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先日、「ストリートファイター レジェンド・オブ・チュンリー」を紹介した。
その際、設定などが改変され、「結局、ゲームが原作である必要がない。」という評価を下したのだが、それもこれも、1994年に制作されたこの作品があるからである。
「レジェンド・オブ・チュンリー」と比べると、この作品は幾分か原作となったゲームに近い。少なくとも、ビジュアル的には「ストリートファイター」を映画化している。しかし、それは結果的に。という意味だ。
原作となったゲームは、各キャラにそれぞれ戦うことになった理由が設定づけられているが、キャラクターデザインの安田朗氏は「ゲームの「戦い」にすべてを注ぎたかった」という理由から、その設定を極力力を注がなかったとしている。そのため、この映画でもかなりの設定変更がなされている。
なにぶん、熱狂的な人気のあったゲームだから、「どこにどのキャラがどのように出ているのだろう」と言う疑問は、すべてのゲームプレイヤーが持っていた。
主演がジャン=クロード・ヴァンダムで、ゲーム中のガイルの役をする。と言うのは、ハリウッド映画だからよしとしよう。しかし、そのほかのキャラクターが名前は知っているのに、見た目と設定があまりにも違いすぎるのだ。
そもそも、ゲームがアメリカに渡った際にいくつかのキャラクターの名前が変わったのでそれだけで違和感があるのだが、「四天王」と呼ばれたキャラがテレビクルーだったり、武器商人だったりする。
日本じゃ主役のリュウやケンは悪人専門の詐欺師という肩書で、格闘技は使えるものの、ジャケットなんか着ちゃって、全然違う。チュンリーもテレビキャスターだし。緑色の怪人、ブランカはガイルの親友とか言っちゃって、普通の人間だし。インドの怪僧のはずのダルシムは科学者になってる。
「なんだこりゃ?」の連続である。
ただ、すべてのキャラがバイソン将軍(これはゲームのキャラそっくり)に何かしらの因縁を持っており、ヴァンダム演じるガイルが中心となって、これを打ち破っていくのがお話の大筋。
ただ、このバイソン将軍もかなりの曲者で、武器売買で財産を築いたサガットから武器を買う際に、自分の肖像の付いたどこで使えるのかわからない紙幣を使おうとして、商談を破棄されようとしている。かなりのおバカ者だ。なぜに、軍隊まで持てるようになったのか疑問である。(麻薬を撃ったようだが、人物として成功者になれるとは思えない。)
で、そんなおバカ将軍と連合軍大佐・ガイルとの喧嘩であるが、ガイルは軍隊所属なので、体裁は「戦争」である。ちゃんと作戦を作って、それに沿って多くの兵隊が動く。その中に各キャラクターが何らかの形で絡んでいくのであるが、ガイル大佐がステルス艇でバイソン将軍のアジトに潜入するあたりで「どこが「ストリート」なのだろう?」と思わずにはいられない。
そもそも、舞台がジャングルなので、ストリート自体がない。
しかし、物語も終盤に差し掛かるとある変化が生まれてくる。
敵方にスパイとして潜入したリュウとケンは、基地の中の武道場の動議を着せられてゲームとそっくりのいで立ちになる。(なぜ、その際にほかの兵士と同じ軍服ではなかったのかは不明)。
バイソンにとらえられた、チュンリーはゲーム同様にチャイナ服を着せられたが、メイクがきつくなって不細工になったが、見事みんなが知ってるキャラになった。普通の人だったブランカは、バイソンの人体改造の犠牲になって、見事緑色の怪人になったが、えらくチープだ。髪の毛のあったダルシム博士は最後になぜか、ゲーム同様剥げてしまっていた。(笑った)他のキャラも、なんだかんだとゲーム同様の見た目になっていく。
ここで僕は気付く。「そうか、これは「ストリートファイター」になっていく映画なのだ。」と。
夢はいくら追いかけても叶うかはわからないが、追い続けていれば必ず近づくことができる。
この映画も同様だ。
「ストリートファイター」を目指し、頑張って映画を作って「お。もしかしてストリートファイター?」と言うところまで行ったものの、結局それ自体にはなれなかったのだ。
そう考えると悲しい。
ゲームが原作だと、こういう映画が多い。
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