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			<title>懐メロ＆洋楽の館</title>
			<description>{{{
懐メロや洋楽を中心に載せているブログです。　
ゆっくり見ていただいて、昔を懐かしんでいただければ幸いです。
}}}

= 管理人の音楽的理論 =
{{{:
　90年代の曲が大好きです！　あの頃が、いちばん音楽業界に活気があった時期のように思えます。ビーイング系のバンドや小室ファミリーが流行り、ポケビやブラビなどのお笑い芸人のバンド、XJAPANやGLAY等のヴィジュアル系バンド、キンキやSMAPみたいなジャニーズのグループが登場し、新たな旋風を巻き起こして日本の音楽業界は大きく変わりました。

　また、洋楽にも強い想いいれがあります！　映画「ロビンフッド」の主題歌「(Everything I Do)I Do It For You」（←ぜひ聞いてみてください！）をきっかけに興味をもつようになりました。もともとQUEENやBeatlesが好きでしたが、本格的に好きになったのはこの頃でした。90年代はBoyz II MenのようなR&amp;B傾向が強い曲が流行ったように思えます。また同時期に、Mariah CareyやC&amp;#233;line Dionの様な世界を代表する女性シンガーソングライターも出現して、音楽スタイルが近代的に進化しました。　
}}}

= 今週の一曲♪　1993/07/07 Boyz II Men「End of the Road」 =
[[embed(http://www.dailymotion.com/swf/x2pxev_boyz-ii-men-end-of-the-road_music&amp;related=1&amp;autoplay=1,0,425,350)]]</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/baasan91</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>懐メロ＆洋楽の館</title>
			<url>https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-78/baasan91/banner/banner.gif?1386948563</url>
			<description>{{{
懐メロや洋楽を中心に載せているブログです。　
ゆっくり見ていただいて、昔を懐かしんでいただければ幸いです。
}}}

= 管理人の音楽的理論 =
{{{:
　90年代の曲が大好きです！　あの頃が、いちばん音楽業界に活気があった時期のように思えます。ビーイング系のバンドや小室ファミリーが流行り、ポケビやブラビなどのお笑い芸人のバンド、XJAPANやGLAY等のヴィジュアル系バンド、キンキやSMAPみたいなジャニーズのグループが登場し、新たな旋風を巻き起こして日本の音楽業界は大きく変わりました。

　また、洋楽にも強い想いいれがあります！　映画「ロビンフッド」の主題歌「(Everything I Do)I Do It For You」（←ぜひ聞いてみてください！）をきっかけに興味をもつようになりました。もともとQUEENやBeatlesが好きでしたが、本格的に好きになったのはこの頃でした。90年代はBoyz II MenのようなR&amp;B傾向が強い曲が流行ったように思えます。また同時期に、Mariah CareyやC&amp;#233;line Dionの様な世界を代表する女性シンガーソングライターも出現して、音楽スタイルが近代的に進化しました。　
}}}

= 今週の一曲♪　1993/07/07 Boyz II Men「End of the Road」 =
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		<item>
			<title>Dream On Earth</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;「We Are The World For 25 For Haiti」を聞いて感動した僕が、日本で同じ様なチャリティーソングを作った場合キャストがどのようになるか考えてみました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここから↓は完全に僕の自己満なので、不快に思われたらスルーしてください（笑）。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;「Dream On Earth」&lt;/h1&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;・プロデュース
松浦勝人（総製作指揮）
長戸大幸
小林武史

・作詞
小田和正
中島みゆき

・作曲
YOSHIKI（XJAPAN）

・リードボーカル（20名）
小田和正
桑田佳祐
ASKA（CHAGE＆ASKA）
鈴木雅之
徳永英明
TOSHI（XJAPAN）
稲葉浩志（B&amp;#39;z）
桜井和寿（Mr.Children）
ATSUSHI（EXILE）
平井 堅
小渕健太郎（コブクロ）

中島みゆき
和田アキ子
松田聖子
竹内まりや
吉田美和（Dreams Come True）
安室奈美恵
浜崎あゆみ
宇多田ヒカル
絢香

・バックコーラス（40名）
松浦勝人（総製作指揮）
長戸大幸
小林武史
小林 旭
加山雄三
尾崎紀世彦
布施 明
井上陽水
さだまさし
谷村新司
CHAGE（CHAGE＆ASKA）
藤井フミヤ
福山雅治
奥田民生（ユニコーン）
トータス松本（ウルフルズ）
TERU（GLAY）
岡野昭仁（ポルノグラフィティ）
氷川きよし
黒田俊介（コブクロ）
森山直太朗
TAKAHIRO（EXILE）清水翔太
森山良子
小林幸子
中村あゆみ
天童よしみ
今井美樹
中山美穂
YUKI（JUDY AND MARY）
MISIA
aiko
中島美嘉
misono
倖田來未
大塚 愛
平原綾香
夏川りみ
秋元順子
加藤ミリヤ
Superfly 

・ピアノ演奏
YOSHIKI（XJAPAN）

・ヴァイオリン演奏
葉加瀬太郎

・ギター演奏
PATA（XJAPAN）
松本孝弘（B&amp;#39;z） 
中村正人（Dreams Come True）
TAKURO（GLAY）
&lt;/pre&gt;

