タカオの雑食

とりとめのない映画レビューです。

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ダスティン・ホフマンが好きである。
「クレーマー・クレーマー」を見て以来、僕はダスティン・ホフマンになりたい男の肩書を得た。
で、「マラソンマン」である。
大学でマッカーシズムを学ぶマラソン好きの学生が、元ナチスの企てに巻き込まれていくサスペンスである。

冒頭で、ドイツ人のじいさんと、ユダヤ人のじいさんのカーチェイスがある。
専ら、短気なユダヤ人のじいさんが、車をぶつけてくるのであるが、すでにこのシーンで僕は心奪われてしまった。
「じいさん同士のカーチェイス」と言うだけで面白いのだが、それ以上に多民族国家ならではの演出であったからだ。
この作品は、終始ナチスの影がつきまとう。
ダスティン・ホフマン演じる主人公のベイブもかつて父が赤狩りによって自殺した過去からマッカーシズムを学んでいる。
「民主主義」と「共産主義」の対立が深い傷跡を残している。
正直言うと、30年ほどしか生きていない上に、歴史にも政治にも疎い僕にはピンとこない話である。(調べるきっかけになったので、勉強になった。映画がきっかけならば、勉強するのだ。僕は。)
その為、物語の事件背景には、僕にとっては必要以上に複雑に感じられたと思う。

しかし、それ以上に作品全体に漂う緊迫感。目が離せないとはまさにこのことで、2時間があっという間であった。
全く事件とは関係のないところにいた主人公が、徐々に事件に巻き込まれていく。
遠くなっていく日常。

そして拷問シーン。
ナチスの逃亡犯で歯科医だったゼルは、目的の物のありかを探すため、ベイブの前に歯科道具を並べ、質問する。
「安全か?」
ベイブは何も知らない。何も知らないので「わからない。」と返す。
「安全か?」
この時点で、観客も事件の全容がわからない。
ベイブと同じ心境である。
ゼルは問い続ける
「安全か?」
観客は、ベイブとともに意味もわからず恐怖する。
ドリルがベイブの健康な歯を掘る。
キィィィーーーーーーーン。

僕は歯医者は好きな方なので、今日初めて歯医者に恐怖を感じた。

僕はこの映画を上質なサスペンスとして楽しんだ。
その反面、僕は知らないことが多い事に気付かされた。
世界にどんなことがあって、どういう事があったのか。その陰で、どんな人がどういう風に苦しんでいたのか。

ラスト近くに、ユダヤ人と思われる老婦人が、ゼルの姿を見つけて、周囲の人間に「あいつは殺人鬼よ。誰か捕まえて。」と言うシーンは、ゼルが逃亡犯であると同時に、僕のような若輩には「ナチスが生きている。」と言う事を突き付けられる衝撃的なシーンであった。

若いダスティン・ホフマンと言い、時代を痛烈に感じるのである。
僕はまだ若い。
むしろ青い。

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この作品は自らゲイである事をカミングアウトした活動家、ハーヴェイ・ミルクの生涯を描いた作品である。

博多には「あんみつ姫」という有名なおかまバーがあって、博多のバスツアーの中にも含まれてるなんて事を聞いたことがある。
友人の友人が、「飽きた」と言う理由でペニスをとったという話を聞いたことがある。
「3年B組 金八先生」で上戸彩が、性同一性障害を抱える生徒を演じたのも見ていた。
しかし、僕は実際にゲイと向き合った事はない。

実際、ゲイが周囲にいたとして、友人からの又聞きで笑い話になることが多い。
これは日本の性に対する考え方の現状であると思われる。そもそも、日本人のそのあたりの線引きはシビアだ。
ノーマルとアブノーマルを黒と白にわけて、それぞれが混ざらないようにしている。主に、ノーマルを名乗るほうの業でその線引きはなされる。

だから、日本では性に関する問題を抱えた人が一般職につくのは、まだまだ難しいそうだ。
中には元々そういう人が会社を興して、自分と同じように性の悩みを抱えた人を雇用している会社もあるようだ。
しかし、現状。マイノリティの悩みに僕らは気付かず、そのままにしている。

