タカオの雑食

とりとめのない映画レビューです。

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何を隠そう、僕は「スタートレック」シリーズのファンで、いわゆる「トレッキー」である。
その為、このレビューは多分に私的感情を挟む物を前提としてご了承していただきたい。

「スタートレック」シリーズは、テレビシリーズが6作。映画が本作で11作制作されている。しばらくはテレビと並行して、映画が製作されていたが、現在継続しているテレビシリーズはない。
アメリカでは、SFの2大巨頭として「スター・ウォーズ」と並ぶ人気を誇る「スタートレック」であるが、日本ではその人気はそれほどではない。僕もその現状に憂い、一時期はファン獲得の為にいろんな人に勧めていたが、その結果は散々たるものであった。
ひとえにそれは、前述したシリーズの多さによる、その劇中史にある。アニメシリーズは正史として取り扱いされていないものの、他の映像作品は「歴史」として綿密に劇中に存在し、それにのっとったドラマ作りがなされているため、新しいエピソードが、過去のエピソードの流れをくむ事なんてざらだし、劇場版もテレビシリーズのエピソードを踏まえたうえで作られたものも多い。
その歴史の深さがファンから見れば魅力であるが、新規ファンを獲得しようと思えば、それがデメリットになってしまうのだ。
なので、前作の映画では「スタートレック」という名称を廃したタイトルの映画が作られたりしたが、焼け石に水であった。

その状況で作られたのが本作である。前作までは「新スタートレック」の劇場版であったのが、今作から時間軸を戻し、最初のテレビシリーズの「カーク船長」と「スポック」の出会いを描くものとなった。

物語は、巨大な宇宙艦により宇宙艦隊士官だった父を亡くしたカークは、父の旧友だったパイク大佐に勧められ、艦隊アカデミーに入学する。
アカデミー在学中に、急きょバルカン星からのSOSを受け、士官候補生達も招集されるが、カークはテストの不正が原因で謹慎されていた。そこを同窓のマッコイの機転によりパイクの指揮する、USSエンタープライズ号に乗り込むことになる。
バルカンに進む途中、バルカンを襲っているのがかつてカークの父を殉職させた宇宙艦であることがわかる。その宇宙艦はロミュラン星のものであることがわかるが、な化学兵器を搭載しており、艦隊はエンタープライズを残し壊滅状態となったうえ、官庁であるパイクを人質に取られてしまう。
そして宇宙艦は目の前で惑星バルカンを崩壊させた。
艦長を失ったブリッジで、臨時艦長となったスポックとカークは対立し、艦長権限で、カークは氷の惑星に放り出されてしまう。カークはそこで、年老いたスポックと出会い、今回の事件の真相を知る。

今までの劇場版が、事前知識が必要だったものが多かったのに対し、今回は初心者でも楽しめる。しかも、単に時間軸を戻しただけではなく、タイムパラドックスによって新たに生じた歴史として、今までの歴史。本篇からいうと未来の出来事が関わってくるので、古参ファンも楽しめるという作りになっている。
この際、「テレビの映画版」という媒体について考える余地はあるだろうが、ここでは置いておこう。
前述したとおり、「タイムパラドックスによって生まれた、新たな歴史」なので、僕の知ってる歴史との相違点も多い。しかし、並行世界と分かっているのならそこの寛容になれるというものだ。
何より、劇場公開前に、出演者が来日して大々的にスタートレックが宣伝されるということ自体が、今までなかったので、にわかでもいい。ファンが増えてくれることがうれしい。と思ったものだ。

宇宙船もカッコいいし、制服も昔のテレビシリーズを意識したものになっている。
ただ、ロミュラン人のデザインが変わってしまったのが、ファンとしては悲しいかな。
いや。いいんだ、そんな事は。スタートレック万歳。

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好きな女性や、あるいは彼女に対して自分の思いを伝えているはずなのに、なぜか裏腹に伝わって、なぜか怒らせてしまう。
「女ってわからない」が「女って怖い。」となって、愛する彼女に言葉を選ぶ羽目になる。
「もっと素直でいたいのに」

