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イプセンについての文献を読むと、イプセンの書斎にはストリンドベリの肖像が飾られていたという。ストリンドベリはイプセンの20歳年下で、なぜと思うのだけれど、イプセンはストリンドベリを非常に嫌っていたという、嫌っていたけれど、非常に認めてもいて、その敵愾心から、ストリンドベリの肖像を飾っていたという。
それを読んで、俄然ストリンドベリという作家に興味を持った。
ストリンドベリは随分以前「令嬢ジュリー」という作品を読んだことはあるけれど、正直どこが面白いのかさっぱりわからなかった。野卑な召使の男と、欲求不満のヒステリー女の性的関係など、誰が見たいのだろうと思った。
実際、その上演も見たことがあるけれど、陰々滅滅としているばかりで、やっているほうの自己満足しか感じなかった。
そこでストリンドベリの代表作といわれている「死の舞踊」を読んでみたのだけれど、これがもう実に面白いのだ。
夫婦がここまで憎みあい、罵り合うのかというほど、過激なバトルが終始する作品で、陰惨で絶望的な話だと言えば、その通りなのだが、読み終わった感想はむしろ痛快である。
あまりにもすごくてファンタジーの領域なのだ。
例えば似た作品にエドワード・オルビーの「ヴァージニア・ウルフなんて怖くない」があるが、そのパワーは横綱と十両ほどの違いがあるのだ。
泥道を重装備のジープで疾走する、そういうスピードとスリルと興奮が満ち満ちているのだ。
似ていると思ったのは、シェイクスピアの「夏の夜の夢」のオーベロンとタイテーニアの夫婦喧嘩である。
そこまでいくと、もはや人間ではない、神々の愛と憎しみの巨大さを感じるのだ。
いい戯曲というのは俳優に演技を許さない。
そういう意味で、「死の舞踊」はまさにそうである。
もしこの芝居を俳優が演じようとすれば、自分の一切をさらけ出さないと駄目だろう。
自分以上の自分、夢の中で出会った自分、悪夢の中をさまよう自分、そういう時間を生きることを徹底的に要求されるだろう。
イプセン、ストリンドベリと少しかじってみて、そのかじりがいのある歯ごたえに驚いている。
とにかく、正直、それらの作家はあまりにも印象が悪すぎる。
これまで、まず避けて通りたい作家の筆頭だった。
つまり新劇的な押し付けがましい、説教臭い、かったるい、重苦しい、退屈きわまる、そんな印象があまりにも強すぎた。
しかしイプセンはギリシャ劇的な激しさと、テレビの昼メロ的な通俗性を併せ持った、今でも最高のエンターティメントとなりうる無限の可能性を持った世界である。
また、ストリンドベリはこれはうまく上演されれば、誰も見たことがない、強烈なお酒に酔った、もうクラクラするような気持ちのよい酩酊にまで引きずり込む、そんな世界である。
やはり、世界の演劇は恐るべしとつくづく思っている。

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