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今日は、脚本塾はお休みで、講師の先生が他にやっているワークショップの発表会に行ってきました。 「リーディング」っていう、まぁ、台本読みながら芝居する物なのですが、それの発表会です。 演目は「4時48分 サイコシス」という、サラ・ケインと言う99年に自殺した作家の遺作です。 このサラ・ケインと言う人は鬱病で、毎朝4時48分に目が覚め、それから一定の時間、頭がクリアーになって、その時間に執筆していたという事です。 おまけにこの戯曲自体、一般的な脚本のプロセスを踏んでおらず、ト書きやセリフもはっきりとわからず、それなだけに解釈のしようでいかようにもとれる作品で、演出するほうはやりがいのある作品なと言う事です。 明確な物語があるわけではなく、サラ・ケイン自身の内面の言葉にできない感情や、葛藤を、なんとか言葉に紡ぎだして、それでも言葉が足りず、愛されたい、求められたい、なぜ愛してくれない?なぜ?なぜ?と終わりのない葛藤を紡いでいくような、観念的な感じでした。 これはきっと言葉尻一つとって、理屈で理解するのではなく、全体で「なんとなく」わかるものではないかと思いました。 おそらく、これはサラ・ケインの覗いてほしいと熱望した心の中身を戯曲に託した、極めて私的な作品なのではないか。しかし、それはあまりにもプライベートで、他人が理解しようにも、100パーセントは理解できない。その寂しさが、この作品のリアルなのではないか。 そういう感想を持ちました。 しかし、「愛されたい。」「求められたい。」という感情は、時にあまりにも痛みを伴う感情です。 そもそも、愛とは「素晴らしい」で足りるでしょうか?愛の真相は、痛みを伴う気もします。 |

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