普通の女性でも男はてんてこ舞いだ。それがこの映画ではどうだろう。彼女は正義の味方のスーパーヒロイン。

地下鉄の中で見かけた茶髪にメガネをかけたジェニーに出会う主人公のマット。
そこで彼女のバッグがひったくられ、そのバッグを見事取り戻したマットはジェニーと付き合うことになる。
彼女は自分がニューヨークを守るGガールであることを明かすも、二人の関係は順風満帆に見えた。
しかし、嫉妬深い性格や、激しい性欲についていけなくなり、心やさしい同僚のハンナに惹かれていくマットはなんとか彼女と別れられないかと画策する。
しかし、ジェニーの嫉妬はものすごく。Gガールの力を使い、二人の仲を引き裂こうとする。

これは恋愛映画と言っても、「主人公が別れようとする」という非常に珍しい設定になっている。
しかし、「Gガール」というスーパーヒロインを相手にした場合、確かに「別れたい」と思うのは仕様がないこととしてリアルな気がする。空を飛んで、怪力の彼女についていけるほうが珍しい。
劇中ではこの「Gガール」の能力は日常生活として、面白おかしく演出してあり、特にベッドシーンはベッドが壊れ、壁を突き破る。
相手の体が持っているのが不思議なくらいだ。
旋風を巻き起こし、常人ならざる能力で嫉妬心むき出しでマットに嫌がらせをし続けるジェニーは恐怖以外のなにものでもない。

しかし、残念なのは、ジェニー役のユマ・サーマンだ。
彼女のスレンダーな体型はスーパーヒロインとして弱い。ヒステリックで、嫉妬深い雰囲気は良く出ているが、「Gガール」のボンテージなコスチュームがあまり似合っていない。

しかし、この作品はアメコミヒーローものではないし、むしろそういった一連のヒーローたちをパロディにしたような場面も多くみられる。ヒステリーを起こしたジェニーが目の前の災害を無視したり、「Gガールだって休みたい時があるわよ。」などと、あまりに人間臭いことを言う。

男と女である。であったからには悲喜こもごもが待っている。
ケンカしたり、傷ついたりする。その「男女が出会ってしまいました」と言う話をしているだけなのだが、相手がスーパーヒロインなのだ。

しかし、「Gガール 破壊的な彼女」という邦題に、なんともパクリ臭い雰囲気が漂ってきて、この映画をB級にしてしまっている。
いや、間違いなくB級であるのだけれども。


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いくつか特撮映画を見ながら、「やはり日本の特撮は素晴らしいな」と思いながら、「だったら海外は?」という疑問符が付き、「海外の特撮はやはりハリーハウゼン!」と思い、この作品を見るに至った。

ストーリーはシンドバッド王子がチャンドラ王国との平和条約締結を結び、チャンドラ王国の王女パリサ姫とバグダッドに帰る途中、海図にはない島で食料などを補給していると一つ目の巨人サイクロプスに追われる魔術師ソクラを救出する。ソクラはサイクロプスから魔法のランプを盗もうとしていたが、失敗した。
シンドバッドに救助されたソクラは、再び島への航海をシンドバッドに進言するが、危険を感じたシンドバッドはそれを拒否。ソクラはパリサ姫を魔術で小さくし、姫を戻すには島に住むロック鳥の卵の殻が必要だとシンドバッドをだまし、シンドバッド一行は再び謎の島を目指す。

作品はシンドバッドを主人公にしながら、「アラジンと魔法のランプ」のテイストも入っている純粋な冒険活劇である。
僕はこの作品を見ながら、これが初公開された当時は子供はみんなわくわくしてドキドキしながら口をポカンと開けてみていたに違いない。と思った。この作品が多くの子供にものすごい影響を与えたかもしれないこてこての冒険活劇。それを彩るのはレイ・ハリーハウゼン制作のストップモーションで動くモンスター達。
一つ目の巨人、サイクロプス。ドラゴン。双頭のロック鳥。骸骨兵士。
それらが、パキパキコキコキと動き、主人公たちと対峙する。男の子ならばドキドキが止まらない。

実は、ハリーハウゼンの映画を丸々一本見るのはこれが初めてだったりする。
専門学校がアニメーションのクラスで、担任の先生がアニメーターだった。
先生は沖縄出身の割に色白で、だけど顔は濃くて…。いや、先生の容姿はどうでもいい。
その先生がハリーハウゼンの大ファンであった。
なので、授業の一環でハリーハウゼンのドキュメンタリーは見たことあったが、映画を見る機会はなかった。