ここまで見てくださった方、ありがとうございます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/baasan91/35798231.html</link>
			<pubDate>Fri, 26 Mar 2010 19:03:43 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>吉川晃司／モニカ</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-78/baasan91/folder/485298/32/33817232/img_0?1250044439&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_400_400&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;吉川晃司「モニカ」&lt;/h1&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;「モニカ」は、吉川晃司が1984年2月にリリースしたデビュー・シングルである。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-2&#039;&gt;&lt;/a&gt;解説&lt;/h1&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;デビューにして初の主演映画「すかんぴんウォーク」の主題歌。1984年度オリコン年間売り上げ 23位。 &lt;br /&gt;
この曲で当時の歌番組に多数出演し、曲を歌っているときに披露されたバック転や、前足を垂直に真上に上げる振り付けが話題となり、当時のテレビ視聴者に強烈なインパクトを与えた。 &lt;br /&gt;
映画の役柄「民川裕司」としては、劇中で「THANKS」という曲名で披露されている。 &lt;br /&gt;
現在でもライブではよく歌われる曲で、サビの部分の「モーニカ」と歌った後にファンが「モーニカ」と掛け合いするのが定着している。 &lt;br /&gt;
カップリングの「真夜中のストレンジャー」は現在でも人気が高い楽曲であり、2008年12月に行なわれたライブ「25 Years Eve」に向けて公式携帯サイトで行なわれた「ライブで演奏して欲しい曲 リクエスト大作戦」にて第7位となった（「モニカ」は、第3位）。しかし人気が高いにもかかわらず、この曲のオリジナルバージョンは、吉川本人が休業前に発売された全シングル盤の8cmCDシングルでの再発、及び2004年に日本武道館で行なわれたデビュー20周年記念ライブにて、来場者に無料配布された8cmCDシングル（グリコの「タイムスリップグリコ 青春のメロディチョコレート 第2弾」で発売された「モニカ」との連動企画）のみでしかCD化されておらず、収録されたCDは非常にレアなアイテムとなっている。またベストアルバム等には現在まで一切収録されていない為、CD化されたものを聞くのは非常に困難な状況となっている。 &lt;br /&gt;
2004年にはＴＶ番組で松井常松と高橋まことがバックで演奏された。 &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;視聴はこちらから↓&lt;br /&gt;
&lt;embed allowscriptaccess=&quot;never&quot;  src=&quot;https://www.youtube.com/v/TcpPmK1j4cs&amp;feature=related&quot; width=&quot;425&quot; height=&quot;350&quot; wmode=&quot;transparent&quot;&gt;&lt;/embed&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/baasan91/33817232.html</link>
			<pubDate>Wed, 12 Aug 2009 11:33:59 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>杉山清貴&amp;オメガトライブ／ふたりの夏物語</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-78/baasan91/folder/485298/58/33817158/img_0?1250044593&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_500_500&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;杉山清貴&amp;オメガトライブ 「ふたりの夏物語」&lt;/h1&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;杉山清貴（ボーカル） 
高島信二（ギター） 
大島孝夫（ベース） 
西原俊次（キーボード） 
廣石恵一（ドラムス、現クレイジーケンバンド） 
吉田健二（ギター、1985年に脱退） 
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-2&#039;&gt;&lt;/a&gt;略歴&lt;/h1&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;1980年に前身バンド「きゅうてぃぱんちょす」にて第19回ヤマハ・ポプコンに入賞。 &lt;br /&gt;
1983年、プロデューサー藤田浩一の第1弾プロジェクト、『杉山清貴&amp;オメガトライブ』として、レコードデビュー。 &lt;br /&gt;
尚、「オメガトライブ」という名前は、「バンド名の候補でも、一番下にあった名前」であった（この事は、後に杉山自身が公言している）。 &lt;br /&gt;
1985年12月、プロデューサーとメンバーとの方向性の違いにより、横浜文化体育館のライブを最後に解散。 &lt;br /&gt;
2004年2月、杉山の呼びかけにより、杉山清貴&amp;オメガトライブを再結成（前座：きゅうてぃぱんちょす）し、2月11日「NHKホール」、2月14日「愛知厚生年金会館」、2月15日「大阪厚生年金会館」において、『First Finale2 ～オメガとライブ～』と言う、コンサートを行なった[1]。 &lt;br /&gt;
杉山清貴&amp;オメガトライブ最大のヒットとなった『ふたりの夏物語』は楽曲を提供をした林哲司によると、林氏があらゆるアーティストの楽曲の制作などの作業に追われてた当時、オメガトライブのJALのTV-CMのタイアップが決まり、1日でも早く仕上なければ行けない状況になり、関係者から「Only You～君にささやくふたりの夏物語」という一節だけがキャッチコピーとして渡され、作詞の康珍化氏とともに即楽曲の制作に入り、わずか1日で書き上げ、すぐに楽曲のレコーディングの作業に入った。&lt;br /&gt;
当時全国ツアー中だった杉山らメンバーをツアーの合間を縫って帰京させ、わずか計3日間で曲を完成させたという。&lt;br /&gt;
林氏曰く「わずか3日間で仕上た曲がオメガの最大のヒットになっちゃったんだから分からないもんだね」と自らのHPの中で語っている。 &lt;br /&gt;
代表曲は、『サマー・サスピション』『アスファルト・レディ』『ふたりの夏物語-Never Ending Summer-』『君のハートはマリンブルー』『サイレンスがいっぱい』など。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;視聴はこちらから↓&lt;br /&gt;
&lt;embed allowscriptaccess=&quot;never&quot;  src=&quot;https://www.youtube.com/v/GRsPnpkJH38&amp;feature=related&quot; width=&quot;425&quot; height=&quot;350&quot; wmode=&quot;transparent&quot;&gt;&lt;/embed&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/baasan91/33817158.html</link>
			<pubDate>Wed, 12 Aug 2009 11:21:00 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>石川優子とチャゲ／ふたりの愛ランド</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-78/baasan91/folder/485298/17/33817117/img_0?1250043183&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_471_480&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;石川優子とチャゲ「ふたりの愛ランド」&lt;/h1&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;1984年にはCHAGEとのデュエットが実現。CHAGEが作詞・作曲した「ふたりの愛ランド」がJALの沖縄キャンペーンソングに決まったことで、「石川優子とチャゲ」というアーティスト名でその夏最大のヒットを飛ばす。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;視聴はこちらから↓&lt;br /&gt;
&lt;embed allowscriptaccess=&quot;never&quot;  src=&quot;https://www.youtube.com/v/XOI2W53LCZM&amp;feature=related&quot; width=&quot;425&quot; height=&quot;350&quot; wmode=&quot;transparent&quot;&gt;&lt;/embed&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/baasan91/33817117.html</link>
			<pubDate>Wed, 12 Aug 2009 11:13:03 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>爆風スランプ</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-78/baasan91/folder/1171290/38/33786838/img_0?1249780201&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_400_280&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;メンバー&lt;/h1&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;サンプラザ中野：ボーカル - 2008年に芸名をサンプラザ中野くんに変更。 
パッパラー河合：ギター 
ファンキー末吉：ドラム 
バーベQ和佐田：ベース（1989年-） 
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-2&#039;&gt;&lt;/a&gt;活動の歴史&lt;/h1&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;メジャーデビュー前後&lt;br /&gt;
ヤマハ音楽振興会主催のバンドコンテストであるEastWest（1981年）にて、最優秀グランプリを受賞した『爆風銃』（バップガン）のメンバーであったファンキー末吉と江川ほーじん、優秀グループ賞を受賞した『スーパースランプ』のサンプラザ中野とパッパラー河合の4人により結成される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初、ユニークな歌詞やライブで客席に消火器をばら撒いたり、スイカを投げたり、頭の上に花火を置いたりするなど過激なパフォーマンスをしていたため、“コミックバンド”という見方をされていた。そのため、メジャーデビュー当時は同じソニー系列のレコード会社に所属していた聖飢魔II（FITZBEATレーベル）、米米CLUB（CBSソニー）と合わせて「ソニー三大色物バンド」と呼ばれていたこともあった。デビュー当時の所属事務所はオフィスすいか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1985年6月に夜のヒットスタジオDELUXEに初出演を果たすが、オープニングトークで頭の上に火を付けたり、スタジオ内を歩き回り出演者やオーケストラ演奏者と握手したり、花火を口にくわえたり大暴れ。その後も同番組に出演した際は、THE ALFEEのセットを壊したり、テレビカメラの上に乗ったりと大暴れし続ける。 この数日後にザ・ベストテンにスポットライトで出演した際も、スタジオ内を暴れまわる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1985年12月13日に、日本武道館での初ライブを果たす。1984年に九段会館でライブを行った後、中野がトイレの窓から武道館を見て、あそこでライブをやりたいなーと思った後、レコード会社から「来年武道館を予約しておきました。｣と言われ、武道館でのライブが行われることになったという逸話がある。 サンプラザ中野は、自分たちが武道館を満席に出来るわけがないと思っていた。そこから発想して「武道館に空席があるのは、ペンフレンドを誘ったが来なかった男の子がいるから」、という言い訳ソングが作られた。後に彼らの代表作の1つとして評価されることとなる「大きな玉ねぎの下で」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後は強力なリズムセクションを擁した実力派バンドとして徐々に認められていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 Runnerのヒット&lt;br /&gt;