アメリカでは、同性愛者は犯罪者扱いされていた時代があったようだ。だから、彼らは一か所に集まって、なるべく人目につかないようにしていた。子孫を残せない同性愛者は、自然に反する、不道徳な輩と言うことだ。根を見てみれば、宗教の問題なのだろう。
その中で同性愛者の権利のために立ちあがったのが、ハーヴェイ・ミルクであった。

日本では、同性愛に対しては表向きには理解のある国だと思う。(僕はそういった問題に直接ふれたことがないので、こういう言い回しになる事を許していただきたい)
だが、アメリカでは政治問題にせねばならなかった。
これはアメリカの歴史に根付くものだろう。アメリカは移民の国である。常に他者からの侵略におびえていた。人種差別も恐怖から来るものだ。だから理解しがたい人物は敵なのだ。だから、ミルクは立ち上がらなければいけなかったのだ。

ミルクは劇中で恋人とのつらい別れや、新たな出会いをしている。ゲイの恋愛に対して、つらいトラウマも吐露している。これは実在した政治家の伝記ではあるが、芯には切ないほどのラブストーリーが隠れている。
それは彼が死に際に見たものが、元恋人と行くはずだったオペラハウスだったことからもうかがえる。


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ある日、僕は夢を見た。
朝起きたら、僕の顔がジョン・マルコヴィッチだった。ただ、ほりが浅いのでペンで影をつけてから出勤した。

人がその作品を見るのに、どのような理由があるか知れない。
デートのためにみたくもないラブストーリーに思わず涙して、運命の出会いを果たした野郎もいるだろう。
上品な家庭に生まれて、たまたま友人宅で見たB級ホラーで目覚めちゃった女子もいるだろう。
僕は「マルコヴィッチの穴」を見るのに、「マルコヴィッチになる夢」を見てしまった。あまりにそのまんまなわけだ。バカみたいだが、シンプルでよい。
果たして、このバカみたいなシンプルな出会いが吉と出るか、凶と出るかだ。

結果から言おう。
文句なしの吉。大吉であった。

思えば、上映当時から単館系では話題の作品であった。
僕はジョン・マルコヴィッチという俳優を知らなかったし、興味もなかったのだがこの作品の存在は覚えていた。しかし、タイトルからしてコメディかと思っていたら、こいつはかなり深いドラマだ。感服した。

物語は、人形師のクレイグと妻のロッテは倦怠期の夫婦。クレイグは定職に就こうと、あるオフィスの面接を受ける。そこはビルの7と1/2階にある天井の低い奇妙なフロアにあるオフィス。そこで事務員として働くことになったクレイグ。
ある日、クレイグはオフィスの壁に穴を発見する。その穴は15分間だけ俳優、ジョン・マルコヴィッチの頭の中に通じるという不思議な穴。彼はこれを使い、上司の美女マキシンと「15分だけマルコヴィッチになれる」という商売を始めるが、そこから彼とその妻の人生を大きく狂わせていく。

マルコヴィッチの穴を使った人は、ものすごく興奮している。それは有名俳優の頭の中に入れたというミーハーな心理もさることながら、他人の頭の中に入ることで、自分の輪郭が明確になるのであろう。自分の存在がわかるというのである。「自分と言うものがわかったの。目からうろこが落ちた思いよ。」妻ロッテは異常に興奮し、繰り返しマルコヴィッチの頭の中に入ることで自分が「性倒錯者」だと言い出し、クレイグは大いにうろたえる。
そんなクレイグはマキシンにひかれているが、彼のいかにもおたくな風貌にピクリともなびこうとしない。
マキシンは独自のルートでマルコヴィッチ自身に近づき、徐々にその関係を親密なものにしていく。
そのうち、マキシンはマルコヴィッチの中に、ロッテの存在を感じ、「マルコヴィッチの体を介した」行為を経て、親密な仲になっていく。
二人の関係を知ったクレイグは嫉妬し、ロッテを幽閉し、自分がマルコヴィッチの中に入ってマキシンと関係を持つ。自力で何とか脱出したロッテであったが、マキシンはマルコヴィッチを自由に操れるようになっていく。ついには、完全にマルコヴィッチ自信となり、彼の人生を歩んでいく。その傍らにはマキシンが妻として立っていた。

