曳かせ駅まで送らせ入院させたが
  破裂寸前だもう1時間位の命だとの医師声で命拾いの兄手術の跡は大きい
  社会に出てから一生懸命に働きお金を貯めてから火傷の手を手術した。
  指の第一関節が火傷でくっ付き完全に開かなかった手がお尻の皮膚の移植
  でパーが出来るようになった。なぜこんな事書くかと言うと還暦の時に額に
  出来た帯状疱疹が重く傷跡が残ったがそこにも皮膚癌が表に出てきて
  傷痕と言うキズに癌細胞が現れて黒子の有った方には目の横から頭にかけて
  カリフラワーの様にボコボコ帯状疱疹跡盲腸の手術跡手の火傷と手術跡など
  其れはまだ序章でした。其の内全身が痒く成り痒み止めのベタベタの軟膏を
  塗り、それが下着に付くと取れずに兄嫁はとても大変でした。

  痒みは痛みよりも耐え難いがそれが全身とくればとても想像も及ばない位の
  まさに生き地獄の様な責苦を負った様に感じた。そのような兄の姿を1年間。   
  週に1・2回見舞い続けた。上京してからは親の様な存在の兄でしたから。

  最終には下半身が桃が柔らかく成った時の様に浮腫んで触るとズブズブに。
  皮膚は薄くなり痒みと痛みと・・皮膚癌とは何と恐ろしい病気だと思った。

  病院には車で40・50分位元気づけの為に通うんですが1・2時間位病室に
  帰りには・・はあー・・とため息でした。

  兄は大工でした。会社の為にと頑張って1級建築士の資格や型枠も・なので
  働き者の兄はそんな病気での1年間の入院生活でしたがベッドの上では何を
  してた?かと言うと
  兄嫁から材料運んでもらって竹とんぼ200本ほど作ったり肩コリのツボなど
  押すツボ押し棒作ったり。抗がん剤で頭髪や全身の毛が抜けるからとマメに
  ベッドの下の床など掃除していました。

  実家の長兄と末兄が見舞いに来た時には笑顔も出て居ましたが。

  其の後味覚にも変化が生じ何を飲食しても美味しくなくなっていきました。

  入院する前には来年の3月は小学校の50周年記念が有るから俺は出席
  するけどお前どうする?と言っていましたが出席は叶いませんでした。
  末兄が出席してアルバムやいろんな資料貰って来たから持って行くと言い
  3月半ばに見舞いに来ました。後1ヶ月どうか?と医師に告げられたので
  来られたら今来た方が良いかも・・と私が連絡したのですが入院の兄には
  「記念式典に出席したらアルバムや記念品貰ったので持って行く」と来るよ
  と言うと嬉しそうに。アルバム等その時には観て居ました。
  4月初めに病院に行くと[「お前は有るのか」と言い[なかったらお前にやるよ
  持って行きな」・・多分その頃はもう生きて此処を出る事は無いと感じてたと
  思った。

  其れから約1ヶ月後朝4時過ぎ兄嫁からの電話で車で急いで行くと何とか
  間に合ったが兄の長女家族が来て・・次女家族は間に合わず・・。

  兄嫁も私もああーやっとあの苦しみから解放されたとなぜかホッとしました

  そんな恐ろしい皮膚癌を目のあたりにした私はもしも私が羅病したとしたら
  自分で命を絶つかもしれないあんな病と闘った兄の様には強く生きられない
  と今でも思いますかれこれ10年前の事です。

  なぜ私がそう思うかと言うと私の背中に丁度肩甲骨の処に子供の小指の爪
  ほどのほくろが有りそれが時々非常に痒く成ったり触ると表面がボソボソとか
  無くなったか?表面がつるつるに成ったり。手術で取ろうかと思うのですが
  兄嫁が取る時は大きく取らないと駄目よメノラーマがと。なので悪く考えると
  もしかしたら私も兄の様に背中のほくろから皮膚癌に成るかもと思うんです、
  そうなったら・・とゾッとします。

  キャシー中島さん顔の黒子早めに手術して良かったと。人事とは思えません
  顔の傷より命が大事ですよね愛する勝野さんやご家族に恵まれお幸せに
   
  

   





             

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