バンド活動に限界が見え始めてきたことから、1986年にプロデューサーとして新田一郎を迎え、新田が社長を務める代官山プロダクションに移籍した。新田はまず、売れることを目的とした活動を始めることにしたが、江川ほーじんがそれに反発して遂には脱退を決意。末吉の作った曲に、中野が辞めていく江川の姿を詞にして、「Runner」が誕生、1988年に発表された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後NHKの音楽番組『ジャストポップアップ』にて演奏し、番組の元にリクエストが殺到。これがきっかけで、1988年のNHK紅白歌合戦にも出場を果たし、翌年（1989年）1月9日の二度目の武道館公演を行った。そして江川はこの公演を最後に去っていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『天才・たけしの元気が出るテレビ』の挿入歌やテレビドラマ『疑惑の家族』の主題歌に使用された「Runner」は、初のビッグヒットとなった。カラオケでもノリのいい曲として脚光を浴び、また現在でも高校野球のブラスバンドの応援歌における定番曲としても定着する。爆風スランプの代表曲としてこの曲を挙げる人も多くいるが、新田の売れ線を狙った活動や独特のベースを聴かせていた江川が去ったことがきっかけで、初期からのファン離れも生じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
江川脱退後、ベーシスト不在期間のテレビ出演などに際しては、古くから親交がある聖飢魔IIのゼノン石川（現・石川俊介）、THE ALFEEの桜井賢、プリンセス・プリンセスの渡辺敦子、男闘呼組の高橋一也、スターダストレビューの柿沼清史、カシオペアのキーボーディスト向谷実（シンセベースを演奏）、千葉のローカルタレントジャガーなどのミュージシャンが代役を務めた。その後、兄弟バンド的な存在だったTOPSのベーシストだった和佐田達彦（バーベQ和佐田）が正式メンバーとして加わった。爆風スランプとしてのメンバーチェンジはこの時だけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、同時期に活躍した聖飢魔IIやTOPSとは親交が深かったこともあり、共同でライブを行ったり、TOPSのボーカルの三井雅弘はTOPS解散後、爆風スランプのマネージャーを行ったりもした。プリンセス・プリンセスとは、中野が住んでいたアパートにプリンセス・プリンセスのプロデューサーが住んでいたこともあり、よく一緒に酒を飲んでいて、プリンセス・プリンセスはこの時、「私達、本当に売れたいんです。｣と話していたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 ヒット曲の連発&amp;#12316;長期休養&lt;br /&gt;
1989年に現在の所属事務所アミューズに移籍してからも、「月光」「リゾ・ラバ」とヒット曲を続々と生み出し、アルバム『しあわせ』に収められていた「大きな玉ねぎの下で」もリメイクによって大ヒットとなった。この時期、冠番組『爆風スランプのお店（爆店）』も放送されている。その後、メンバーの疲労も蓄積したため、個々のメンバーが海外へ出向き長期休暇を取ることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
海外での経験はアルバム『ORAGAYO&amp;#12316;in the 7th heaven&amp;#12316;』に生かされ、アルバム『In the 7th heaven』にはサンプラザ中野・パッパラー河合が南アフリカでの政治デモで演奏した曲（生録音）が収録された。また、中国へ出向いたファンキー末吉はそれ以来中国に魅せられ、ついには中国に活動の主軸を移し&amp;quot;Asian Drum King&amp;quot;と呼ばれるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、長期休養後に発売されたアルバム（『ORAGAYO&amp;#12316;in the 7th heaven&amp;#12316;』）・シングルの売れ行きは芳しくなく、結果的に「Runner」以前のコアなファン・「Runner」以降のファンを同時に失うこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 低迷期・ソロ活動&lt;br /&gt;
『ORAGAYO&amp;#12316;in the 7th heaven&amp;#12316;』の後に発売されたアルバム「青春王」はヒット曲「Runner」と同様に「青春」を軸に製作されたアルバムだが、これも売上は芳しくなかった。メジャーデビュー前後の「破天荒」、ミリオンヒットを生み出した「青春」という主軸を失った爆風スランプは、ヒット曲らしいヒット曲は「涙2(LOVEヴァージョン)」のみで、長い低迷期をさまようこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その間、各メンバーはソロ活動を行うようになり、それぞれ成果を上げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
サンプラザ中野 &lt;br /&gt;
ジングルベルコンピレーション『Jingle All the Way!』（バップ）で「ジングルベル&amp;#12316;サンタさんとトナカイさん&amp;#12316;」を収録 &lt;br /&gt;
ファンキー末吉・バーベQ和佐田 &lt;br /&gt;
BBF（「爆風スランプのバーベQ和佐田とファンキー末吉」の略語）というユニットを組み、アルバム「ZUM ZUM PARADISE」をリリース &lt;br /&gt;
ファンキー末吉 &lt;br /&gt;
ロックバンド「ノイズ･ファクトリー」のプロデュース &lt;br /&gt;
中国でのアーティストのプロデュース &lt;br /&gt;
ソロアルバム「亜洲鼓魂」のリリース &lt;br /&gt;
パッパラー河合 &lt;br /&gt;
女王様という芸名で、クイーンなどの英語詞を直訳した曲をリリース（当時は王様のヒットもあり、直訳ロックが流行していた） &lt;br /&gt;
ポケットビスケッツのプロデュース・作曲 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 電波少年とのタイアップ&lt;br /&gt;
進め!電波少年中の企画「猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイク」の応援曲として「旅人よ&amp;#12316;The Longest Journey」が採用され、企画の人気と同様、ヒット曲となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
直後に発売されたアルバム『怪物くん』は2枚組（初版限定）で発売され、爆風スランプ・レコード会社の力の入れ様がうかがわれるものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 活動休止 &lt;br /&gt;
アルバム『ハードボイルド』を発表した翌年、1999年4月に活動休止を発表。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 活動休止後&lt;br /&gt;
1999年4月に活動休止後、Vo.サンプラザ中野とGt.パッパラー河合はスーパースランプを再結成。 Dr.ファンキー末吉とBa.バーベQ和佐田は、ハードロックバンドX.Y.Z.→Aにて活動中。 また、1989年に脱退した江川ほーじんは、ファンクバンド&amp;quot;RHINOCEROS&amp;quot;（ライナセロス）、ツインベースのバンド「ダブラーズ」などで活動中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2004年の12月に、当時中野が火曜コメンテーターを務めていたABCテレビ「おはよう朝日です」の企画で一夜限りの再結成を果たし、大阪のABCホールで熱唱。この時、和佐田もスキンヘッドにしていたためメンバーの4人中3人がスキンヘッド。久しぶりに歌ったせいか中野の声は不安定だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、2005年12月19日-20日の2日間限定で、新宿コマ劇場にて、再結成ライブ「45歳のフェス（恋愛の日・青春の日)｣を行った。20日のラストでは、中野が込み上げ歌えなくなった場面もあった。また、河合の弁髪が身体的事情により無くなったことも判明。ベースは初期オリジナルメンバーの江川ではなく和佐田である。このライブはUSENの無料パソコンテレビGyaOで放送された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年12月30日には、1日限りの再結成として、名古屋のライブハウス「ELL」の「THANX! ELL 30th ANNIVERSARY SPECIAL」に参加し、2年振りのライブを行った。共演は175R。175Rは爆風スランプの6thアルバム『I.B.W-It&amp;#39;s a Beautiful World-』の楽曲「それから」をカバーした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年10月5日には、大堀川防災レクリエーション公園にて、河合以外のメンバー、中野、末吉、和佐田でほぼ爆風スランプとして、「音街かしわ2008&amp;#12316;MUSIC PLATFORM&amp;#12316;」に参加。爆風スランプ時代の楽曲を披露した。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;視聴はこちらから↓&lt;br /&gt;
&lt;embed allowscriptaccess=&quot;never&quot;  src=&quot;https://www.youtube.com/v/fqzOfLxphT4&quot; width=&quot;425&quot; height=&quot;350&quot; wmode=&quot;transparent&quot;&gt;&lt;/embed&gt;　&lt;br /&gt;
「Runner」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;embed allowscriptaccess=&quot;never&quot;  src=&quot;https://www.youtube.com/v/6JqLdOLWY6M&amp;feature=related&quot; width=&quot;425&quot; height=&quot;350&quot; wmode=&quot;transparent&quot;&gt;&lt;/embed&gt;　&lt;br /&gt;
「大きな玉ねぎの下で &amp;#12316;はるかなる想い」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/baasan91/33786838.html</link>
			<pubDate>Sun, 09 Aug 2009 10:10:01 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>Michael Jackson</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-78/baasan91/folder/1106236/05/33771505/img_0?1250121466&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_500_500&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;マイケル・ジャクソン（Michael Joseph Jackson、1958年8月29日 - 2009年6月25日）は、アメリカ合衆国の歌手、ダンサー。&amp;quot;King of Pop&amp;quot;と称された。

