タカオの雑食

とりとめのない映画レビューです。

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この間、「ヘアスプレー」のトラボルタがあまりにも素晴らしかったので、「トラボルタ祭り」と銘打って借りてきた作品。
この作品は、2000年にアメリカでもっとも不名誉と言われるという「ゴールデンラズベリー賞」(らじー賞)において、最低作品賞や、最低主演男優賞など主要部門を独占したうえに、2005年にはラジー賞創設25周年特別大賞として、歴代最低ドラマ賞に輝いたというある意味名作である。
素晴らしいトラボルタを見た後に、「最低」と評されたトラボルタを見たくなるのはもはや人情というものだろう。

この作品。調べてみると、アメリカの新興宗教団体の創始者の書いたSF小説を、その団体の熱心な辛抱者であるトラボルタが制作、主演したというもので、トラボルタもお茶目である。

ストーリーはサイクロ人に支配された地球で、絶滅危惧種となった人間がサイクロ人をやっつけるというありきたりのものだが、その際に物語として描く場合にめんどくさくなる異星人間の言語の違いをちゃんと設定されており、この生真面目さがかえって間抜けな展開のきっかけを作ってしまっているのだ。

我らがトラボルタはサイクロ人の地球司令隊長。環境の悪い地球から早く本国に帰りたい彼は、偶然見つかった金で裏金を作ろうとする。その金鉱脈を人間に掘らせようと考えるまではいいが、その為にサイクロ人の言語を一人の地球人に与えてしまう。彼は、察しの通り、そこからさまざまな知識を覚えて、サイクロ人の機械も動かせるようになり、反抗の機会を作ろうとする。

まったく、トラボルタはお茶目である。
サイクロ人は地球人を「原始的動物」と言っているが、地球には明らかに文明の跡が残っているのに、「人間が機械を扱えるはずがない」とバカにしているのだ。

地球人をなめすぎである。それなのに、宇宙の大半を支配しているというのだから何か間違いが起こったのだろう。

このように、これはサイクロ人がつくづく地球人をなめきって、ことごとく地球人に寝首をかかれる話である。
さすがラジー賞。

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会社の先輩から散々勧められていた映画。
その先輩、もう会社去っちゃったけど。

おデブの女の子トレイシーはダンスとおしゃれが大好きで、夢はティーンに人気の人気番組で、憧れの人気ダンサーのリンクと踊ること。
ある日、一世一代のチャンスとオーディションを受けるも「太っている」という理由で落とされる。
落ち込むトレーシーは学校をさぼってオーディションを受けたために、補修を受ける羽目に。
しかし、教室では黒人たちが踊っていて、得意のダンスですぐに友達になる。
しかし、黒人の音楽や文化はまだ世間に認められてはいなかった。

舞台となるのは、いまだに黒人差別の強く残る時代のアメリカ。(今も全くなくなったわけではないだろうが)この物語はおデブのトレイシーと、黒人たちのアイデンティティを世間に認めさせる物語で、華やかで、賑やかなコメディ的な演出とは裏腹に結構マジなテーマがわかりやすく入っている。
その消して軽いとは言えないテーマを、重く感じさせないのは、天真爛漫なトレイシーのキャラクター(僕には少しくどいキャラにも感じたが)と、そのトレイシーを取り巻く、元気いっぱいの魅力ある脇役たち。
黒人たちも差別に屈することなく、その時間を楽しく生きるように描かれているため、暗くならない。

そして、ジョン・トラボルタである。
彼は「母親」役だ。このキャスティングには敬意を表する。特殊メイクでビッグ・サイズのママになった彼(彼女)はスクリーンを所狭しと動き回る。人々はこう思うだろう。「こんなおかんおる!」

心配性で、いつも娘の周りで動き回りながらも、騒動に巻き込まれ、いつの間にか騒ぎを楽しんでるこの母親が一番面白かった。

最後に黒人たちが生放送で踊る姿を見て、やめさせようとするプロデューサーに司会者はこう言う。
「未来が来たんだ。」
まさにトレイシーが中心となって気付きあげた未来に見るものは気分爽快。

ていうか、トラボルタ面白い。

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恥ずかしながら初めて見た。こんなにすごい映画を今まで見なかったなんて、僕はもったいない男である。

これは名探偵が猟奇殺人犯と言う、奇妙な形のミステリーである。

冒頭のタイトルやキャスティングがぶっといゴシック体のスーパーで、薄暗い林に浮かぶその文字群が嫌に不気味で、これから始まる物語に期待と不安をあおる。
そして映る、ジョディ・フォスターが若い。そしてかわいい。
フォスター演じるクラリスは、その時世間をにぎわせていた猟奇殺人事件「バッファロー・ビル」の精神状態を解明してもらおうと、自分の患者を食して州立病院に措置入院させられているハンニバル・レクター博士のもとを訪れる。

顔のアップが多くて、視聴者の不安をあおる。そのほかにも様々な映像トリックが作品を何倍にも面白くしている。犯人の家を囲んだあたりのカット割りにはまんまとやられたもんだ。
犯人の暗視カメラ視点の追いつめられるクラリスとか、久しぶりにドキドキしたぜ、俺ぁ。

