懐メロ&洋楽の館

90年代の曲や洋楽を中心に載せていこうかなぁと思っています♪

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Dream On Earth

「We Are The World For 25 For Haiti」を聞いて感動した僕が、日本で同じ様なチャリティーソングを作った場合キャストがどのようになるか考えてみました。

ここから↓は完全に僕の自己満なので、不快に思われたらスルーしてください(笑)。

「Dream On Earth」

・プロデュース
松浦勝人(総製作指揮)
長戸大幸
小林武史

・作詞
小田和正
中島みゆき

・作曲
YOSHIKI(XJAPAN)

・リードボーカル(20名)
小田和正
桑田佳祐
ASKA(CHAGE&ASKA)
鈴木雅之
徳永英明
TOSHI(XJAPAN)
稲葉浩志(B'z)
桜井和寿(Mr.Children)
ATSUSHI(EXILE)
平井 堅
小渕健太郎(コブクロ)

中島みゆき
和田アキ子
松田聖子
竹内まりや
吉田美和(Dreams Come True)
安室奈美恵
浜崎あゆみ
宇多田ヒカル
絢香

・バックコーラス(40名)
松浦勝人(総製作指揮)
長戸大幸
小林武史
小林 旭
加山雄三
尾崎紀世彦
布施 明
井上陽水
さだまさし
谷村新司
CHAGE(CHAGE&ASKA)
藤井フミヤ
福山雅治
奥田民生(ユニコーン)
トータス松本(ウルフルズ)
TERU(GLAY)
岡野昭仁(ポルノグラフィティ)
氷川きよし
黒田俊介(コブクロ)
森山直太朗
TAKAHIRO(EXILE)清水翔太
森山良子
小林幸子
中村あゆみ
天童よしみ
今井美樹
中山美穂
YUKI(JUDY AND MARY)
MISIA
aiko
中島美嘉
misono
倖田來未
大塚 愛
平原綾香
夏川りみ
秋元順子
加藤ミリヤ
Superfly 

・ピアノ演奏
YOSHIKI(XJAPAN)

・ヴァイオリン演奏
葉加瀬太郎

・ギター演奏
PATA(XJAPAN)
松本孝弘(B'z) 
中村正人(Dreams Come True)
TAKURO(GLAY)
ここまで見てくださった方、ありがとうございます。

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吉川晃司/モニカ

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吉川晃司「モニカ」

「モニカ」は、吉川晃司が1984年2月にリリースしたデビュー・シングルである。

解説

デビューにして初の主演映画「すかんぴんウォーク」の主題歌。1984年度オリコン年間売り上げ 23位。
この曲で当時の歌番組に多数出演し、曲を歌っているときに披露されたバック転や、前足を垂直に真上に上げる振り付けが話題となり、当時のテレビ視聴者に強烈なインパクトを与えた。
映画の役柄「民川裕司」としては、劇中で「THANKS」という曲名で披露されている。
現在でもライブではよく歌われる曲で、サビの部分の「モーニカ」と歌った後にファンが「モーニカ」と掛け合いするのが定着している。
カップリングの「真夜中のストレンジャー」は現在でも人気が高い楽曲であり、2008年12月に行なわれたライブ「25 Years Eve」に向けて公式携帯サイトで行なわれた「ライブで演奏して欲しい曲 リクエスト大作戦」にて第7位となった(「モニカ」は、第3位)。しかし人気が高いにもかかわらず、この曲のオリジナルバージョンは、吉川本人が休業前に発売された全シングル盤の8cmCDシングルでの再発、及び2004年に日本武道館で行なわれたデビュー20周年記念ライブにて、来場者に無料配布された8cmCDシングル(グリコの「タイムスリップグリコ 青春のメロディチョコレート 第2弾」で発売された「モニカ」との連動企画)のみでしかCD化されておらず、収録されたCDは非常にレアなアイテムとなっている。またベストアルバム等には現在まで一切収録されていない為、CD化されたものを聞くのは非常に困難な状況となっている。
2004年にはTV番組で松井常松と高橋まことがバックで演奏された。

