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「機動警察パトレイバー」は、いわゆるロボットもので、映画のほか、テレビアニメ、漫画、オリジナルビデオとあらゆる媒体で展開され、それぞれで細かく話や設定が異なる。 主人公は警官で、「レイバー」と劇中で呼ばれるロボットでの犯罪に対抗するために設置された、「特殊車両二課 第二小隊」に属する公務員である。 つまり「パトレイバー」とは、「パトロールレイバー」の略である。 あらゆる媒体で展開された本作だが、劇場版はかなり重厚で、テーマ性の強いものとなっている。 本作は、とある男が、「方舟」と呼ばれる、劇中での都市開発の要である建設物から飛び降りるシーンで始まる。 それから、都内でレイバーの暴走事件が頻発する。 事件を追っているうち、レイバーに搭載されたOSのコンピューターウイルスが原因だと分かる。 しかし、そのOSを開発した男は既に他界している。(冒頭の男) そのうち、そのOSに仕込まれたウイルスが、接近中の台風の音の共鳴により作動し、都内の同様のOSを持ったレイバーが暴走する危険性が分かった。しかし、それには決定的な証拠に欠ける。阻止するためには、東京湾の「方舟」を破壊せねばならない。 特車二課は、下手をすれば全ての罪をかぶりかねない作戦を敢行する。 ちなみに、これは1989年の作品である。 ウインドウズ95が、世界的なヒットをした時、僕はそれがパソコンの何なのかわからなかった。OSと言う言葉を使うようになるのには、まだまだ時間がかかったのである。 それで、98年に「世界的にヒットしたOSにウイルスが仕掛けられている」という筋は、時代の先取りも甚だしい。 一般に「ジャパニメーション」と呼ばれる、日本のSFアニメ群は、専門用語などが何の説明もなくつかわれたりして、万人受けしにくいものだが、この作品は謎解きと、人間ドラマに重きを置いてあり、構成もわかりやすい。 ロボットアニメに入るものの、ロボットに頼ることなく、ミステリー色の強い作品となっているので、普段アニメを見ない人でも、見れるんじゃないかなー。と思う。 |
か行
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内容は2005年に亡くなったAV女優林由美香の仕事仲間でもあり、一時期不倫関係でもあった監督が、過去の作品で撮りためた彼女の映像を再編集したうえで、新たに撮り下ろしたVTRを通して、監督自身が彼女の死から立ち直るまでを描いているドキュメンタリーである。 平野監督は、不倫関係にあった時期に、北海道まで彼女と自転車で旅をする様子を映画として製作している。前半は、その蜜月を中心として描かれており、彼女への愛が(たとえ不倫だとしても)純粋に見えてくる。 見てる側としては映画の内容が、「なくなった女優」という事を知っているので、この辺りはつらい。しかし、これを編集した監督が一番つらかっただろうと思う。 その後、彼女にフラれ、映画監督として彷徨う様子。 彼女の死。それから五年間。監督は、映画が撮れなかった。 時系列に沿って流れていく林由美香という女性の断片が、平野監督によって、神格化されていく。 ある程度なの売れた人物の早すぎる死は、人物のカリスマ性をアップさせる。 この映画によって、林由美香は神格化されたと言ってよい。おそらく、監督が思っている以上の存在になったと思う。 そして監督は、この映画を作ることが、作中でも語っているように「自分なりの葬儀」であった。 亡くなった元・恋人から離れる事ができずに生きる日々はつらかっただろうと思う。想像に絶する。 監督は、まさに人生をかけてこの映画を作った。そして、映画監督としての自分を取り戻した。 次々と、映画を撮る監督もいて、一つのテーマをしつこく追い求める監督がいる。 平野監督は、「林由美香」という素材を追いかけ続けた監督だった。 僕は「作品に向き合う」という事を、この映画によって知らせれた気がする。 |