ギネス・ワールド・レコーズでは史上最も成功したエンターテイナーとして認定されている。世界総売上げは7億5000万枚（2006年10月末現在）以上。ギネス記録は「全米シングルチャートで首位を獲得した最年少ボーカリスト（ジャクソン・ファイブ当時11歳）」、「全米シングルチャートで初登場1位を記録した最初のボーカリスト（You Are Not Alone）」、「年間売上げ高が1億ドルを超えた最初のエンターテイナー（1989年、Forbes誌）」、「史上最高額の所得を得たエンターテイナー（89年に1億2500万ドル）」などの記録を保有。

アルバム&amp;quot;Thriller&amp;quot;に関する記録は「1億400万枚の世界最高枚数の売り上げ」「全米アルバムチャートでの最長期間首位（37週・サウンドトラック盤を除く）」、「最も成功した音楽ビデオ（100万本以上の売上げ）」などのギネス記録を保有している。

兄弟で結成したジャクソン5のボーカルとしてデビュー。1980年代にはそのダンスやヴォーカルの実力で、全世界をその娯楽性で魅了した。「ムーンウォーク」は、彼の代表的なダンスのひとつ。ゴシップキングとしても知られ、美容整形（顔の形の変化）と尋常性白斑・全身性エリテマトーデス（肌の色の変化）の影響によるマイケル・ジャクソンの外観の変化のためよくタブロイドのネタにされる。

1993年、マイケル・ジャクソンの1993年の性的虐待疑惑が発生。13歳の少年が自分の父親（ビバリーヒルズの歯科医）によってマイケルを告発させられる。だが本人は現在、マイケルに虐待されたとは思っておらず麻酔を用いた虚偽記憶であったと考えられている。

また、2003年にはマーティン・バシールによるマイケルジャクソンの真実の報道の結果、マイケル・ジャクソンは児童性的虐待疑惑で逮捕されたが、マイケル・ジャクソン裁判の結果、全ての件に関し無罪となった。

