懐メロ&洋楽の館

90年代の曲や洋楽を中心に載せていこうかなぁと思っています♪

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L'Arc〜en〜Ciel

イメージ 1

メンバー

hyde ボーカル
ken ギター 
tetsu ベース 
yukihiro ドラムス 

概要

結成、デビュー
1991年2月頃、大阪市でtetsuを中心に結成される。グループ名の「L'Arc〜en〜Ciel」はフランス語では「ラルカンスィエル」「ラフカンスィエル」[lar.kɑ̃.sjɛl]と発音し、意訳で「虹」という意味(英語直訳は「the arch in (the) sky」、日本語直訳は「空中のアーチ」)を持つ。名前の正式な由来は諸説あるが、阪急梅田駅前に存在した喫茶店の名前をtetsuが気に入り、そこから取ったという説が有力である。

当時のメンバーはtetsu(ベース)、hyde(ヴォーカル・当時は「Hide」と表記)、hiro(ギター)、pero(ドラムス)の4人で、インディーズ時代は関西を拠点に活動した。ちなみに、L'Arc〜en〜Cielを結成する前にhydeとperoの2名は「Jelsarem's Rod」で共に活動しており、Jelsarem's Rodとして参加したセッション大会で偶然tetsuと遭遇して以降、tetsuがhydeに対し「バンドを作ろう」と電話などで誘い続け、結果tetsuらとセッションを行った[1]。その後、Jelsarem's Rodのメインコンポーザーも兼ねていたhydeが「活動の行き詰まりを感じて」解散。セッションの縁からL'Arc〜en〜Cielに加入することとなった。[1]。結成後、5月30日に当時のホームグラウンドとしていた難波ロケッツで行ったファーストライブは、いわゆる対バン形式ながらも100人以上を動員、同年9月27日に同所で行われた初のワンマンライブでは、300人以上の動員を記録する異例の事態となるなど、インディーズの新規バンドとしては、当時異例の動員数を誇っていた。

1992年に入り、3月にはオリジナルのビデオプレゼントライブを大阪の他に東京でも行い、関東地方にも活動拠点を広げるが[2]、6月にhiroが脱退。後釜にはtetsuの幼なじみで親交のあったkenが加入する。直後から1stアルバムのレコーディングを行い、完成直前までこぎつけたものの、メンバー曰く「出来映えが気に入らなかった」ため全曲をボツにしアルバムを発売しない意向を取った[1][注釈 8]。しかし、この一件で当時所属していた事務所との間に軋轢が生まれ、レコーディングに掛かった経費などの支払いを命じられたが、これとほぼ同時に、デンジャークルー(現・マーヴェリック・ディー・シー・グループ)社長の大石征裕から「うちの事務所に来て欲しい」と誘いがあり、そのままデンジャークルーへ移籍する。なお、この時の借金は事務所間での話し合いで全て白紙となった[1]。

1993年1月、前年12月のライブで脱退したperoに代わってsakuraが加入。この後に約1ヶ月間のレコーディングに入り[3]、限定リリースのCDを除く初の公式発売音源となった1stアルバム『DUNE』を発売。5月10日付のオリコンインディーズアルバムチャートでは1位を獲得し、インディーズでの人気を不動のものとする。この年の夏、当時CDショップでアルバイトをしていたtetsuが「店に来た担当の人間を気に入った」という理由から[4]、1992年にソニー・ミュージックエンタテインメント内で新規レーベルとして設立されたばかりの「キューン・ソニーレコード」と契約を結ぶ。


デビュー、地道な活動
1994年7月1日、ビデオシングル『眠りによせて』でメジャーデビュー。デビュー直後はインディーズ時代からのファンも多かったが、デビュー後初めて行った全国ツアーの東京ベイNKホール公演などではチケットがソールドアウトしないという事態が発生し、以後は「スタッフに全て任せきり」だったコンサートの会場決め、プロモーションなどを自分たちで行うようになった[4]。10月21日には1stシングル『Blurry Eyes』を発売、メジャーレーベルでの本格的な活動を開始した。