視聴はこちらから↓

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杉山清貴&オメガトライブ 「ふたりの夏物語」

杉山清貴(ボーカル) 
高島信二(ギター) 
大島孝夫(ベース) 
西原俊次(キーボード) 
廣石恵一(ドラムス、現クレイジーケンバンド) 
吉田健二(ギター、1985年に脱退) 

略歴

1980年に前身バンド「きゅうてぃぱんちょす」にて第19回ヤマハ・ポプコンに入賞。
1983年、プロデューサー藤田浩一の第1弾プロジェクト、『杉山清貴&オメガトライブ』として、レコードデビュー。
尚、「オメガトライブ」という名前は、「バンド名の候補でも、一番下にあった名前」であった(この事は、後に杉山自身が公言している)。
1985年12月、プロデューサーとメンバーとの方向性の違いにより、横浜文化体育館のライブを最後に解散。
2004年2月、杉山の呼びかけにより、杉山清貴&オメガトライブを再結成(前座:きゅうてぃぱんちょす)し、2月11日「NHKホール」、2月14日「愛知厚生年金会館」、2月15日「大阪厚生年金会館」において、『First Finale2 〜オメガとライブ〜』と言う、コンサートを行なった[1]。
杉山清貴&オメガトライブ最大のヒットとなった『ふたりの夏物語』は楽曲を提供をした林哲司によると、林氏があらゆるアーティストの楽曲の制作などの作業に追われてた当時、オメガトライブのJALのTV-CMのタイアップが決まり、1日でも早く仕上なければ行けない状況になり、関係者から「Only You〜君にささやくふたりの夏物語」という一節だけがキャッチコピーとして渡され、作詞の康珍化氏とともに即楽曲の制作に入り、わずか1日で書き上げ、すぐに楽曲のレコーディングの作業に入った。
当時全国ツアー中だった杉山らメンバーをツアーの合間を縫って帰京させ、わずか計3日間で曲を完成させたという。
林氏曰く「わずか3日間で仕上た曲がオメガの最大のヒットになっちゃったんだから分からないもんだね」と自らのHPの中で語っている。
代表曲は、『サマー・サスピション』『アスファルト・レディ』『ふたりの夏物語-Never Ending Summer-』『君のハートはマリンブルー』『サイレンスがいっぱい』など。

視聴はこちらから↓

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石川優子とチャゲ「ふたりの愛ランド」

1984年にはCHAGEとのデュエットが実現。CHAGEが作詞・作曲した「ふたりの愛ランド」がJALの沖縄キャンペーンソングに決まったことで、「石川優子とチャゲ」というアーティスト名でその夏最大のヒットを飛ばす。


視聴はこちらから↓

爆風スランプ

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メンバー

サンプラザ中野:ボーカル - 2008年に芸名をサンプラザ中野くんに変更。 
パッパラー河合:ギター 
ファンキー末吉:ドラム 
バーベQ和佐田:ベース(1989年-) 

活動の歴史

メジャーデビュー前後
ヤマハ音楽振興会主催のバンドコンテストであるEastWest(1981年)にて、最優秀グランプリを受賞した『爆風銃』(バップガン)のメンバーであったファンキー末吉と江川ほーじん、優秀グループ賞を受賞した『スーパースランプ』のサンプラザ中野とパッパラー河合の4人により結成される。

当初、ユニークな歌詞やライブで客席に消火器をばら撒いたり、スイカを投げたり、頭の上に花火を置いたりするなど過激なパフォーマンスをしていたため、“コミックバンド”という見方をされていた。そのため、メジャーデビュー当時は同じソニー系列のレコード会社に所属していた聖飢魔II(FITZBEATレーベル)、米米CLUB(CBSソニー)と合わせて「ソニー三大色物バンド」と呼ばれていたこともあった。デビュー当時の所属事務所はオフィスすいか。

1985年6月に夜のヒットスタジオDELUXEに初出演を果たすが、オープニングトークで頭の上に火を付けたり、スタジオ内を歩き回り出演者やオーケストラ演奏者と握手したり、花火を口にくわえたり大暴れ。その後も同番組に出演した際は、THE ALFEEのセットを壊したり、テレビカメラの上に乗ったりと大暴れし続ける。 この数日後にザ・ベストテンにスポットライトで出演した際も、スタジオ内を暴れまわる。