尚、歌手のラトーヤ・ジャクソンは実姉、ジャネット・ジャクソンは実妹である。

2009年6月25日、自宅近くのカリフォルニア大学ロサンゼルス校（UCLA）医療センターに呼吸停止の状態で運ばれ、その後死亡が確認された。あまりにも急な、そして若すぎる死を惜しむ声は今も世界中で絶えない。50歳没。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;音楽性&lt;/h1&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;ジャクソン5はソウルミュージックの中でも非常にポップで白人にも受けるものだったため、人気の一方で黒人層からの批判もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
クィンシー・ジョーンズと出会ってからはソウル・R&amp;B、ポップなどを融合させた極めてクオリティの高い作品を発表。ポール・マッカートニーとのデュエットや「Beat It」でハードロックのギタリストを起用するなど、ジャンルや黒人・白人の垣根を超越した存在となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1987年の「BAD」、1991年の「Dangerous」ではニュー・ジャック・スウィングと呼ばれるサウンドを多用し、流行を牽引した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代後半になっても、マイケルは流行に安易に迎合する事を嫌いこのスタイルを保ったが、2001年の「Invincible」では同時代性を意識した曲を多く収録した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ハードロックにも関心を示し、「Beat It」では、ヴァン・ヘイレンのエディー・ヴァン・ヘイレン、「Dirty Diana」ではスティーヴ・スティーヴンス、「Black Or White」ではガンズ・アンド・ローゼズ（当時）のスラッシュを起用している。近年はギター・ヒーローが少ないせいもありなりを潜めているが、「Whatever Happens」ではカルロス・サンタナを起用している。なお、クイーンのメンバーとの接近があった時期があり、「地獄へ道づれ」を提供されているが、諸事情により断り、クイーン自らでの発表を強く薦め、事実それは彼らのスマッシュヒットとなっている。しかしのちに彼らとは関係を絶っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パンチの効いたボーカルを聴かせるアップチューンとは対照的に、繊細なハイトーンの美声で歌い上げるバラードにも定評がある。「She&amp;#39;s Out of My Life」「Heal The World」「You Are Not Alone」他。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、社会問題や地球環境といった問題を扱い、広く平和を訴える曲も多い。「Man in the Mirror」「Heal The World」「Earth Song」などがある。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;視聴はこちらから↓&lt;br /&gt;
&lt;embed allowscriptaccess=&quot;never&quot;  src=&quot;https://www.youtube.com/v/cIqj0xD7VCY&quot; width=&quot;425&quot; height=&quot;350&quot; wmode=&quot;transparent&quot;&gt;&lt;/embed&gt;&lt;br /&gt;
「Thriller」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://www.dailymotion.com/swf/x2262o_michael-jackson-bad_music&amp;related=1&quot;&gt;http://www.dailymotion.com/swf/x2262o_michael-jackson-bad_music&amp;related=1&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
「BAD」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://www.dailymotion.com/swf/x4fs5z_michael-jackson-black-or-white-orig_music&amp;related=1&quot;&gt;http://www.dailymotion.com/swf/x4fs5z_michael-jackson-black-or-white-orig_music&amp;related=1&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
「Black Or White」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/baasan91/33771505.html</link>
			<pubDate>Fri, 07 Aug 2009 17:24:22 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>C&amp;eacute;line Dion　</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-78/baasan91/folder/1106236/72/33771372/img_0?1249632359&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_620_430&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;セリーヌ・ディオン（C&amp;eacute;line Мarie Claudette Dion　1968年3月30日 - ）は、カナダのシンガーソングライターである。1990年代に英語圏でキャリアを始める以前、1980年代前半にフランス語圏のシンガーとして活動を開始した。

カナダのケベック州モントリオール郊外のシャルルマーニュの大家族に14人兄弟の末っ子として生まれる。幼少より類まれな才能を発揮し、12歳で現在の夫であり、音楽マネージャーのレネ・アンジェリルと出会う。アンジェリルは彼女の才能と歌声に惚れ込み、自宅を担保としてデビューアルバムの発売資金を調達する。音楽はポップス、ロック、ソウルの他に、ゴスペル、クラシックなど幅広いジャンルに影響されていて、ファンや評論家には彼女自身の声、歌詞の持つ本来の意味を歌い上げる能力などが高く評価されている。 1990年代には、『Because You Loved Me』、『It&amp;#39;s All Coming Back To Me Now』や、1997年公開の映画『タイタニック』の主題歌になった『My Heart Will Go On』の世界的大ヒットなどで、セリーヌ・ディオンは英語圏、フランス語圏におけるポピュラーミュージック界の大御所となった。 1999年から個人的な理由（出産、夫の看病など）により一時キャリアを休止するが、2002年にはアルバム『A New Day Has Come』で復帰。2003年から2007年12月15日には、ラスベガスのシーザーズ・パレス・ホテルにて『A New Day... Live in Las Vegas』という定期公演を行った。2008年2月14日から10年ぶりとなるワールドツアー『Taking Chances』が行われる予定。