ひどく恐ろしいホラーである。と、同時に人間をものすごく掘り下げている作品である。
クレイグは自分の恵まれない境遇とアイデンティティを放棄し、偶然見つけた近道を自分の力と誤認し、暴走に至る。
ロッテは、自分の正体を発見できたが、それは必ずしも幸せとは言えなかった。彼女は求める愛があるものの、被害者に陥ってしまう。
マキシンは他人のアイデンティティをとことん利用して利を得る「悪女」であるが、彼女はロッテの存在で救われることになる。
マルコヴィッチは、自分のアイデンティティを器にされ、自由に動けないジレンマを持つ。これは「役者」という職業の比喩なのかもしれない。
彼らの運命に「7と1/2階」という奇妙なオフィスが彼らと綿密に結びつき、ドラマを見せる。

僕は昔から難しいことを考えるが気であったが、「どうして他人の目で世界を見ることができないのか?」と疑問を持ったことがあった。自我の意識を他人に移せるかどうかを真剣に考えていたのである。小学生ならではの突拍子もない疑問であるが、答えはこの映画で出た気がする。
少なくとも「幸せにはなれない」のだ。

個が個で生まれたのならば、最後まで個でいるべきなのだ。変に意識や感覚が共有してしまったとき、他人を自分と同じと勘違いして、トラブルが起きるに違いない。
「僕とあなたは違うのよ」コミュニケーションの一歩目はあまりにも当たり前を前提として始まる。
違いを認めて、自分を知る。「認めて」「知る」の繰り返しである。
クレイグは、つまりそこを通り越してマルコヴィッチ自信になった。そこが間違いの始まりであった。小さな嫉妬から、大きな独占欲。彼はマキシンを欲しがった。

いい映画を見たときは幸せだ。
ちなみにこれを日本のテレビドラマ「世にも奇妙な物語」でリメイクしないだろうか。
マルコヴィッチの代わりは、実力派の個性派俳優がいい。
「竹中直人の穴」はどうだろう?

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「どんな映画?」と聞かれたときに、どう答えるかで相手の映画に持つ第一印象が変わる。それは見る態度に変わり、ホラーもコメディになったりする。

この作品は「無人島に遭難した人たちが、キノコ人間になる」特撮ホラーである。
みなさん、どうお感じになられたであろうか。
「キノコ人間」という響きに、妙な脱力感を感じて「大したことない。」という印象を持っていやしないだろうか。

それは違うぞ!!

これは無人島で遭難し、追いつめられた人間の集団群像劇である。

ヨットでクルージングしている、セレブな若者たちが嵐にあって遭難し、数日の漂流の後にある無人島に漂着する。水と食料を求めて島内をさまよううちに難破船を発見。その中はカビで覆われており、船長室には「キノコを食べるな」というメッセージ。
難破船内に残されたわずかな食べ物も底をつくうちに、食べ物や、女をめぐり仲間割れが始まり、その中の一人がつにキノコに手を出してしまう。

あるものは見つけた食べ物を一人占めしたり、その食べ物を金で買うやつや、船を修理して協力を呼びかけるふりをして、修理が終わったら一人で逃げてしまうやつがいたり。
90分の作中のほとんどはそういった人間ドラマで構成されており、キノコの化け物「マタンゴ」よりも人間のほうが恐ろしいという印象を受ける。

主役の独白で始まる本作は、いわば「誰が生き残るか」という答えは冒頭で出てしまう。
しかし、ラストでキノコに手を出した恋人を島に残してきた彼は「なぜ、自分はあの島に残ってキノコを食べなかったのか。キノコを食べれば、苦しまずに、楽しく生きれたのに、なぜ帰ってきてしまったんだ。」と後悔をする。

とりあえず、乗りピーにでも見せるべきだろうか。
中島らもがすきそうだ。

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