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マンガにしろ、小説にしろ、映画にしろ、不良が主人公と言うものは、社会への憂いと反発を、暴走する若者の無軌道さに乗せて、その暴れっぷりにカタルシスと美学を堪能するものだと勝手に思っている。 この作品は石井聰互監督のデビュー作であるが、大学の卒業制作でもあり、低予算ながらも勢いと情熱にあふれている。 幻の街、サンダ―ロードで暴走族が連合を組む。暴走族・魔墓呂死(まぼろし)の特攻隊長であるジンは、数人の仲間を連れて連合に反発。暴走、暴力行為を繰り返す。手を焼いた連合は、ジン一派を皆殺しにせんと総動員をかける。 一方、魔墓呂死(まぼろし)の創始者であり、元・リーダーだったタケシは、ジンのカリスマ性と無軌道さにほれ込み、自らが率いるスーパー右翼に召集するが、ジンはそこでも反発、脱退。その陰でジンの仲間がスーパー右翼の中で幹部となりのし上がり、ジンを狙うようになっていく。 ジンは、再び暴走と、暴力を繰り返し、右手と右足のつま先を切り落とされ、バイクにも乗れなくなってしまう。 全て失った絶望の中、彼は全てをぶっ潰すべく立ち上がる。 う〜ん。情熱と衝動を脚本に叩き込み。そのまま映像になっちまったいうべきパワーが、画面からばしばしと伝わる。 冒頭の暴走シーンは、ハンディカメラのせいか、ものすごくリアルで「暴走列島24時」のようであったが、どうやら本物の暴走族に協力してもらったとのことで、あのリアリズムの理由に合点がいった。 なにしろ、この映画。単なる「不良の若者の無軌道な衝動」ではくくれない。 まず、暴走族のたまり場が「バトル・ロイヤル広場」。ジンを呼び出す場所が「デスマッチ工場跡」と、タケシ率いる「スーパー右翼」もそうだが、ネーミングがぶっ飛んでいる。 その辺は、まぁ表面的な部分に過ぎないのだが、その「表面」。つまり、ビジュアル的なインパクトも含め突き詰めると、不良の抗争も、最終的にはロケット砲をも使用した「一人対多数」の戦争になる。 物語は全てラストへの伏線である。「なるほど、これが撮りたかったのか。」と思うのである。 ジンが黒いヘルメットと、防弾チョッキに身を包み、松葉杖をつきながら、カギヅメでショットガンを撃つ。 あまりにもショッキングな主人公の戦いっぷり。 それに対する、タケシを演ずるは小林稔侍。しかも、同性愛者の役である。 作中に、ジンと直接かかわるような重要な女性キャラは出てこないので、このタケシとの対立が、愛憎を含む見どころとなる。タケシは不条理な大人社会の比喩なのかもしれない。 「不良」とは魅力のあふれる題材である。 それは、期間限定である事と、多くの人が「できなかった」事だからだと思う。 僕なんかは、学校じゃ大人しすぎるほうで、学ランを着崩す事もためらうようなへなちょこだった。 オタクな知識で、「俺は周りとは違う」とアイデンティティを保っていた俺は、優等生にも不良にもなれなかった。 しかし、そういう人は大人になってから「不良くらいやっときゃよかった。」と思ったりもする。 若いうちは道を外しても修正がきくからだ。むしろ、外した道が大切だったかもしれない。 道を外れることに、勇気が必要になった時。人は大人になる。 しかし、この映画の不良達は少し行きすぎ。 |

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