タカオの雑食

とりとめのない映画レビューです。

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この映画がヒットして昭和ブームと言うよりも、特に30年代が取り上げられるようになり、「昭和30年代は日本人の原風景」などとぬかすメディアも出てきたものだから、僕は意地でこのブームには乗らないようにしていたのだった。あまのじゃくもいいところである。僕の少年時代の80〜90年代はどうなる!?江戸時代の東海道、中山道は日本人には原風景にはならないのだろうか。

だが実際、この時代を生きた人たちはノスタルジックに浸ると同時に物語に深い感動もできようが、僕(昭和54年生まれ)くらいの世代が、「すごく感動しました」とかテレビCFで言っているのを見ては僕は辟易していた。ブームと言うのは軽薄だ。自分の目でモノを見ねばならん。と、意気込んだ僕はようやっと自分からこの作品を見る気になった。
しかし、動機は実に不純で、「昭和30年代がなんだって?俺が笑ってやるよ!」てなもんである。

ところが、僕のあまのじゃくは持続がない。

物語は昭和33年の東京を舞台に、小さな町工場の鈴木オートに集団就職でやってきた六子と、鈴木オートの家族の交流。駄菓子屋を営みながら純文学を目指す青年茶川と、茶川が酔った勢いで預かることになった淳之介との悲喜こもごもと、その子供を連れてきた居酒屋のおかみ・ひろみとの恋を当時の文化、風俗を細かく再現しながら、「お金はなかったけど、豊かだった時代」を描いていく。

総評としては、良かった。時代のノスタルジィに頼らず、普遍的なテーマを持つエピソードを散りばめたことで、観客を限定せずに老若男女が楽しめるようになっている。悔しいぐらい「うまいな」と思った。

大体、僕はいつもそうで。嫌うつもりで、その理由づけのためにリサーチを行った結果、嫌う理由が見つからず宙ぶらりんになってしまうことが多々ある。
上岡龍太郎が漠然と嫌いだったが、「なぜ嫌いか」をはっきりさせとかないと相手にも失礼と思い、調べた結果、嫌う理由がなくなってしまった。
今日も、会社の近くにできた石窯パン工房なる人気のパン屋に初めて行き、しかし、我が家の前にはおいしいパン屋があるので、日記でケチ付けてやろうと思ったらおいしかった。
僕の牙はでどころがないのだ。

閑話休題。
しかし、この映画。先ほど言った通り、良く言う「お金はないけど、豊かだった時代」を描いている。
それで、同時代を生きた人たちは共感し、それ以外の若い人はファンタジーでも見るかのように憧れるのだろう。
舞台は一つの街に限定して描かれている。当時の時勢などは、劇中のテレビ中継などでプロレスなどは出るが、詳細に出るわけではない。あくまでその町レベルでの風俗、文化が出て当時の日本の抱える問題、高度経済成長の弊害となる公害病や政治的な問題などは描かれていない。僕はこの時代を生きていないので、簡単に調べただけだが「美化」である。もちろんこれが演出によるもので、観客に郷愁を誘うノスタルジーを抱かせるためにそうしてあることはわかっているので、これは文句ではない。
しかし、映画の美化は時に危険である。戦争ものなどが美化されたらたまったもんではない。これは今回のテーマから外れるが。

建設中の東京タワーが印象的に使われている。
東京タワーは昭和を象徴する建造物かもしれない。
ゴジラが壊して、モスラも繭を張った。そうでなくとも、東京タワーの中にはなぜか蝋人形館がって、どことなくいなたい。首都にいながら地方の匂いさえする。あれが仮に昭和の匂いだとしたら、現在建設中のスカイツリーはどのような匂いで、どのような感傷を我々に与えるのか。

今から30年もたてば、僕の少年時代が「ノスタルジー」として映画になるのだろうか。
ビックリマンチョコや、ミニ四駆。たまごっちで遊ぶ子供たち。あのカオスの80〜90年代もなかなかいい映画になりそうだと思うが、どうだろうか?

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「韓流」という言葉が日常に入り込んで久しい。今日では「韓流」とは、もはや一過性のブームではなく、ジャンルとして定着したとみていいだろう。
かといって、韓国で作られた映像作品や、それにかかわる俳優たちをすべて「韓流」の一言で片づけてしまうのも、いささか扱いが軽い気がする。
知ってはいたが、韓国の映画は「すごい」。

物語は漢江から突如出現した両生類のような怪物に娘・ヒョンソを連れ去られてしまった露店の男・カンドゥ。娘を失った失意の上に、怪物の持つ未知の病原菌に感染した疑いをかけられたカンドゥは在韓米軍にとらえられてしまう。
ある夜。病室でカンドゥの携帯が鳴る。着信は死んだと思われていたヒョンソからだった。怪物はとらえた人間を巣である下水道に話していた。ヒョンソはすぐに食べられることなく、そこで生きていたのだ。
娘が生きていた事を、警察や軍関係者などに話すも信じてもらえず、病気のせいにされ隔離させられる。
カンドゥとその家族たちは、病院を抜け出し、追われながらもヒョンソを探し始める。