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1970年代のスコットランドを舞台に描かれる。 主人公のベスは純粋無垢で、信仰の厚い女性である。映画は彼女の結婚から始まる。 夫のベスは、油田の採掘基地で働き、留守が多い。ベスは、毎日教会にお祈りし、やんが早く帰って来るようにと願う。 果たしてその願いは通じ、ヤンは帰ってくるが、採掘基地で事故が起こり、重体となっていた。命は取り留めたものの、半身不随となってしまう。ベスは、自分の祈りが災いをもたらしたのだと責める。 ヤンは、セックスのできない自分の代わりに、ベスに愛人を作るように言う。そしてその様子を伝えてほしいと。そうすることで、ヤンは、間接的にベスと愛し合う事ができると。 ベスはそうして、少しづつ男たちと関係を持ち始め、その様子をヤンに報告する。 ヤンの様態が悪化すると、彼女は男と関係を持ち、それを報告する。すると、ヤンはその度に回復するのであった。 ベスは、それを神の力が働いているのだと信じるが、次第に服装が派手になり、娼婦となったベスを、家族も、教会も見放した。 ヤンは危篤状態になり、ベスは、より強い神の加護を受けようと荒くれ者と関係を持とうとする。 しかし、ベスは、船員たちの性的暴行を受け、重体となって病院に運ばれた。混濁した意識の中で、母に「悪い子でごめんね」と告げ、息を引き取る。 数日後、奇跡的に回復したヤンが、海上にいた。教会の追放者となったベスは、葬儀をさせてもらえないため、ベスの遺体を持ち出し、水葬にした。その時、曇天の空から、鐘の音が鳴った。 これは、愛と親交の話である。 監督は、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のラース・フォン・トリアー。 主人公のベスは、純粋無垢で、信仰心の厚い人物だが、ヤンへの愛情は、異常である。 前半、ベスがものすごい善人で、愛にあふれる人物だと解ってはいるものの、その愛への渇望は、見ていてアンバランスな感じで、鬼気迫るものがある。 そうして、夫に言われるまま、夫以外の男性と関係を持ち続けるベス。 最初こそ戸惑う様子を見せるものの、その後は、しっかり都心のある描写である。 「ほかの男に抱かれることで、ヤンを救える」と本気で信じている。 よくよく考えなくても、この愛情は異常である。しかし、見て行くうちに、これは彼女にとっての純愛であると気づく。 愛とはなんだろう。 僕はそんなことを考えた。 ベスは、他の男に抱かれながら、間接的にヤンを感じていたのである。 彼女にとって、その行為は、自己犠牲でもなんでもない。 愛する人に抱かれているのと、感情的には変わらないのである。 そのベスが死ぬというラストは、僕の知っている愛の理解を超えている。 僕は、これを書きながら、愛について考えている。 |

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原作は、週刊ヤングマガジン連載の漫画。 自堕落な生活を送っていた主人公カイジが、金融会社の遠藤から、かつて自分が保証人になった借金を突き付けられるも、返済のあてもない。 見かねた遠藤は、一晩で借金一括返済のチャンスが与えられるギャンブル船、「エスポワール」に乗り込ませ、カイジはそこから様々なギャンブルに挑戦し、起死回生を狙う。 ギャンブル主体の映画である。 しかし、その内容は「限定ジャンケン」や「Eカード」などオリジナルのもので、シンプルながら分かりやすく、その中での心理戦。騙し、騙されると言う展開が客を飽きさせない。 そもそもがギャンブルなのだから、描かれるテーマは「欲望」や「勝ち負け」であり、劇中で「勝たねば意味がない!」「金は命よりも重い」などという台詞が、よく出てくる。 カイジと対立する、巨大金融グループ・帝愛グループの利根川はカイジを「今まで努力も積み重ねもせずに、負け続けたくず。」と罵倒する。 これらのセリフは妙な説得力を持ち、たまに「ドキリ」とする。 現代の世の中。ある意味真理ともいえる。 作品自体、原作を知っている人にはツッコミどころ満載らしい。 