タカオの雑食

とりとめのない映画レビューです。

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初のインド映画である。
ある日、唐突にインドに触れたくなり、中古のCDを買い、「ムトゥ 踊るマハラジャ」を観ようと思ったが、この映画はレンタルで出回っておらず、ネットでもなかなかの値段がついており、断念。
しかし、主演のラジニカーンとは外せず、探して見つけたのが本作。

アメリカ帰りの精神科医サラヴァナンが、親友が結婚祝いに購入した古い洋館にある不気味な謎を解いていく、ホラーなのか、アクションなのか、ミュージカルなのか、ラブストーリーなのか、ジャンル分けがとても難しい。
平たく言うと、何よりもエンターテイメントであり、ネタ抜きに見ても、なかなか面白い。

それは、おそらく文化の違いによるところが大きいのだが、信仰の強い国らしく、途中から出てくる祈祷師は、かなりの重要な役割を持っているし、全員が霊などの超常現象を信じている体で話は進んでいく。
話が進むにつれ、「この問題を解決するには、精神医学と、祈祷が必要」となり、西洋医学と、信仰が同列に扱われているところが非常に面白い。
少なくとも、僕が知っているうちでは「霊の正体は科学で解明できる」か、「科学で解明できない超現象はある」と言う風に、仲よく二つが同居する作品はないように思える。
「科学と、超存在の同居」であるならば、ウルトラマンが最も近い気もするが、あれは宇宙人なので、また趣が異なる。
インドならではの発想だと思う。
化学も受け入れつつ、古くからの信仰も大切にしているのだ。

さらにこの映画はやはり、主演のラジニカーントと、彼に対する演出である。
もう、「ここまでするか?」と言うくらい、彼が引き立つ演出をしている。
「こんな髭のオッサンが、なんでスターなのだ?」という疑問は、一本でも彼の主演の映画を観れば野暮である。
作品を観れば、その過剰なまでの演出で、「わかった!」と言わざるを得ない。
それだけの説得力を持っている。

さらにさらに、歌、踊り。
単純にストーリーだけを追っていれば、無駄な演出の多い映画である。が、やはりそう思う事も野暮なのだろう。
インドでは、映画は騒ぎながら、キャラクターと共に、踊り、歌い、笑いながら観るものだと聞く。
200日間も上映された作品なのだから、みんな映画館で、何度も踊ったのだろう。

シナリオを勉強している身としては、どういう立ち位置で観ればよいのか迷う存在だ。
インド映画はそれほど、カルチャーショックだった。
「こういう映画もある」という事だ。

仏教はとらわれてはいけないと教えているのだし、あまり難しく考えるなと言う意味でも、良い映画だと思う。
映画に寛容な人に、お薦めする。

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「機動警察パトレイバー」は、いわゆるロボットもので、映画のほか、テレビアニメ、漫画、オリジナルビデオとあらゆる媒体で展開され、それぞれで細かく話や設定が異なる。

主人公は警官で、「レイバー」と劇中で呼ばれるロボットでの犯罪に対抗するために設置された、「特殊車両二課 第二小隊」に属する公務員である。
つまり「パトレイバー」とは、「パトロールレイバー」の略である。

あらゆる媒体で展開された本作だが、劇場版はかなり重厚で、テーマ性の強いものとなっている。

本作は、とある男が、「方舟」と呼ばれる、劇中での都市開発の要である建設物から飛び降りるシーンで始まる。
それから、都内でレイバーの暴走事件が頻発する。
事件を追っているうち、レイバーに搭載されたOSのコンピューターウイルスが原因だと分かる。
しかし、そのOSを開発した男は既に他界している。(冒頭の男)
そのうち、そのOSに仕込まれたウイルスが、接近中の台風の音の共鳴により作動し、都内の同様のOSを持ったレイバーが暴走する危険性が分かった。しかし、それには決定的な証拠に欠ける。阻止するためには、東京湾の「方舟」を破壊せねばならない。
特車二課は、下手をすれば全ての罪をかぶりかねない作戦を敢行する。

ちなみに、これは1989年の作品である。
ウインドウズ95が、世界的なヒットをした時、僕はそれがパソコンの何なのかわからなかった。OSと言う言葉を使うようになるのには、まだまだ時間がかかったのである。
それで、98年に「世界的にヒットしたOSにウイルスが仕掛けられている」という筋は、時代の先取りも甚だしい。

一般に「ジャパニメーション」と呼ばれる、日本のSFアニメ群は、専門用語などが何の説明もなくつかわれたりして、万人受けしにくいものだが、この作品は謎解きと、人間ドラマに重きを置いてあり、構成もわかりやすい。

ロボットアニメに入るものの、ロボットに頼ることなく、ミステリー色の強い作品となっているので、普段アニメを見ない人でも、見れるんじゃないかなー。と思う。

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内容は2005年に亡くなったAV女優林由美香の仕事仲間でもあり、一時期不倫関係でもあった監督が、過去の作品で撮りためた彼女の映像を再編集したうえで、新たに撮り下ろしたVTRを通して、監督自身が彼女の死から立ち直るまでを描いているドキュメンタリーである。

平野監督は、不倫関係にあった時期に、北海道まで彼女と自転車で旅をする様子を映画として製作している。前半は、その蜜月を中心として描かれており、彼女への愛が(たとえ不倫だとしても)純粋に見えてくる。
見てる側としては映画の内容が、「なくなった女優」という事を知っているので、この辺りはつらい。しかし、これを編集した監督が一番つらかっただろうと思う。
その後、彼女にフラれ、映画監督として彷徨う様子。
彼女の死。それから五年間。監督は、映画が撮れなかった。