1985年12月13日に、日本武道館での初ライブを果たす。1984年に九段会館でライブを行った後、中野がトイレの窓から武道館を見て、あそこでライブをやりたいなーと思った後、レコード会社から「来年武道館を予約しておきました。」と言われ、武道館でのライブが行われることになったという逸話がある。 サンプラザ中野は、自分たちが武道館を満席に出来るわけがないと思っていた。そこから発想して「武道館に空席があるのは、ペンフレンドを誘ったが来なかった男の子がいるから」、という言い訳ソングが作られた。後に彼らの代表作の1つとして評価されることとなる「大きな玉ねぎの下で」である。

その後は強力なリズムセクションを擁した実力派バンドとして徐々に認められていった。


Runnerのヒット
バンド活動に限界が見え始めてきたことから、1986年にプロデューサーとして新田一郎を迎え、新田が社長を務める代官山プロダクションに移籍した。新田はまず、売れることを目的とした活動を始めることにしたが、江川ほーじんがそれに反発して遂には脱退を決意。末吉の作った曲に、中野が辞めていく江川の姿を詞にして、「Runner」が誕生、1988年に発表された。

その後NHKの音楽番組『ジャストポップアップ』にて演奏し、番組の元にリクエストが殺到。これがきっかけで、1988年のNHK紅白歌合戦にも出場を果たし、翌年(1989年)1月9日の二度目の武道館公演を行った。そして江川はこの公演を最後に去っていく。

『天才・たけしの元気が出るテレビ』の挿入歌やテレビドラマ『疑惑の家族』の主題歌に使用された「Runner」は、初のビッグヒットとなった。カラオケでもノリのいい曲として脚光を浴び、また現在でも高校野球のブラスバンドの応援歌における定番曲としても定着する。爆風スランプの代表曲としてこの曲を挙げる人も多くいるが、新田の売れ線を狙った活動や独特のベースを聴かせていた江川が去ったことがきっかけで、初期からのファン離れも生じた。

江川脱退後、ベーシスト不在期間のテレビ出演などに際しては、古くから親交がある聖飢魔IIのゼノン石川(現・石川俊介)、THE ALFEEの桜井賢、プリンセス・プリンセスの渡辺敦子、男闘呼組の高橋一也、スターダストレビューの柿沼清史、カシオペアのキーボーディスト向谷実(シンセベースを演奏)、千葉のローカルタレントジャガーなどのミュージシャンが代役を務めた。その後、兄弟バンド的な存在だったTOPSのベーシストだった和佐田達彦(バーベQ和佐田)が正式メンバーとして加わった。爆風スランプとしてのメンバーチェンジはこの時だけである。

ちなみに、同時期に活躍した聖飢魔IIやTOPSとは親交が深かったこともあり、共同でライブを行ったり、TOPSのボーカルの三井雅弘はTOPS解散後、爆風スランプのマネージャーを行ったりもした。プリンセス・プリンセスとは、中野が住んでいたアパートにプリンセス・プリンセスのプロデューサーが住んでいたこともあり、よく一緒に酒を飲んでいて、プリンセス・プリンセスはこの時、「私達、本当に売れたいんです。」と話していたという。


ヒット曲の連発〜長期休養
1989年に現在の所属事務所アミューズに移籍してからも、「月光」「リゾ・ラバ」とヒット曲を続々と生み出し、アルバム『しあわせ』に収められていた「大きな玉ねぎの下で」もリメイクによって大ヒットとなった。この時期、冠番組『爆風スランプのお店(爆店)』も放送されている。その後、メンバーの疲労も蓄積したため、個々のメンバーが海外へ出向き長期休暇を取ることとなった。

海外での経験はアルバム『ORAGAYO〜in the 7th heaven〜』に生かされ、アルバム『In the 7th heaven』にはサンプラザ中野・パッパラー河合が南アフリカでの政治デモで演奏した曲(生録音)が収録された。また、中国へ出向いたファンキー末吉はそれ以来中国に魅せられ、ついには中国に活動の主軸を移し"Asian Drum King"と呼ばれるようになった。

