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あらすじは、変な人たちが集まる病院で「クソじじい」とよばれる大貫は嫌われ者。自分の名前を覚えられるのも嫌なくらい、他の人間を見下している。 そんな大貫がある日パコという少女に出会った。パコにもいじわるに接することしかできない大貫であったが、紛失した純金のライターをパコが持っていたために、彼女の頬をひっぱたいてしまった。 翌日、再びであった大貫とパコ。しかし、パコは昨日の事を覚えていない。 実はパコは交通事故で両親を失い、自分は奇跡的に助かったものの、記憶を一日しか保てない後遺症を持ってしまったのだった。 昨日の事を覚えられないはずのパコ。しかし、パコは昨日大貫が自分の頬に「触れた」ことを覚えていた。 そのことでパコに何か残せるのではないかと思い始めた大貫。彼女がいつも読んでいる絵本をお芝居にして、彼女にプレゼントしようと企画する。 わがままなじいさん役を役所広司が好演している。 極彩色でファンタジーのようであり、話は説得力があって最後は泣ける。その見た目と内容のギャップが素晴らしい。 なんでも、原作は舞台だということで、それをイメージしたような構図も多くみられる。その「わざわざ映画で舞台のような」演出が、この現実ともファンタジーともとれない世界観に妙な説得力を与える。 そして「名前を覚えられたくない男」と「今日を覚えられない少女」の交流と、それを取り巻く多種に広がる患者と病院の関係者。 変人な医者。凶暴な看護婦。人生経験豊富なおかま。優しいやくざ。元・天才子役。etc・・。 彼らが適材適所で上手に働いてくれて、生まれる物語の妙。 そのパズル的な話の構成も、舞台ならではである。物語の舞台は病院のみなので、その分キャラを動かさないと話は進まない。 「キャラを動かす」。まさに話作りの基本である。 僕は綺麗事が嫌いである。 フィクション意外に、性善説を唱えて、愛を語るような人が苦手である。そういう人は、大概暗黒の世界を知らないのだ。そういうどん底の精神世界を一度でも味わったら、言葉の一つ一つに説得力も生まれるのだが、上記の人は、大抵流行歌の受け売りのような文句しか言わない。 そういう言葉は、あくまで不特定多数に向けられた大雑把な言葉であり、コマーシャルである。 それでも、届く人には届くだろうが、それはたまたま感性が合致しただけのこと。その人が平均の中にいるというだけである。 この映画では大貫が、パコに一生懸命言葉を伝えている。 流行歌にはならないが、パコの心に届け届けと。 大貫のやっていることは、独善で、やはり綺麗事なのだが、それでも何かを残そうとする。 綺麗事が一番いいに決まっているが、綺麗なままではいられないのだ。 悲しいことは必ず起こる。 僕が荒んでいるのか、この作品が奇麗事なのか。 老若男女問わず見て欲しい佳作である。 |

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