1995年以降は積極的にライブ活動を行い、同年の12月27日には初の日本武道館コンサートを、1996年には2年前の「リベンジ」として東京ベイNKホールでの公演を開催。その後も徐々に人気を広げ、12月発売のアルバム『True』がデビュー後初のオリコン1位を獲得。『True』はその後発売6週目でミリオンセラーを記録した。


活動休止〜新体制での復活
この時期には初のアリーナツアーを開催するなど人気は過熱しはじめ、ヒット街道を驀進するものと思われたが、1997年2月にドラマーであるsakuraが逮捕され、活動予定を全て白紙化して完全な休止体制へ突入した。

sakuraの逮捕後、「曲作りとリフレッシュ」の名目で渡英し、レコーディングを含めた数ヶ月間の滞在をする。この間にサポートドラムとして元DIE IN CRIESのドラマー・yukihiroが参加したセッションなどが行われ、同年10月に長い休止から復活。直後発売したシングル『虹』は当時のL'Arc〜en〜Ciel史上第1位のヒット(当時の自己最高初動・最高売り上げを共に更新)を記録。12月23日に自身初となる東京ドームで行った復活コンサートでは公演チケットが当時の最速記録である4分で完売と、当時絶頂にあったバンドブームと重なり休止前までには無かったほどの爆発的人気を得ることになった。

翌1998年にはyukihiroがドラマーとして正式加入。シングル『winter fall』の発売を皮切りに、連続かつ集中的なリリースパターンを取り、7月に『HONEY』『花葬』『浸食 〜lose control〜』の3枚同時シングル発売や、それによるオリコンシングルチャート1位と2位の独占、10月には『snow drop』『forbidden lover』の2枚2週連続シングル発売による2度目のシングルチャート1位と2位の独占、1999年7月には『ark』『ray』の2枚同時アルバム発売によるオリコンアルバムチャート2週連続1位と2位の独占などで大きな注目を浴びた結果、デビューがほぼ同時期であるGLAYとともに邦楽2大ロックバンドなどと呼称されることもあった。

また、同時期から博報堂(当時)の箭内道彦が主なディレクションを担当した[6]、プロレスラー・藤原喜明の起用を始めとする、バラエティに富んだ広告展開を行うようになる。テレビCMでは「グループ名『L'Arc〜en〜Ciel(ラルク・アン・シエル)』の正しい読み方を広く認知させる」ものや「記者会見風の『活動予定告知』告知」を流し、新聞広告では「新曲の着信メロディの作成方法」や、コンピュータグラフィックスで作成した「坊主頭のメンバーの写真」などのような、それまでにはない奇抜なものを掲載するなどして注目を集めていった。


2度目の活動休止〜復活
2001年、シングル『Spirit dreams inside -another dream-』の発売前後から、tetsu・yukihiro・hydeが相次いで個人活動[注釈 9]を開始。実質的な活動休止状態に入る。前述のように、1998年以降のL'Arc〜en〜Cielは活動が集中的に行われていたため、急な活動の沈静化に一部では解散説も流れ、「もうL'Arc〜en〜Cielとしての活動は無いのではないか」と思われていた。この活動休止に関してtetsuは、「どれが本当の理由か分からなくなるほどたくさんの理由があった」と語っている。

ソロの開始から2年が経った2003年、国立代々木競技場でバンド名に沿った「7日間」のライブを開催。最終日には2004年3月のアルバム(SMILE)発売と2004年4月からのツアー開始を発表、それまで流れていた解散説を一蹴する。翌年2月4日にシングル『READY STEADY GO』を発売し完全復活を遂げた。それ以降は、L'Arc〜en〜Cielの活動とソロ活動をほぼ交互に行うという、短期集中的な活動形態となった。

復活以降はリリース活動と共に、日本国内だけでなく東アジアを中心として海外においてもライブ活動を行うようになる。また2006年には東京ドームでのバンド結成15周年を記念するライブを、2007年には9年振りのホールツアーを、2008年にはフランス・パリでライブを開催するなど精力的に活動。しかし2008年6月8日に京セラドーム大阪で行われたライブを最後に、バンド結成20周年となる2011年までのライブ活動の休止を発表した。




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