生い立ちから見てもわかるように、世界的に有名なフランス語を母語とするケベック州出身のカナダ人ではあるが、ケベック州の独立に関しては反対の立場をとっている。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;来歴&lt;/h1&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;1981年に発売されたフランス語のファーストアルバムにより、瞬く間にケベックにおけるトップスターの地位を獲得する。ちなみにファーストアルバム発売ののち数多くのツアーの誘いがあったにもかかわらず、「この才能をつぶすわけにはいかない」という理由でアンジェリルは全ての依頼を断り、破産宣告を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1982年「第13回ヤマハ世界歌謡音楽祭」出場のために初来日し金賞に輝いた。1984年にはパリのオランピア劇場に最年少で出演、1988年のユーロビジョン・ソング・コンテストでスイス勢として32年ぶりの優勝するなど、数多くの国際コンテストを総なめにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1991年に初の英語アルバム『Unison』を発売し、世界的スターへの道を歩み始める。アトランタオリンピックの開会式で『The Power Of The Dream』を歌い、『美女と野獣』『タイタニック』など数多くの映画にサウンドトラックを提供し、地位を不動のものとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1994年、初の来日公演。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本ではフジテレビのドラマ『恋人よ』の主題歌に使われた『To love you more』が130万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。この曲にはクライズラー&amp;カンパニーも参加していた（この縁で1996年からのワールドツアーに葉加瀬太郎が参加）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1995年に発売されたフランス語アルバム『D&amp;#39;eux（フレンチアルバム）』がフランス国内で400万枚を超える売上となり、歴代最高売上記録となる。この功績により翌年1996年にフランス政府より芸術文化勲章を授与される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1997年、2度目の来日公演、全国6都市10公演のアリーナツアー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1998年、ケベック国家勲章（National Order of Quebec）、カナダ勲章（Order of Canada）を受勲。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1999年、3度目の来日公演、全国3都市5公演のドームツアー。ベストアルバム『ALL THE WAY... A Decade Of Song』発売と同時に活動休止を発表。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年、ラスベガスのシーザーズ・パレス・コロセウムで長期公演A New Dayスタート。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年1月6日、セリーヌ・ディオンは、スターの名前を刻んだハリウッド名声の歩道(The Hollywood Walk of Fame)に2244人目の仲間入りをした。 この時の全世界でのセールスは1億5千万枚。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年11月7日、アルバム『Taking Chances』を日本先行でリリース。2008年には9年ぶりとなる4度目の来日公演（東京・大阪で全4公演のドームツアー）が決定している。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;視聴はこちらから↓&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://www.dailymotion.com/swf/xqynx_celine-dion-to-love-you-more_events&amp;related=1&quot;&gt;http://www.dailymotion.com/swf/xqynx_celine-dion-to-love-you-more_events&amp;related=1&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
「To Love You More」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://www.dailymotion.com/swf/x1cu2s_because-you-loved-me_music&amp;related=1&quot;&gt;http://www.dailymotion.com/swf/x1cu2s_because-you-loved-me_music&amp;related=1&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
「Because You Loved Me」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://www.dailymotion.com/swf/x1z0wa_titanic-my-heart-will-go-on_music&amp;related=1&quot;&gt;http://www.dailymotion.com/swf/x1z0wa_titanic-my-heart-will-go-on_music&amp;related=1&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
「My Heart Will Go On」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/baasan91/33771372.html</link>
			<pubDate>Fri, 07 Aug 2009 17:04:57 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>Los Del Rio／Macarena</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-78/baasan91/folder/747831/68/33771268/img_0?1249734597&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_640_480&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;Los Del Rio「Macarena」&lt;/h1&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;靴屋で働くアントニオ・ロメロ・モンへとバルで働くラファエル・ルイスが友人たちに勧められデュオを組む。1963年、『Los Rios』という名前でラジオ番組に出演した。1966年、初のレコードを出す。その後名前を現在の『Los del Rio』に変更した（故郷を流れるグアダルキビル川に敬意を表すため、改名の際名前に「川」という意味の「Rio」を入れた）。