レクター博士と言い、バッファロー・ビルと言い、出てくる犯罪者の異常者ぶりには脱帽する。よくもまぁ、こんな変態を考え付いたものだ。

そしてレクター博士。
レクターがクラリスの過去を暴いていくのは、得も言われぬ恐怖と言うか、自分がクラリスになったような、蛇に睨まれた蛙とはああいう状態のことを言うのか、別の見方ですると、あれは性的レイプなのであろうが。

多分、「踊る大捜査線 THE MOVIE」の小泉今日子はレクター博士がモデルなんだろうな。

やっぱり、映画ってドキドキハラハラするもんだと思い知らされた作品。

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ヒーローアクションは好きだが、やはり変身したりするのが醍醐味で、この作品の場合は武装した鈴木雅之が暴れる単調なものだろうとタカをくくっていたのだが、シリーズも3まであることだし、それなりに面白いのだろうと思って見てみた。
むしろ、現在の心境上、単純至極なアクションが僕の精神上好まれたというほうが正しい。

主演のウェズリー・スナイプスは鈴木雅之に似ていると思ったら、間違い。舘ひろしだと思った。その黒人の舘ひろしがヴァンパイア相手に大立ち回りをするというストーリーである。
いやぁ、単純明快でよろしい。

敵のヴァンパイアは生まれつきの「純血派」と、咬まれてなった純血派に言わせると「ヴァンパイアの外道」の2派に分かれていて、同種族なのに、あまり仲がよろしくない。
というのも、外道の若手の野心家であるフロストが生意気に何やら画策していて、純血派の伝統的な保守的な生活を脅かすからだ。どちらにせよヴァンパイアなので敵なんだが、純血派のほうはまだ人類との共生のバランスを気にしているっぽい。話せばわかる連中かもしれないが、主人公のブレイドはそんなことお構いなしにやっつける。
話し合いの余地がないのは多分ブレイドのせいだと思われる。

で、個人的におもしろいのはフロストの右腕のクイン。ヴァンパイアは傷の再生能力が高く、殺したと思っていても死んでいなかったりする、この男、最初は黒こげにされ復活。そのあとは腕を切り落とされ、何度も何度も立ち向かっていく様は、称賛に値する。不老不死のやられ役である。その最後の美学は一瞬で灰にされた。これもまた美しく、潔い。
何度もやられても、このクインという男は自分がブレイドに勝てると思っている頭の弱い男なだけに、愛着もわくというものだ。

ヒーローアクションなので、多くのやられ役が登場する。ガンダムのザクよろしく、脇役たちの生きざまを見るのもまた一興かと。

人から勧められたのだが、女性向きの作品と言うのはあまり見たことがないので、一体どれほど楽しめるのやら心配であった。
基本的にラブストーリーは見ないし、しかも外国のだったりしたら共感するところなぞないと喰ってかかるほどの偏見で、しかもこの作品はラブストーリーではないにもかかわらず、同じような偏見を持っていたのだ。まずはそれを反省しよう。

話は超有名ファッション誌編集部に就職した、ジャーナリスト志望の女性が最悪の編集長に振り回されながらも成長していくという、水曜9時にフジテレビにドラマ化してほしい内容である。

その最悪な編集長ミランダ演じるメリル・ストリープが恐ろしい程にハマっている。ぱっと見てディズニーの魔法使いだが、見ているうちにやっぱりディズニーの魔法使いだった。

要するに価値観の物語である。
主人公のアンドレアは最初、ファッションに興味がなく、この会社で1年頑張れたらどこに行っても通用すると思い頑張る。周りがおしゃれな社員ばかりの中で、自分のセンスをバカにされながらも我慢する。彼女の服装は自分のスタイルで、ファッションに気をとられるのは彼女にとっては時に滑稽に移った。失敗や経験を経て、彼女は変わっていく。おしゃれになって、最悪の上司だったミランダにも評価されるも、プライベートでは亀裂が生まれる。仕事とプライベートに板場されになりながらも踏ん張る姿は、痛々しいくらいであった。
しかし、途中、ミランダにも離婚歴があり、アンドレアと同じく仕事とプライベートのジレンマを抱えているのがわかるあたりから、「この二人は似ているのだ。」と感じるようになった。
結局、最終的には袂を分かつわけだが、最終的にアンドレアは周りを犠牲にして働くことよりも、それ以前の自分に戻り、憧れの仕事を手に入れる。

この映画の場合、ミランダはわがままで横暴で最悪な上司と書かれている分、最終的なアンドレアの選択に観客は安堵し、納得するだろう。
ミランダは悪役のように書かれているが、別にミランダは個人的なわがままなどは別として、正しくないわけではない。様々なものを犠牲にして今の地位を手に入れたミランダはやはり努力家であるし、非難の対象にはならない。むしろ悲しみを背負っている分、やはり強い人間なのだ。
ミランダは「すべての人間が私の仕事にあこがれる」という。その言葉に反発するアンドレア。この二人の対比は非常にわかりやすい。
最後にミランダのもとを去るアンドレアは、取りようによっては「敗者」にもなりうるのだ。

だが、人生の勝利と敗北は本人の価値観でどうにでもなるから、この作品には悪人はいない。最後、再会を果たす二人の立場は収入や社会的地位の差異はあれ、対等なのだ。
各々が自分の道を進むことにより、自分の価値を確立したアンドレア。最後のミランダの含み笑いは自分と対等に立ったアンドレアへのものだと想像する。

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