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パリ シャルルドゴール空港到着は現地時間 9月11日(木)15:15。
宿泊はパリのモンパルナス駅近く HOTEL CONCORDE MONTPARNASSE。ホテル前では細川先生のお出迎え。しかし、チェックイン時のフロントスタッフは困惑気味。「なんか、今日は日本人のWeb予約が多い日だな・・」と思ってたら、いきなり揃ってチェックイン!ですから。皆さん緊張した面持ちで、一人づつカウンターへ。「My name is ・・・・」という基本英語でも通じる喜びをかみしめ、誰一人、予約がありません!的なトラブルが無かったことに私は胸をなでおろし・・・。
一応幹事の私からホテルスタッフには「個人予約だけど、ここらのみんなグループですからよろしく!はいこれ名簿ね。なんかあったら連絡してね」的な説明で向こうも納得。
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この日の夕食は、ホテル目の前のBrasserieへ。
料理を待つ間、時差で眠いのをこらえる多くの団員の姿に、本番が明日じゃなくてよかった・・と心から思う私でした。
ちなみに私は「カモのコンフィ」で赤ワインでしたよ。
 
(続く)
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最初の危機はパリで起こっていました。
細川先生が現地で頼みにし、彼を通じて教会の手配を終えたと思っていたはずのプロデューサーが、実はまだその手配をしていなかったことが発覚したのです! 彼の真意は不明ですが、まぁ、極東の小島でミサ曲を歌っています、なんていう名も知れぬ合唱団を、毎週各国の演奏家が集う有名教会プログラムに入れる・・・ことの大変さを物語るのでしょう。
それを知った細川先生、「やるっきゃないわ!」そこからの獅子奮迅、努力奮励、悪戦苦闘の話はまたの機会として、当初予定通りの手配を完了させていただいたのでした。
 
一方日本では・・・
少人数合唱団の宿命、そう、”参加者が揃わないかも”危機。各団員、何かと忙しい中で「はい、パリに行きますから一週間休み取っておいてね、ヨロシク」と言われても・・・大きな合唱団なら数名不参加でも何のことはないでしょうがウチの場合はねぇ。特に男声。
そんな中、なんとか参加者確定、合唱団としての面目を保ちました。Tさんはなんと、行って歌って帰ってくる、という弾丸ツアーばりでの参加、ご苦労様でした。
 
そしてもう一つは旅行の手配。
当初はもちろん全員一緒のいわゆる団体手配の予定でしたが、ホテルも航空もWebで個人予約すると割安なことが判明。そこで幹事の私は決断したのです。
「旅行の手配は、各個人でやってね。マニュアルは作りますから。」
 
団員の中には、予約したと思ってたらなんと、来年の日付だったことに気付いた!なんて人が現れ・・・はたして、「個人旅行の寄せ集め旅行」はうまくいくのか。一抹の、いや相当の不安を抱えつつ出発日を迎えます。
 
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9月11日(木)。羽田空港国際線ターミナル。
無事全員の航空券予約に間違いはなく、ANA215便にてパリへと飛んだのでした。
 
 (続く)
 

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今年も間もなく終わろうとしています。
バッハ室内合唱団にとって、大きな節目となった年でした。
 
あのパリ演奏会から早や3か月半が経ちました。昔のことのような、いや、つい先日のような、さまざまな思い出が私の中に積み重なっています。
今更ではありますが、忘れないように書き込んでおこうと思います。
(本当は以前のドイツ演奏会のように、日記形式で書き込みたかったのですが、このブログはそれができないようで・・・・)
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思い起こせば遡ること2012年の定期演奏会後の打ち上げ。居酒屋2階のお座敷で、オルガニストの細川先生から「再来年はパリに引っ越すかも」という話を耳にした私は、「あ、まだ内緒・・・」という先生の言葉を振り切って、締めの挨拶で「再来年は細川先生を追ってパリ公演です!」と先走ったのでした。
それが、時を経て実現になった、口に出すというのはすごいことですね。「言霊」を感じずにはいられません(汗)
 
そして2013年の定期演奏会後、パリへ渡った細川先生の現地でのご尽力により、由緒あるサン・セヴラン教会での演奏会開催へと歩みを始めるのです。
しかし、その後、日本サイドとパリサイドそれぞれに演奏会中止?の危機が訪れることは、その時、誰も知る由はなかったのです。
 
(続く)
 
 

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