時系列に沿って流れていく林由美香という女性の断片が、平野監督によって、神格化されていく。

ある程度なの売れた人物の早すぎる死は、人物のカリスマ性をアップさせる。
この映画によって、林由美香は神格化されたと言ってよい。おそらく、監督が思っている以上の存在になったと思う。

そして監督は、この映画を作ることが、作中でも語っているように「自分なりの葬儀」であった。
亡くなった元・恋人から離れる事ができずに生きる日々はつらかっただろうと思う。想像に絶する。

監督は、まさに人生をかけてこの映画を作った。そして、映画監督としての自分を取り戻した。

次々と、映画を撮る監督もいて、一つのテーマをしつこく追い求める監督がいる。
平野監督は、「林由美香」という素材を追いかけ続けた監督だった。

僕は「作品に向き合う」という事を、この映画によって知らせれた気がする。

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1970年代のスコットランドを舞台に描かれる。
主人公のベスは純粋無垢で、信仰の厚い女性である。映画は彼女の結婚から始まる。
夫のベスは、油田の採掘基地で働き、留守が多い。ベスは、毎日教会にお祈りし、やんが早く帰って来るようにと願う。
果たしてその願いは通じ、ヤンは帰ってくるが、採掘基地で事故が起こり、重体となっていた。命は取り留めたものの、半身不随となってしまう。ベスは、自分の祈りが災いをもたらしたのだと責める。
ヤンは、セックスのできない自分の代わりに、ベスに愛人を作るように言う。そしてその様子を伝えてほしいと。そうすることで、ヤンは、間接的にベスと愛し合う事ができると。
ベスはそうして、少しづつ男たちと関係を持ち始め、その様子をヤンに報告する。
ヤンの様態が悪化すると、彼女は男と関係を持ち、それを報告する。すると、ヤンはその度に回復するのであった。
ベスは、それを神の力が働いているのだと信じるが、次第に服装が派手になり、娼婦となったベスを、家族も、教会も見放した。
ヤンは危篤状態になり、ベスは、より強い神の加護を受けようと荒くれ者と関係を持とうとする。
しかし、ベスは、船員たちの性的暴行を受け、重体となって病院に運ばれた。混濁した意識の中で、母に「悪い子でごめんね」と告げ、息を引き取る。
数日後、奇跡的に回復したヤンが、海上にいた。教会の追放者となったベスは、葬儀をさせてもらえないため、ベスの遺体を持ち出し、水葬にした。その時、曇天の空から、鐘の音が鳴った。

これは、愛と親交の話である。
監督は、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のラース・フォン・トリアー。
主人公のベスは、純粋無垢で、信仰心の厚い人物だが、ヤンへの愛情は、異常である。
前半、ベスがものすごい善人で、愛にあふれる人物だと解ってはいるものの、その愛への渇望は、見ていてアンバランスな感じで、鬼気迫るものがある。
そうして、夫に言われるまま、夫以外の男性と関係を持ち続けるベス。
最初こそ戸惑う様子を見せるものの、その後は、しっかり都心のある描写である。
「ほかの男に抱かれることで、ヤンを救える」と本気で信じている。
よくよく考えなくても、この愛情は異常である。しかし、見て行くうちに、これは彼女にとっての純愛であると気づく。

愛とはなんだろう。
僕はそんなことを考えた。

ベスは、他の男に抱かれながら、間接的にヤンを感じていたのである。
彼女にとって、その行為は、自己犠牲でもなんでもない。
愛する人に抱かれているのと、感情的には変わらないのである。

そのベスが死ぬというラストは、僕の知っている愛の理解を超えている。

僕は、これを書きながら、愛について考えている。


神様と、点と線。

会社で「手塚治虫が生きていたら、どうなっていただろうか」という話になった。
おそらく尾田栄一郎に「僕は、このくらいのマンガ、いつだって描けるんだ!」とケンカを売っていただろうという事で話はついた。
マンガの神様の、神様たる所以はその嫉妬心。
どんな新人でも、目の敵にした。
石ノ森章太郎が、手塚治虫の言葉で、連載を打ち切ったのは有名な話。
水木しげるも言われている。(「ゲゲゲの女房」では手塚らしきベレー帽の人と、談笑してるシーンがあったが、本当は前述したようなセリフを直に言われている。)
狭量と言ってしまえばそれまでだが、そのあくなきハングリー精神は死ぬまで衰えることは無かった。
言っておくが、手塚治虫の仕事は参考にしない方がよい。(できないだろうが)寿命を縮める。

帰り自転車を走らせていたら、信号待ちの時に、横断歩道の向こうに綺麗な色白の女性が立っていた。
明るく脱色されたロングは、色白の肌と相まってその存在を儚げに見せた。
その女性と横断歩道上ですれ違い、そのまま、遠ざかって行った。
そして、次はサラリーマンとすれ違い、主婦とすれ違い、高校生の集団とすれ違い、家にたどり着いた。
その一瞬一瞬、何があったわけでもないが、僕の人生と、彼らの人生がリンクした。
だからと言って、何がどうなるわけでもないが、その一瞬一瞬が、点となり、それを線で紡いで一本になっていくのだなぁとぼんやりと考える帰路であった。
僕の人生はどれだけの点でできるのだろう。
そして、僕はどれだけの人の人生の点となっているのだろう。

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