その上、僕はハリーハウゼン本人も見たことがある。
学生時代に行った、「広島国際アニメフェスティバル」という大きなアニメの映画祭の特別ゲストとしてきていた。ハリーハウゼンは特別プログラムが組まれていて、そこでは彼の講演と質問コーナーがあって、先生は人目もはばからず大ホールで手を挙げて何やらしゃべっていたのを覚えている。そのプログラムの後先生は子供の様に感激してサインをもらっていた。
僕は遠目で「大きい爺さんだな」なんか思っていたと思う。優しそうな顔つきだった。

今や、テレビやネットで当時よりもすごい技術の映像が簡単に見ることができるが、当時は今度いつサイクロプスやガイコツ兵士に会えるかわからなかったのだから、瞬きするのももったいなかったろう。穴があくほどスクリーンを見たはずだ。一本の映画でいくらでも夢が見れた時代を馳せた。
僕もカンフー映画を見たら、次の日くらいまでは達人のつもりではいる。

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先日、「ストリートファイター レジェンド・オブ・チュンリー」を紹介した。
その際、設定などが改変され、「結局、ゲームが原作である必要がない。」という評価を下したのだが、それもこれも、1994年に制作されたこの作品があるからである。

「レジェンド・オブ・チュンリー」と比べると、この作品は幾分か原作となったゲームに近い。少なくとも、ビジュアル的には「ストリートファイター」を映画化している。しかし、それは結果的に。という意味だ。

原作となったゲームは、各キャラにそれぞれ戦うことになった理由が設定づけられているが、キャラクターデザインの安田朗氏は「ゲームの「戦い」にすべてを注ぎたかった」という理由から、その設定を極力力を注がなかったとしている。そのため、この映画でもかなりの設定変更がなされている。

なにぶん、熱狂的な人気のあったゲームだから、「どこにどのキャラがどのように出ているのだろう」と言う疑問は、すべてのゲームプレイヤーが持っていた。
主演がジャン=クロード・ヴァンダムで、ゲーム中のガイルの役をする。と言うのは、ハリウッド映画だからよしとしよう。しかし、そのほかのキャラクターが名前は知っているのに、見た目と設定があまりにも違いすぎるのだ。
そもそも、ゲームがアメリカに渡った際にいくつかのキャラクターの名前が変わったのでそれだけで違和感があるのだが、「四天王」と呼ばれたキャラがテレビクルーだったり、武器商人だったりする。
日本じゃ主役のリュウやケンは悪人専門の詐欺師という肩書で、格闘技は使えるものの、ジャケットなんか着ちゃって、全然違う。チュンリーもテレビキャスターだし。緑色の怪人、ブランカはガイルの親友とか言っちゃって、普通の人間だし。インドの怪僧のはずのダルシムは科学者になってる。

「なんだこりゃ?」の連続である。

ただ、すべてのキャラがバイソン将軍(これはゲームのキャラそっくり)に何かしらの因縁を持っており、ヴァンダム演じるガイルが中心となって、これを打ち破っていくのがお話の大筋。

ただ、このバイソン将軍もかなりの曲者で、武器売買で財産を築いたサガットから武器を買う際に、自分の肖像の付いたどこで使えるのかわからない紙幣を使おうとして、商談を破棄されようとしている。かなりのおバカ者だ。なぜに、軍隊まで持てるようになったのか疑問である。(麻薬を撃ったようだが、人物として成功者になれるとは思えない。)

で、そんなおバカ将軍と連合軍大佐・ガイルとの喧嘩であるが、ガイルは軍隊所属なので、体裁は「戦争」である。ちゃんと作戦を作って、それに沿って多くの兵隊が動く。その中に各キャラクターが何らかの形で絡んでいくのであるが、ガイル大佐がステルス艇でバイソン将軍のアジトに潜入するあたりで「どこが「ストリート」なのだろう?」と思わずにはいられない。
そもそも、舞台がジャングルなので、ストリート自体がない。