この映画はヒョンソを探す「家族」の物語であるが、カンドゥは離婚しており母親は一切出てこない。活躍するのは祖父と、叔父と叔母である。できの悪い、頭の足りないヒョンソの父である長男。大学を出て、頭の切れる弟。アーチェリーの選手として国民的人気を誇る妹。カンドゥとともに露店を経営する兄弟たちの父である祖父。
この4人が1チームとなって、怪物を追うわけである。
家族が中心で描かれる映画は数多くあるが、この組み合わせは少々珍しいという印象を受けた。「家族」自体が描かれる作品であれば、その形態は数多く描かれるが、こういった「怪物」という看板を背負ったうえで、それに立ち向かう家族が捕らえられた少女の父と、その兄弟と祖父。と言うのは実に珍しい。ここに監督の意図が何かしらあるのだろう。

大きく見ると、怪物を通しての家族の絆のようなものがテーマにある。
しかし、冒頭で危険な化学薬品を在韓米軍の科学者の命令で漢江に流すというシーンがある。劇中で、ここで流れた薬品と怪物との関連を示す明確な描写はないが、監督は作品の反米性を認めている。
作品終盤に出てくる「エージェント・イエロー」という化学兵器は、ベトナム戦争で米軍が使用した枯葉剤「エージェント・オレンジ」にかけた風刺であるという。

そもそも怪獣や怪物といった類は社会風刺である場合が多く、それがキャラクターとしての重要性に直接かかわる。古くは日本の妖怪変化の類も当時の文化では計り知りえなかった現象などを、伝承や架空の生物に置き換えたものである。
有名どころでは、ゴジラも原爆の影響で生まれた怪獣であり、シリーズが続くにつれその姿はスタイリッシュになっていったが、元々のデザインはキノコ雲を模した頭部をしており、第1作目は戦争を大いに意識した演出であった。

怪物が出てくるものは、怪物それ自体が主役になってはならない。あくまでそれを看板として出しておいて、人間ドラマを見せるのが王道だと思う。そして多分に風刺を含んでおり、怪物は「比喩」として存在されるべきで、それが押さえてあれば例え特撮テレビシリーズにおいても、強烈なキャラクターとして人々の心に残る。
この作品においては、怪物の出現の原因については暗に示されているだけにとどまっているために、「怪獣」としてのキャラはそれほどではない。
しかし、それを補っての家族たちの人間ドラマ。それぞれのキャラクターの見せる行動。

何よりも父親として足りない自分を自覚しつつも命を賭してヒョンソを救おうとするカンドゥ。怪物にとらえられた状態で、なおもあきらめず、ともにとらえられた男児を守るヒョンソの姿に心打たれる。
それらはカンドゥ演じるソン・ガンホが見た目がイケメンでないおっさんの風貌であることと無関係ではないと思われる。

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先日、「ストリートファイター レジェンド・オブ・チュンリー」を紹介した。
その際、設定などが改変され、「結局、ゲームが原作である必要がない。」という評価を下したのだが、それもこれも、1994年に制作されたこの作品があるからである。

「レジェンド・オブ・チュンリー」と比べると、この作品は幾分か原作となったゲームに近い。少なくとも、ビジュアル的には「ストリートファイター」を映画化している。しかし、それは結果的に。という意味だ。

原作となったゲームは、各キャラにそれぞれ戦うことになった理由が設定づけられているが、キャラクターデザインの安田朗氏は「ゲームの「戦い」にすべてを注ぎたかった」という理由から、その設定を極力力を注がなかったとしている。そのため、この映画でもかなりの設定変更がなされている。

なにぶん、熱狂的な人気のあったゲームだから、「どこにどのキャラがどのように出ているのだろう」と言う疑問は、すべてのゲームプレイヤーが持っていた。
主演がジャン=クロード・ヴァンダムで、ゲーム中のガイルの役をする。と言うのは、ハリウッド映画だからよしとしよう。しかし、そのほかのキャラクターが名前は知っているのに、見た目と設定があまりにも違いすぎるのだ。
そもそも、ゲームがアメリカに渡った際にいくつかのキャラクターの名前が変わったのでそれだけで違和感があるのだが、「四天王」と呼ばれたキャラがテレビクルーだったり、武器商人だったりする。
日本じゃ主役のリュウやケンは悪人専門の詐欺師という肩書で、格闘技は使えるものの、ジャケットなんか着ちゃって、全然違う。チュンリーもテレビキャスターだし。緑色の怪人、ブランカはガイルの親友とか言っちゃって、普通の人間だし。インドの怪僧のはずのダルシムは科学者になってる。