しかし、長期休養後に発売されたアルバム(『ORAGAYO〜in the 7th heaven〜』)・シングルの売れ行きは芳しくなく、結果的に「Runner」以前のコアなファン・「Runner」以降のファンを同時に失うこととなった。


低迷期・ソロ活動
『ORAGAYO〜in the 7th heaven〜』の後に発売されたアルバム「青春王」はヒット曲「Runner」と同様に「青春」を軸に製作されたアルバムだが、これも売上は芳しくなかった。メジャーデビュー前後の「破天荒」、ミリオンヒットを生み出した「青春」という主軸を失った爆風スランプは、ヒット曲らしいヒット曲は「涙2(LOVEヴァージョン)」のみで、長い低迷期をさまようこととなった。

その間、各メンバーはソロ活動を行うようになり、それぞれ成果を上げている。

サンプラザ中野
ジングルベルコンピレーション『Jingle All the Way!』(バップ)で「ジングルベル〜サンタさんとトナカイさん〜」を収録
ファンキー末吉・バーベQ和佐田
BBF(「爆風スランプのバーベQ和佐田とファンキー末吉」の略語)というユニットを組み、アルバム「ZUM ZUM PARADISE」をリリース
ファンキー末吉
ロックバンド「ノイズ・ファクトリー」のプロデュース
中国でのアーティストのプロデュース
ソロアルバム「亜洲鼓魂」のリリース
パッパラー河合
女王様という芸名で、クイーンなどの英語詞を直訳した曲をリリース(当時は王様のヒットもあり、直訳ロックが流行していた)
ポケットビスケッツのプロデュース・作曲

電波少年とのタイアップ
進め!電波少年中の企画「猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイク」の応援曲として「旅人よ〜The Longest Journey」が採用され、企画の人気と同様、ヒット曲となった。

直後に発売されたアルバム『怪物くん』は2枚組(初版限定)で発売され、爆風スランプ・レコード会社の力の入れ様がうかがわれるものだった。


活動休止
アルバム『ハードボイルド』を発表した翌年、1999年4月に活動休止を発表。


活動休止後
1999年4月に活動休止後、Vo.サンプラザ中野とGt.パッパラー河合はスーパースランプを再結成。 Dr.ファンキー末吉とBa.バーベQ和佐田は、ハードロックバンドX.Y.Z.→Aにて活動中。 また、1989年に脱退した江川ほーじんは、ファンクバンド"RHINOCEROS"(ライナセロス)、ツインベースのバンド「ダブラーズ」などで活動中。

2004年の12月に、当時中野が火曜コメンテーターを務めていたABCテレビ「おはよう朝日です」の企画で一夜限りの再結成を果たし、大阪のABCホールで熱唱。この時、和佐田もスキンヘッドにしていたためメンバーの4人中3人がスキンヘッド。久しぶりに歌ったせいか中野の声は不安定だった。

また、2005年12月19日-20日の2日間限定で、新宿コマ劇場にて、再結成ライブ「45歳のフェス(恋愛の日・青春の日)」を行った。20日のラストでは、中野が込み上げ歌えなくなった場面もあった。また、河合の弁髪が身体的事情により無くなったことも判明。ベースは初期オリジナルメンバーの江川ではなく和佐田である。このライブはUSENの無料パソコンテレビGyaOで放送された。

2007年12月30日には、1日限りの再結成として、名古屋のライブハウス「ELL」の「THANX! ELL 30th ANNIVERSARY SPECIAL」に参加し、2年振りのライブを行った。共演は175R。175Rは爆風スランプの6thアルバム『I.B.W-It's a Beautiful World-』の楽曲「それから」をカバーした。

2008年10月5日には、大堀川防災レクリエーション公園にて、河合以外のメンバー、中野、末吉、和佐田でほぼ爆風スランプとして、「音街かしわ2008〜MUSIC PLATFORM〜」に参加。爆風スランプ時代の楽曲を披露した。

視聴はこちらから↓
 
「Runner」

 
「大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い」

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