丹下 紘希
映像ディレクター・アートディレクター
僕は多くの人に旅をする事を勧めてきた。
理由の半分は自分をさがす為。
もう半分はただぼんやりと地球のどこかの自分以外の人間の事を想うという行為が
本当に大切な気がするからだ。
ユーゴスラビアがなくなる時には、
ベオグラード駅で出会った掃除夫の男は大丈夫だろうか?とふと思った。
パレスチナのニュースがある度に
そこで出会った子供達の安否を気遣わずにいられない。
ルーマニアで家に泊めてくれた家族も、
エチオピアで泥のようなビールを振る舞ってくれたおじさんもなんとなく時々思い出す。
旅に出なければそんな風に誰かを想う事はなかった。
普段、ぼんやりと両親を想ったり、ぼんやりと恋人を想ったりする事と同様に、
並列して地球の誰かの事を想うのだ。
こんな平和でステキな事はない。
我々の現代社会で使われているコミュニケーションという一見便利なこの言葉。
何かと何かを通じ合わせる為に翻訳し、伝えて、繋がる。
それはそれは便利な翻訳機能のように使用されている。
素晴らしいでしょう?と自慢げにコミュニケーションという言葉を振り回してはいけない。
それだけではないのだ。
便利な翻訳さえ出来れば素晴らしい事ではない。
そういう意味でのコミュニケーションは重要ではない。
では何か?
重要なのは「もうすでに深くかかわり合ってしまっている事を知る」という事だ。
それは静かに目の前に溢れているコミュニケーションの結果なのだ。
我々の身の周りにあるもの、物だけでなく
身の周りに起こる事全てがどこかの誰かとすでにかかわっているのだ。
想像してみてほしい。
例えば朝起きて服を着る。
たったそれだけでも多くの人々を想う。
その洋服を売る人、その店のオーナー、その土地の所有者、卸問屋の人、デザインする人、作る人、その工場主、その材料の綿なら綿を紡いで、打ち、出荷する人々、綿を育てる人、畑の持ち主、そしてそれらの人々の家族たち。
そのかかわりを示すのは困難なほど多彩で国際的で
数多くの人々がすでに自分の生活の上で関係している。
毎日の自分の生活を考えれば、ぞっとするぐらい多くの人と、
地球狭しとばかりにすでにコミュニケーションしている事になる。
その結果がそこら中に存在して、人と人との繋がりの軌跡を想い知る。
逆にすでに繋がっている事を知るのだ。
いろんな人の苦労の上に自分が成り立っているのだから、
ありがたいと思いなさいと言っているのではない。
知って感じてみたいと思うのだ。
いろんな繋がりの糸が複雑に絡み合いながらも秩序を保って自分が成り立ち、
自分の些細な行いもまた世界の誰かを成り立たせている繋がりだという事を。
世界のどこにも行かずに旅をするように。
【プロフィール】
イエローブレイン代表。東京造形大学卒。文化庁在外派遣芸術家としてNYに滞在の記憶が少し。いろんな国を旅しては風に吹かれ吹き飛ぶ。数多のMusic Videoをちぎっては投げ。吐き出す。いつの間にかグラフィックやデザインもかじっては味見。それでも腹は減り続ける。
イエローブレイン 公式ウェブサイト:
http://www.yellow-brain.com/
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