「なんだこりゃ?」の連続である。

ただ、すべてのキャラがバイソン将軍(これはゲームのキャラそっくり)に何かしらの因縁を持っており、ヴァンダム演じるガイルが中心となって、これを打ち破っていくのがお話の大筋。

ただ、このバイソン将軍もかなりの曲者で、武器売買で財産を築いたサガットから武器を買う際に、自分の肖像の付いたどこで使えるのかわからない紙幣を使おうとして、商談を破棄されようとしている。かなりのおバカ者だ。なぜに、軍隊まで持てるようになったのか疑問である。(麻薬を撃ったようだが、人物として成功者になれるとは思えない。)

で、そんなおバカ将軍と連合軍大佐・ガイルとの喧嘩であるが、ガイルは軍隊所属なので、体裁は「戦争」である。ちゃんと作戦を作って、それに沿って多くの兵隊が動く。その中に各キャラクターが何らかの形で絡んでいくのであるが、ガイル大佐がステルス艇でバイソン将軍のアジトに潜入するあたりで「どこが「ストリート」なのだろう?」と思わずにはいられない。
そもそも、舞台がジャングルなので、ストリート自体がない。

しかし、物語も終盤に差し掛かるとある変化が生まれてくる。
敵方にスパイとして潜入したリュウとケンは、基地の中の武道場の動議を着せられてゲームとそっくりのいで立ちになる。(なぜ、その際にほかの兵士と同じ軍服ではなかったのかは不明)。
バイソンにとらえられた、チュンリーはゲーム同様にチャイナ服を着せられたが、メイクがきつくなって不細工になったが、見事みんなが知ってるキャラになった。普通の人だったブランカは、バイソンの人体改造の犠牲になって、見事緑色の怪人になったが、えらくチープだ。髪の毛のあったダルシム博士は最後になぜか、ゲーム同様剥げてしまっていた。(笑った)他のキャラも、なんだかんだとゲーム同様の見た目になっていく。

ここで僕は気付く。「そうか、これは「ストリートファイター」になっていく映画なのだ。」と。

夢はいくら追いかけても叶うかはわからないが、追い続けていれば必ず近づくことができる。
この映画も同様だ。
「ストリートファイター」を目指し、頑張って映画を作って「お。もしかしてストリートファイター?」と言うところまで行ったものの、結局それ自体にはなれなかったのだ。
そう考えると悲しい。
ゲームが原作だと、こういう映画が多い。

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ある日、僕は夢を見た。
朝起きたら、僕の顔がジョン・マルコヴィッチだった。ただ、ほりが浅いのでペンで影をつけてから出勤した。

人がその作品を見るのに、どのような理由があるか知れない。
デートのためにみたくもないラブストーリーに思わず涙して、運命の出会いを果たした野郎もいるだろう。
上品な家庭に生まれて、たまたま友人宅で見たB級ホラーで目覚めちゃった女子もいるだろう。
僕は「マルコヴィッチの穴」を見るのに、「マルコヴィッチになる夢」を見てしまった。あまりにそのまんまなわけだ。バカみたいだが、シンプルでよい。
果たして、このバカみたいなシンプルな出会いが吉と出るか、凶と出るかだ。

結果から言おう。
文句なしの吉。大吉であった。

思えば、上映当時から単館系では話題の作品であった。
僕はジョン・マルコヴィッチという俳優を知らなかったし、興味もなかったのだがこの作品の存在は覚えていた。しかし、タイトルからしてコメディかと思っていたら、こいつはかなり深いドラマだ。感服した。

物語は、人形師のクレイグと妻のロッテは倦怠期の夫婦。クレイグは定職に就こうと、あるオフィスの面接を受ける。そこはビルの7と1/2階にある天井の低い奇妙なフロアにあるオフィス。そこで事務員として働くことになったクレイグ。
ある日、クレイグはオフィスの壁に穴を発見する。その穴は15分間だけ俳優、ジョン・マルコヴィッチの頭の中に通じるという不思議な穴。彼はこれを使い、上司の美女マキシンと「15分だけマルコヴィッチになれる」という商売を始めるが、そこから彼とその妻の人生を大きく狂わせていく。