1993年に発売された『恋のマカレナ』は1996年に世界的な大ヒットとなり、セクシーに腰を動かす『マカレナダンス』もアメリカを中心に世界的に話題になった。NBA等では自身の応援するチームがポイントを取った時などにチアなどが披露する事が多い。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;embed allowscriptaccess=&quot;never&quot;  src=&quot;https://www.youtube.com/v/4NZjHKfbbiQ&quot; width=&quot;425&quot; height=&quot;350&quot; wmode=&quot;transparent&quot;&gt;&lt;/embed&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/baasan91/33771268.html</link>
			<pubDate>Fri, 07 Aug 2009 16:51:58 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>Journey</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-78/baasan91/folder/1058343/34/33771134/img_0?1249630619&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_600_401&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;メンバー&lt;/h1&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;ニール・ショーン (Neal Joseph Schon) ：（U、E）(1973-)G（ギター）、バッキングボーカル、（リード・ボーカル）。1954年2月27日オクラホマシティ近郊のティンカー空軍基地生まれ。バンド創設以来の中心的メンバー。ジミ・ヘンドリックスやクリームの楽曲との出会いから、5歳で楽器を弾き始める。彼自身の談によると、最も影響を受けたアーティストはやはり少年時代に知ったジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、そしてジェフ・ベックである。10代でサンタナのメンバーに抜擢、バンドが分裂するまでの一年間ギターをプレーした。ソロやセッションでの活動は多岐に渡り、ヴァン・ヘイレン加入以前のサミー・ヘイガーらと&amp;quot;H.S.A.S.（ヘイガー、ショーン、アローソン、シュリーブ）&amp;quot;というプロジェクトを組む(1984年)、バッド・イングリッシュ(Bad English; 1987年)、ハードライン(Hardline; 1992年)の結成、ジェフ・スコット・ソート(Vo.)、マルコ・メンドーサ(B)、ディーン・カストロノヴォ(Ds.)（のちヴァージル・ドナティ）とのソウル・サーカス(SOULSIRKUS; 2005年)の結成、著名アーティストが多数参加したレス・ポールのアルバム(2005年)への参加など、全年代を通じて音楽活動に余念がない。(ほかにもショーン＆ハマー、アブラクシス・プール、プラネット・USに参加、あるいは指揮。)ソロでも『Late Night』『Beyond The Thunder』などを発表。様々なジャンルの人気曲をギターによるインストゥルメンタル曲としてカヴァーした『Voice』アルバム（2001年）はグラミー賞にノミネートされた。また、元ナイト・レンジャーのジャック・ブレイズのソロ・アルバムに元スティクスのトミー・ショウらと参加している。この2人とは近年公私を越えて仲が良く(ショウとブレイズの2人は90年代にもダム・ヤンキースやショウ・ブレイズとして活躍)、2005年のジャーニーのアルバム『ジェネレーションズ』では逆にブレイズが曲作りに参加してアルバム中最も80年代ロック的なハイテンションの楽曲となった。 
ロス・ヴァロリー (Ross Lamont Valory) ：（U、E）(1973-1984,1996-)B（ベース）、バッキングボーカル。1949年2月2日サンフランシスコ生まれ。ショーンの旧友で、ショーンと共に結成時のメンバー。16歳でのちのサイケデリック・バンド&amp;quot;フラミアス・バンダースナッチ&amp;quot;の前身、&amp;quot;ミスティークス（Mystiques）&amp;quot;を立ち上げ、ほかにスティーヴ・ミラー・バンドにも在籍した。彼はマルチ・プレイヤーとして知られ、歌、ピアノ、ギター、ドラム、そしてクラリネットが演奏できる。結成以来ベーシストとしてのプレイおよびリズムギター、バックヴォーカルに専念していたが、2005年発表のアルバム「ジェネレーションズ」では初のリード・ヴォーカル曲「ゴーン・クレイジー」を披露した。 
彼は変顔が大好きで、ライヴ中いつもおどけた表情をする。
&lt;/pre&gt;
　　　
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-2&#039;&gt;&lt;/a&gt;来歴&lt;/h1&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt; 第1期&lt;br /&gt;
まもなくドラマーがジェフ・ベック・グループやフランク・ザッパ&amp;マザーズなどでキャリアを積んだエインズレー・ダンバーに替わり、1974年には当時のCBSコロムビア（現ソニー・ミュージック）との契約を結んだ。デビューにあたっては、コンサートのフリーパスを懸賞としたバンド名公募が地元のラジオ局によって行われたが、ここではまともなアイディアが得られず、結果的にはスタッフの提案によって「ジャーニー」をバンド名とした。[1]翌1975年にデビュー作『宇宙への旅立ち』を発表。セカンド・アルバム『未来への招待状』のリリース前にティックナーが脱退し、このアルバムと次作『果てしなき挑戦』ではショーン、ローリー、ヴァロリー、そしてダンバーの四人編成となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この当時のジャーニーは「インストゥルメンタル曲主体のプログレッシヴ系ロックバンド」という位置付けにあったが、商業的には振るわず、補強のためロバート・フライシュマンがバンド初の専任ヴォーカリストとして1977年6月から加入。ニュー・アルバムのための曲作りに参加しつつツアーに臨むも約三ヶ月後のツアー中に解雇され、ほどなく二代目専任ヴォーカリストとしてスティーヴ・ペリーが加入。フライシュマンの解雇とペリーの加入は、当時のマネージャーであったハービー・ハーバート（かつてサンタナにロードクルーとして参加していた彼が「ショーンを中心としたバンドを作ろう」と思い立ったことがジャーニー結成のそもそもの発端であった）の戦略的判断によるものであったと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スティーヴ・ペリーの加入により、バンドの方向性はそれまでにない劇的な変化を遂げることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 スティーヴ・ペリーの加入後&lt;br /&gt;
スティーヴ・ペリーはジャーニーに加入する直前まではエイリアン・プロジェクトというバンドに参加していたが、メジャー・デビューのための契約を間近に控えた1977年の夏にベーシストを交通事故で失い、エイリアン・プロジェクトとしてのメジャー・デビューの話は白紙となった（ペリー曰く「バンドは急いで彼の代わりを捜したんだけど、僕にとっては彼無しではもう以前と同じようなバンド活動は続けられなくなってしまった」）。エイリアン・プロジェクトとしての活動が停止した後、ペリーは故郷に戻ってしばらく農場で働いていたが、実はその間にエイリアン・プロジェクトのデモ・テープが業界関係者を通じてハービー・ハーバートのもとに届いていた。それを聴いたハーバートは、その可能性を高く評価しペリーをジャーニーへ加入させた（加入当初のペリーはハーバートの計らいからか、「ツアースタッフの親戚」という触れ込みでツアースタッフも兼務していたとされる）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1978年、4作目のアルバム『インフィニティ』では前作までのプログレッシヴ系ロックバンドとしての作風も維持しつつ、それと伸びの良いヴォーカル・パートを生かした躍動感ある楽曲との和合が特色となり、その後のバンドの方向性を明確に示す。このアルバムは全米21位のヒットとなり、初のシングル・ヒット曲を獲得（「ホィール・イン・ザ・スカイ」）すると共にプラチナ・ディスクを初めて獲得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしダンバーはそれ以上のポップ化を図るバンド／マネジメントとそりが合わなくなり、脱退してジェファーソン・スターシップに移籍、新たなドラマーとしてスティーヴ・スミスが参加。ジャズの流れを汲む彼の演奏はハードロック的でポップな作風へとシフトしつつあったバンドの志向と合致し、1979年作の『エヴォリューション』アルバムでは全米チャート20位、続く1980年作の『ディパーチャー』では8位と更に勢いを増し、その中で歴代の代表曲となる「ラヴィン・タッチン・スクィーズィン」や「お気に召すまま」などのシングル・ヒットも記録。バンドはそれまで通りライヴ・ツアー主体の活動を続けつつ、より広範な聴衆と人気を獲得してゆくこととなる。また、前述『ディパーチャー』アルバムと同年に高田賢三が監督を務めた映画「夢、夢のあと」のオリジナルサウンドトラックも手がけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、結成メンバーの一人であったグレッグ・ローリーが心労などの理由から脱退し、オリジナルメンバーはショーンとヴァロリーの二人だけとなる。ローリーは後任のキーボーディストとして当時ジャーニーの前座を務めていたベイビーズのジョナサン・ケインを推薦した。ケイン自身はこの時すでにベイビーズの主要メンバーであった自らの責任とジャーニーでの可能性との狭間で苦悩したが、最終的にジャーニーを選んだ。シンセサイザー世代であるケインはメロディックな曲を書くソングライターとしての素質も持っており、ジャーニーの楽曲に幅広いレパートリーを与えた。また演奏面でもブルージーで官能的なグレッグとは全く異なる爽快なサウンドをジャーニーの楽曲に加味した。ギターも演奏できたケインはショーンの手ほどきでギタリストとしても才能を現し、ライヴにおいては時としてショーンをサポートする「もうひとりのギタリスト」として演奏するなど斬新な印象をバンドの作風に盛り込んだ。[2]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 決定打&lt;br /&gt;
ニール・ショーン（ギター）、スティーヴ・ペリー（ヴォーカル）、ロス・ヴァロリー（ベース）、スティーヴ・スミス（ドラム）、ジョナサン・ケイン（キーボード）の5人体制となったジャーニー。最高傑作と評されるアルバムがリリースされたのもこの時期であり、ショーン、ペリー、そしてケインを中心として書き上げられたこの時期の楽曲は完成度、人気ともに群を抜いている。最たる例としては、1981年に発表されたアルバム『エスケイプ』が挙げられる。一曲一曲の完成度が非常に高い上、各パートの個性も遺憾なく活かされ、印象的に打ち出されているこの作品でジャーニーは念願の全米1位を獲得。ライブ・ステージの音響担当からレコーディング・エンジニアに昇格したケヴィン・エルソン（このアルバムの前作である『ライブ・エナジー（原題：Caputured）』ではプロデュースを担当）とコンビを組んだ後に名プロデューサーと讚されるようになるマイク・ストーン（クイーンのプロデュースで一躍名を馳せたロイ・トーマス・ベイカーの愛弟子で、自らもクイーンの多くのアルバムでレコーディング・エンジニアを担当していた）、この二人の「生で演奏している音の雰囲気を殺さず音盤にする」力量が、レコード（当時）にはなかなか収め切れなかったライブ・バンドだったジャーニーの魅力を遺漏無く封じ込めることに成功したのも、彼らの出世を大きく後押しした事は特記しておく必要があると思われる。尚、後にマイク・ストーンは、ジャーニーとの仕事で培ったレコーディングのノウハウをより洗練させエイジアの成功に大きく貢献した。金銭的に余裕が出来たからか、ニール・ショーンがヤン・ハマーとのものを皮切りに独自のプロジェクトを立ち上げる。&lt;br /&gt;
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「Don&amp;#39;t Stop Believin&amp;#39;」&lt;br /&gt;
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「Open Arms」&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;embed allowscriptaccess=&quot;never&quot;  src=&quot;https://www.youtube.com/v/wU_XCpC6HdE&amp;feature=related&quot; width=&quot;425&quot; height=&quot;350&quot; wmode=&quot;transparent&quot;&gt;&lt;/embed&gt;&lt;br /&gt;
「Faithfully」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/baasan91/33771134.html</link>
			<pubDate>Fri, 07 Aug 2009 16:35:39 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>Chicago</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-78/baasan91/folder/1058343/65/33771065/img_0?1249629914&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_500_321&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;メンバー&lt;/h1&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;前身となったバンド「ビッグ・シング」は、ロバート・ラム(Vo,Key)、テリー・キャス(Vo,G)、ジェイムズ・パンコウ(Tb)、ウォルター・パラゼイダー(Woodwinds)、リー・ロックネイン(Tp)、ダニー・セラフィン(Drums)、ピーター・セテラ(Vo,Bass)の7人編成であった。

