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東宝にゴジラがいるのなら、大映にはガメラがいる! 物語は北極から始まる。 日高教授らが、北極のエスキモー集落を訪れ、アトランティス大陸にいたと言う亀の伝説を追っていた。 その最中に国籍不明機が現れ、アメリカ空軍が追跡、撃墜する。 だが、その国籍不明機が核爆弾を搭載しており、墜落した際に北極の氷の中で眠っていた、アトランティスの伝説の怪獣・ガメラを目を覚まし、日本の調査船「ちどり丸」を撃墜し、姿を消した。 その後ガメラは襟裳岬に上陸。自衛隊の攻撃をもろともせずに、北海道を飛び去った。 その後東京に上陸し、コンビナートにて石油を吸収。人類はついに、Z作戦を発動。 ガメラを伊豆大島へと誘導する。 僕は、ガメラは好きだ。 亀がモチーフと言うどことなく力の抜ける感じ。 手足を引っ込めて、回転ジェットとなって飛ぶ能力は、生物の範疇を超えるものである。 その「強引さ」が愛されてやまない。 後年の敵対怪獣のデザインなども、ぶっ飛んでいてよい。 ゴジラと違い、ガメラは「人間の味方」というイメージがある。 しかし、この一作目は人類の敵としてキャラづけされている。 そして、核によって目覚めた点で、ゴジラと共通する。 やはり東宝のゴジラに対するカウンターとしての側面があったのだろう。 だが、ガメラは人類の敵でありながら少年の命を救うシーンがあり、「敵か?味方か?」という問いがある時点でゴジラとの差別化を図っている。 この描写が、ゴジラとの違いを決定づけ、後のシリーズの基盤となり、平成になってからのシリーズでも「人類の味方」というスタンスは守られていくことになる。 だが、特筆すべきはその「チープ感」にある。 ガメラはあまり「立体的」ではない。胴体はかまぼこ板のようで、その胴体から短い手足が生えている。 オープニングでのエスキモーや北極の描写はイメージ優先であり、北極をジープで走り、エスキモーはかまくらに住んでいる。そして大村昆に似ている。 飛行機の飛び方一つでも、素人目に円谷プロの技術との差を感じることができる。 何より、最後のZ作戦の全容である。 ガメラを誘導し、誘導されたガメラは卵のようなカプセルに包まれ、そのままロケットで宇宙に飛ばされる。大がかりな割に、見た目にチープな作戦である。 何を言わんとしているかと言うと、これこそが「平和」なのである。 現代における作劇は、よりリアリズムが求められ、謎があれば回答せねばならず、観客は少しでも矛盾があればすぐに上げ足をとる。それを生業にしているような人もいる。 が、それはドラマの原則では決してない。ビジネスである以上、客のニーズにこたえるのは当然であるが、「ドラマの原則」という一点に絞った場合、謎は決して解決しなくてもいいし、整合性よりも優先すべきものがある場合もある。 それが許されたこの時代は「平和」であった。と言う事である。 だが、それは現代が平和ではないという意味ではなく、制作側が情熱を傾け、伝えるべきメッセージが伝える努力をすれな、物語の細かいディテールを気にせずとも傑作はどんどん生まれるはずである。 そういう意味でガメラが平和の使者としてシリーズになるのは、理にかなっていたのではないだろうか。 |

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