マルコヴィッチの穴を使った人は、ものすごく興奮している。それは有名俳優の頭の中に入れたというミーハーな心理もさることながら、他人の頭の中に入ることで、自分の輪郭が明確になるのであろう。自分の存在がわかるというのである。「自分と言うものがわかったの。目からうろこが落ちた思いよ。」妻ロッテは異常に興奮し、繰り返しマルコヴィッチの頭の中に入ることで自分が「性倒錯者」だと言い出し、クレイグは大いにうろたえる。
そんなクレイグはマキシンにひかれているが、彼のいかにもおたくな風貌にピクリともなびこうとしない。
マキシンは独自のルートでマルコヴィッチ自身に近づき、徐々にその関係を親密なものにしていく。
そのうち、マキシンはマルコヴィッチの中に、ロッテの存在を感じ、「マルコヴィッチの体を介した」行為を経て、親密な仲になっていく。
二人の関係を知ったクレイグは嫉妬し、ロッテを幽閉し、自分がマルコヴィッチの中に入ってマキシンと関係を持つ。自力で何とか脱出したロッテであったが、マキシンはマルコヴィッチを自由に操れるようになっていく。ついには、完全にマルコヴィッチ自信となり、彼の人生を歩んでいく。その傍らにはマキシンが妻として立っていた。

ひどく恐ろしいホラーである。と、同時に人間をものすごく掘り下げている作品である。
クレイグは自分の恵まれない境遇とアイデンティティを放棄し、偶然見つけた近道を自分の力と誤認し、暴走に至る。
ロッテは、自分の正体を発見できたが、それは必ずしも幸せとは言えなかった。彼女は求める愛があるものの、被害者に陥ってしまう。
マキシンは他人のアイデンティティをとことん利用して利を得る「悪女」であるが、彼女はロッテの存在で救われることになる。
マルコヴィッチは、自分のアイデンティティを器にされ、自由に動けないジレンマを持つ。これは「役者」という職業の比喩なのかもしれない。
彼らの運命に「7と1/2階」という奇妙なオフィスが彼らと綿密に結びつき、ドラマを見せる。

僕は昔から難しいことを考えるが気であったが、「どうして他人の目で世界を見ることができないのか?」と疑問を持ったことがあった。自我の意識を他人に移せるかどうかを真剣に考えていたのである。小学生ならではの突拍子もない疑問であるが、答えはこの映画で出た気がする。
少なくとも「幸せにはなれない」のだ。

個が個で生まれたのならば、最後まで個でいるべきなのだ。変に意識や感覚が共有してしまったとき、他人を自分と同じと勘違いして、トラブルが起きるに違いない。
「僕とあなたは違うのよ」コミュニケーションの一歩目はあまりにも当たり前を前提として始まる。
違いを認めて、自分を知る。「認めて」「知る」の繰り返しである。
クレイグは、つまりそこを通り越してマルコヴィッチ自信になった。そこが間違いの始まりであった。小さな嫉妬から、大きな独占欲。彼はマキシンを欲しがった。

いい映画を見たときは幸せだ。
ちなみにこれを日本のテレビドラマ「世にも奇妙な物語」でリメイクしないだろうか。
マルコヴィッチの代わりは、実力派の個性派俳優がいい。
「竹中直人の穴」はどうだろう?

堕落論

常に「ダメ日記を書きたい。」という強い願望がある。
それは真面目な自分への反発か、あるいは真面目と思っている自分への反発か。
でも、そのままでも十分にだらしない自分であるから、ありのままを書けばそのまんま「ダメ日記」として成立するはずであるが、それでもなお「ダメである」という憧れをもつ。

太宰作品の主人公のように、一日酒を飲んでは、グダグダと酔いつぶれ、よどんだ空気の中で排他的に生きているような生き方に少し憧れる。

風呂上がりに中島らもの「アマニタ・パンセリナ」というドラッグに関する自身の経験や、聞いた話などを綴ったエッセイを読みながら酒を飲んでいると、異様に酒がうまいことに気付いた。
中島らもはいろんなドラッグの経験があって、アル中で入院経験もあり、重度の鬱病も経験した社会的に見ても「ダメ人間」の大御所だろう。
そんな本を飲みながら、酒と言う合法ドラッグを飲んでいると、しばしモラルの鎖から解き放たれたような感覚がして気持ちよく酔えたのではないか。

僕はアル中になる可能性を持っている思う。
生まれてくる時代や、国を間違っていたら、間違いなくアル中どころかジャンキーになっていたような気さえする。
それがならないのは、僕の周りで現実にドラッグに関するリアルな話を聞かないうえに、自分に知識がないのと、酒に関しては飲む環境を自己管理しているからに他ならない。

僕は昼間に飲むビールがものすごくうまいことを知っている。
でも、飲んだ後に一日やる気が起きなくなるのも知っているから自制している。
だが、ダメ人間は朝から缶ビールをいい音を出してあけるのだろう。プシュッと。

「悪」への羨望。「負」への引力。

僕は人生の指針を自己の成長へと向けている。
それと同時にピカレスク・ロマンへの憧れがある。だから、たまに腐りたいときはかっこつけたいのと同義だ。
ピカレスクの割には、あまりにもチンケだが。

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