運よく、僕は原作を一部しか知らないので純粋に楽しめた。 主人公カイジ役の藤原達也は、カイジが借金まみれになり、さらに堕落して、欲に溺れていく様子を見事に演じ、我々の反面教師とも言えるくらいにダメダメな主人公を見せてくれた。 人生を勝ち負けの二元論で語るのは短絡的だが、自分が「負け」だと感じてしまった時、そこで「いやぁ、人生は勝ち負けじゃねぇよ。」と言ってしまえば楽にはなるだろうが、もし、それが現状を打開もせずに、自分を慰めるだけだとしたら、それが本当の「負け」なのではないだろうか。 某金融のコマーシャルを思い出す。 「ご利用は計画的に」 はい。分かりました。 |

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マンガにしろ、小説にしろ、映画にしろ、不良が主人公と言うものは、社会への憂いと反発を、暴走する若者の無軌道さに乗せて、その暴れっぷりにカタルシスと美学を堪能するものだと勝手に思っている。 この作品は石井聰互監督のデビュー作であるが、大学の卒業制作でもあり、低予算ながらも勢いと情熱にあふれている。 幻の街、サンダ―ロードで暴走族が連合を組む。暴走族・魔墓呂死(まぼろし)の特攻隊長であるジンは、数人の仲間を連れて連合に反発。暴走、暴力行為を繰り返す。手を焼いた連合は、ジン一派を皆殺しにせんと総動員をかける。 一方、魔墓呂死(まぼろし)の創始者であり、元・リーダーだったタケシは、ジンのカリスマ性と無軌道さにほれ込み、自らが率いるスーパー右翼に召集するが、ジンはそこでも反発、脱退。その陰でジンの仲間がスーパー右翼の中で幹部となりのし上がり、ジンを狙うようになっていく。 ジンは、再び暴走と、暴力を繰り返し、右手と右足のつま先を切り落とされ、バイクにも乗れなくなってしまう。 全て失った絶望の中、彼は全てをぶっ潰すべく立ち上がる。 う〜ん。情熱と衝動を脚本に叩き込み。そのまま映像になっちまったいうべきパワーが、画面からばしばしと伝わる。 冒頭の暴走シーンは、ハンディカメラのせいか、ものすごくリアルで「暴走列島24時」のようであったが、どうやら本物の暴走族に協力してもらったとのことで、あのリアリズムの理由に合点がいった。 なにしろ、この映画。単なる「不良の若者の無軌道な衝動」ではくくれない。 まず、暴走族のたまり場が「バトル・ロイヤル広場」。ジンを呼び出す場所が「デスマッチ工場跡」と、タケシ率いる「スーパー右翼」もそうだが、ネーミングがぶっ飛んでいる。 その辺は、まぁ表面的な部分に過ぎないのだが、その「表面」。つまり、ビジュアル的なインパクトも含め突き詰めると、不良の抗争も、最終的にはロケット砲をも使用した「一人対多数」の戦争になる。 物語は全てラストへの伏線である。「なるほど、これが撮りたかったのか。」と思うのである。 ジンが黒いヘルメットと、防弾チョッキに身を包み、松葉杖をつきながら、カギヅメでショットガンを撃つ。 あまりにもショッキングな主人公の戦いっぷり。 それに対する、タケシを演ずるは小林稔侍。しかも、同性愛者の役である。 作中に、ジンと直接かかわるような重要な女性キャラは出てこないので、このタケシとの対立が、愛憎を含む見どころとなる。タケシは不条理な大人社会の比喩なのかもしれない。 「不良」とは魅力のあふれる題材である。 それは、期間限定である事と、多くの人が「できなかった」事だからだと思う。 僕なんかは、学校じゃ大人しすぎるほうで、学ランを着崩す事もためらうようなへなちょこだった。 オタクな知識で、「俺は周りとは違う」とアイデンティティを保っていた俺は、優等生にも不良にもなれなかった。 しかし、そういう人は大人になってから「不良くらいやっときゃよかった。」と思ったりもする。 若いうちは道を外しても修正がきくからだ。むしろ、外した道が大切だったかもしれない。 道を外れることに、勇気が必要になった時。人は大人になる。 しかし、この映画の不良達は少し行きすぎ。 |

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