しかし、物語も終盤に差し掛かるとある変化が生まれてくる。
敵方にスパイとして潜入したリュウとケンは、基地の中の武道場の動議を着せられてゲームとそっくりのいで立ちになる。(なぜ、その際にほかの兵士と同じ軍服ではなかったのかは不明)。
バイソンにとらえられた、チュンリーはゲーム同様にチャイナ服を着せられたが、メイクがきつくなって不細工になったが、見事みんなが知ってるキャラになった。普通の人だったブランカは、バイソンの人体改造の犠牲になって、見事緑色の怪人になったが、えらくチープだ。髪の毛のあったダルシム博士は最後になぜか、ゲーム同様剥げてしまっていた。(笑った)他のキャラも、なんだかんだとゲーム同様の見た目になっていく。

ここで僕は気付く。「そうか、これは「ストリートファイター」になっていく映画なのだ。」と。

夢はいくら追いかけても叶うかはわからないが、追い続けていれば必ず近づくことができる。
この映画も同様だ。
「ストリートファイター」を目指し、頑張って映画を作って「お。もしかしてストリートファイター?」と言うところまで行ったものの、結局それ自体にはなれなかったのだ。
そう考えると悲しい。
ゲームが原作だと、こういう映画が多い。

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原題「Hard Time」。つまり、日本の格闘ゲーム「ストリートファイター」とは何ら関係がない。
以前紹介した「ストリートファイター レジェンド・オブ・チュンリー」と合わせて、自分で勝手に「ストリートファイター祭り」と題して借りた一本。主演はチャールズ・ブロンソン。

賭け喧嘩で子飼いのファイターを再起不能にされたマネージャー・スピードの前に現れた、汚らしいなりの中年の男チャーニー。スピードはチャーニーの年齢や実力に不審を抱きながらも、一応手を組むことにした。ところがこの中年の男がデビュー戦で相手をワンパンチKOする。
以後、快進撃を続ける二人の前に町のボスが雇った最強のファイターが現れるが、この強敵も倒してしまう。あまりの強さを見せつけられたボスは、チャーニーをスピードから買い取ろうとするが、チャーニーはそれを断る。断られたボスはスピードを人質にとり、シカゴから呼び寄せたファイターとチャーニーを戦わせようとする。

僕にとっての初ブロンソンとなる。図らずもストリートファイターが僕とブロンソンを出会わせてくれた。
ブロンソンと言えば、「ん〜、マンダム」でおなじみ。非常に男くさい、いぶし銀の男の世界の渋い俳優である。僕の敬愛するみうらじゅん氏も大ファンであり、彼の著作にもよく名前が出てくるあまり、僕の中ではブロンソンとは俳優である以前に「ジャンル」としてすでに確立されようとしていた。

この作品では当時54歳のブロンソンが、寡黙なストリートファイターをやはりいぶし銀の魅力で好演している。
借金まみれで、金儲けばかりの騒がしい男スピードに対し、語らず、戦うチャーニー。
ファイトになると、圧倒的強さで相手をねじ伏せる。その緩急が素晴らしい。より、ダンディズムを強調する。

男。あまりにも男である。平成の世で忘れられた男がそこにはいた。
草食系男子なんて言ってられない。
女に目をつけたら、迷わず口説きに行くチャーニー。
振られても、動揺せず素晴らしい引き際を見せるチャーニー。
女々しさのかけらもない。

こう見えて、僕にだって理想の男像がある。
語らず、行動で示す。背中で語るような男だ。
残念ながら僕の猫背は「にゃあ」としか語っていないのが現状であるが、ゆくゆくはダスティン・ホフマンやブロンソンや北野武みたいな年の取り方をして、藤村俊二のようなおじいちゃんになるのが夢である。その際、問題となるのは北野武のような危なっかしい魅力の中年から、藤村俊二のような安心インテリのおじいちゃんになるまでの過程で、一体どういった経験を経れば陽のかであるが、それはおいおい考えるとしよう。

話がそれた。
ブロンソンである。
みうらじゅん氏が語っていたブロンソンはあまりにも男くさく、僕は彼の文章からあこがれた。そう。僕は出会う前から「ブロンソン」と言うジャンルにあこがれていたのだ。ようやくであえた彼は、想像に違わず魅力にあふれ、彼以外でこの映画はあり得るのか?と思うほど、ブロンソンの男汁が染み出るほどの良い作品であった。

映画のラスト。強敵に打ち勝ち、彼は手に入れた大金のほとんどをスピードに渡し、猫の世話を頼んで町を去っていく。
「仕事はただのつなぎだ」と言って。

う〜ん。僕には到底たどり着けそうにない境地だ。
マンダム。

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