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「韓流」という言葉が日常に入り込んで久しい。今日では「韓流」とは、もはや一過性のブームではなく、ジャンルとして定着したとみていいだろう。
かといって、韓国で作られた映像作品や、それにかかわる俳優たちをすべて「韓流」の一言で片づけてしまうのも、いささか扱いが軽い気がする。
知ってはいたが、韓国の映画は「すごい」。
物語は漢江から突如出現した両生類のような怪物に娘・ヒョンソを連れ去られてしまった露店の男・カンドゥ。娘を失った失意の上に、怪物の持つ未知の病原菌に感染した疑いをかけられたカンドゥは在韓米軍にとらえられてしまう。
ある夜。病室でカンドゥの携帯が鳴る。着信は死んだと思われていたヒョンソからだった。怪物はとらえた人間を巣である下水道に話していた。ヒョンソはすぐに食べられることなく、そこで生きていたのだ。
娘が生きていた事を、警察や軍関係者などに話すも信じてもらえず、病気のせいにされ隔離させられる。
カンドゥとその家族たちは、病院を抜け出し、追われながらもヒョンソを探し始める。
この映画はヒョンソを探す「家族」の物語であるが、カンドゥは離婚しており母親は一切出てこない。活躍するのは祖父と、叔父と叔母である。できの悪い、頭の足りないヒョンソの父である長男。大学を出て、頭の切れる弟。アーチェリーの選手として国民的人気を誇る妹。カンドゥとともに露店を経営する兄弟たちの父である祖父。
この4人が1チームとなって、怪物を追うわけである。
家族が中心で描かれる映画は数多くあるが、この組み合わせは少々珍しいという印象を受けた。「家族」自体が描かれる作品であれば、その形態は数多く描かれるが、こういった「怪物」という看板を背負ったうえで、それに立ち向かう家族が捕らえられた少女の父と、その兄弟と祖父。と言うのは実に珍しい。ここに監督の意図が何かしらあるのだろう。
大きく見ると、怪物を通しての家族の絆のようなものがテーマにある。
しかし、冒頭で危険な化学薬品を在韓米軍の科学者の命令で漢江に流すというシーンがある。劇中で、ここで流れた薬品と怪物との関連を示す明確な描写はないが、監督は作品の反米性を認めている。
作品終盤に出てくる「エージェント・イエロー」という化学兵器は、ベトナム戦争で米軍が使用した枯葉剤「エージェント・オレンジ」にかけた風刺であるという。
そもそも怪獣や怪物といった類は社会風刺である場合が多く、それがキャラクターとしての重要性に直接かかわる。古くは日本の妖怪変化の類も当時の文化では計り知りえなかった現象などを、伝承や架空の生物に置き換えたものである。
有名どころでは、ゴジラも原爆の影響で生まれた怪獣であり、シリーズが続くにつれその姿はスタイリッシュになっていったが、元々のデザインはキノコ雲を模した頭部をしており、第1作目は戦争を大いに意識した演出であった。
怪物が出てくるものは、怪物それ自体が主役になってはならない。あくまでそれを看板として出しておいて、人間ドラマを見せるのが王道だと思う。そして多分に風刺を含んでおり、怪物は「比喩」として存在されるべきで、それが押さえてあれば例え特撮テレビシリーズにおいても、強烈なキャラクターとして人々の心に残る。
この作品においては、怪物の出現の原因については暗に示されているだけにとどまっているために、「怪獣」としてのキャラはそれほどではない。
しかし、それを補っての家族たちの人間ドラマ。それぞれのキャラクターの見せる行動。
何よりも父親として足りない自分を自覚しつつも命を賭してヒョンソを救おうとするカンドゥ。怪物にとらえられた状態で、なおもあきらめず、ともにとらえられた男児を守るヒョンソの姿に心打たれる。
それらはカンドゥ演じるソン・ガンホが見た目がイケメンでないおっさんの風貌であることと無関係ではないと思われる。
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