その後、元セルジオ・メンデスのメンバー、ラウヂール・ヂ・オリヴェイラ(Perc)が加入（アルバムへの参加はVIIから14まで）。アルバム「XI」のリリース後には、テリー・キャスが死亡している。またアルバム「Hot Streets(12)」で元1910フルーツガム・カンパニーのドニー・デイカス(Vo,G)が参加するが、アルバム「13」のリリース後、ほどなく解雇される。

アルバム「16」より、ビル・チャンプリン(Vo,Key,G)が参加する。 「17」ではクレジットのみ、クリス・ピニック(G)がメンバーとして表記される（ちなみに、アルバム内ジャケットにあるメンバーの集合写真にはクリスを含まない７人のみが写る）。

「17」を最後に、当時のシカゴのヒット曲でヴォーカルを担当していたピーター・セテラ(Vo,b)がソロ・活動に専念するため、脱退。代わって「18」よりジェイソン・シェフ(Vo,b)が加入。

「19」を最後に、オリジナル・メンバーであるダニー・セラフィン(Drums)が解雇される。「19」でセッション参加していたドウェイン・ベイリー(G)は、「TWENTY 1」より正式メンバーとなる。

アルバム「ナイト・アンド・デイ」製作中にはドウェイン・ベイリーが解雇され、代わってキース・ハウランド(G)がメンバーとして迎えられる。なお、このアルバムのレコーディングにはブルース・ガイチ(G)が参加。

2006年3月には「XXX」が「TWENTY 1」以来15年ぶりとなる全曲新作のオリジナル・アルバムとしてリリースされるが、健康問題により、リー・ロックネイン(Tp)はレコーディングには参加していない。
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h1&gt;&lt;a name=&#039;section-2&#039;&gt;&lt;/a&gt;来歴&lt;/h1&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;1967年にデ・ポール大学の学生たちが中心になり、前身バンドである&amp;quot;ビッグ・シング&amp;quot;を結成。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1969年にガルシアのプロデュースによりコロムビア・レコードからデビュー。その後、&amp;quot;シカゴ・トランジット・オーソリティ（シカゴ交通局）&amp;quot;から&amp;quot;シカゴ&amp;quot;とバンド名を変えた。これはシカゴ交通局からの苦情がきっかけであった。バンドはデビュー・アルバムから3作連続で2枚組アルバムを発表。1970年にはシングル「25 Or 6 To 4（邦題；長い夜）」が世界的に大ヒットした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初期には政治的な歌詞を持つ曲が多かったが、徐々にその特徴は影を潜め、1976年にはラブ・バラードである「If You Leave Me Now（愛ある別れ）」が全米ナンバーワンになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、ギタリストのテリー・キャスの拳銃暴発事故（自動式拳銃の薬室に残った弾丸の誤発射）による死亡、プロデューサーであったガルシオへの解雇などによりグループの方向性は変化し、トム・ダウドプロデュースのアルバム「14」は商業的に失敗する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし1980年代に入ってフル・ムーン (WEA系) に移籍し、デイヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎えて復活。以後は1982年の「Hard to Say I&amp;#39;m Sorry（素直になれなくて）」（1982年年間10位）、1989年の「Look Away」（1989年年間1位）など、ラブ・バラード路線のヒットを連発した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だがアルバム「TWENTY 1」の売り上げが低迷したことから、バンドとレコード会社の関係が悪化し始め、 アルバム「22」として製作された次作「STONE OF SISYPHUS」がレコード会社の希望する路線と異なっていたことからアルバム発売が中止されてしまう（2008年5月6日放送「ベストヒットUSA」での、ロックネインとパンコウの発言より）。これがきっかけとなり、バンドはジャイアント・レーベルへ移籍。ビッグバンド・ジャズのカヴァー集であるアルバム「NIGHT&amp;DAY」をリリースした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年4月には、日本でヒューイ・ルイス&amp;ザ・ニュースとジョイントコンサートを行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年6月(日本国内盤は7月)には、かねてからお蔵入りとなっていた｢22｣ (STONE OF SISYPHUS)が「XXXII:STONE OF SISYPHUS」としてリマスターされ発売された。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;視聴はこちらから↓&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://www.dailymotion.com/swf/x1vnge_the-gringos-25-or-6-to-4_family&amp;related=1&quot;&gt;http://www.dailymotion.com/swf/x1vnge_the-gringos-25-or-6-to-4_family&amp;related=1&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
「25 or 6 to 4」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://www.dailymotion.com/swf/x1y5o9_chicago-hard-to-say-im-sorry_music&amp;related=1&quot;&gt;http://www.dailymotion.com/swf/x1y5o9_chicago-hard-to-say-im-sorry_music&amp;related=1&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
「Hard to Say I&amp;#39;m Sorry 」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;embed allowscriptaccess=&quot;never&quot;  src=&quot;https://www.youtube.com/v/2DkKRFUbH_4&quot; width=&quot;425&quot; height=&quot;350&quot; wmode=&quot;transparent&quot;&gt;&lt;/embed&gt;&lt;br /&gt;
「Look Away」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/baasan91/33771065.html</link>
			<pubDate>Fri, 07 Aug 2009 16:25:14 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
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