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小学生のとき、ウサギ狩りというのがあった。
冬の年中行事で、一年生から六年生まで全員参加の本格的なものである。
山に着くと、低学年の生徒が、裾野を挟んだ両側の峰に、頂上に向かって縦に並ぶ。
頂上に網を張り、六年生がその両側を固める。
五年生が麓に横一線に並んで合図を待つ。
ここまでの行動は粛々と、音をたててはいけない。
ラッパ隊の合図とともに、全校生徒がいっせいに喊声をあげる。
五年生は大声を張り上げ、ラッパ隊はラッパを吹き鳴らし、枯れ草を払いながら山頂へと進む。
驚いたウサギが巣穴から飛び出し、必死に頂上へ向かって飛び跳ねる。
一匹、そして二匹。
兎どもは、頂上で待ち受ける網の中に飛び込んで御用となる。
中には方向を間違えて(?)、六年生が居並ぶ方へ向かってくるやつがいる。
「おっ、来たぞ、来たぞ」
六年生が懸命に棒を振り回したところで間に合わない。
足元をすり抜け、あっという間に隣の峰へ姿を消す。
成果はたいてい一匹か二匹。
頂上へ向かって飛翔するウサギの姿の美しさは、今でも忘れられない。
だが、ウサギ狩りの場所はどこだったのか、覚えていない。
一度突き止めてみたかった。
95年の夏。青島に就職が決まった天津の学生を連れて遊びに来た。
テレビ塔に登った。
頂上からは、360度、市街が一望できた。
ふと、海側の景色を見て、見覚えがあるような気がした。
山を下るとき、どの道を選ぶか迷った。
テレビ塔の前から自動車道が一本、弧を描くように麓へ伸びていた。
もう一方に急坂の登山道が見えた。
その間を、裾野が扇のように広がっていた。
「先生、ここから下りましょうか」
裾野を見下ろすと、下りられないこともなさそうだ。
潅木がまばらに生えていた。よく手入れされて雑草もない。
一気に駆け下りた。
上のほうは急だったが、途中からはなだらかな斜面になった。
下りたところが公園になっていた。
ふり返って頂上を仰ぐ。
ウサギ狩りの場所はここだったのかも知れない。
六年生のとき、頂上で、ウサギが豪快に網の中に飛び込んで行くのを見た。
ウサギ狩りが終わって整列したとき、海側の景色が林の間からチラッと見えた。
見覚えのある、あの海側の景色だ。
懐かしさがこみ上げてきた。
ホテルに帰って地図を広げてみた。
地図には、テレビ塔の北側の峰がコの字型になっていた。
「ここだ」
私は確信した。
小学校からこの山までそんなに遠くない。低学年でも歩いて来られる距離だ。
あの斜面も、五年生なら登れる。
当時、このあたりに人家はなく、山は荒れていたに違いない。
Mさんからメールが来た。
「兎狩りは楽しかったですね。『兎追ひしかの山』という、あの歌は兎狩りのことだそうです。青島だけかと思っていましたが、昔は日本でもやっていたのですね」
そうか、ウサギ狩りの歌だったのか。
―兎追ひしかの山―
私にとって「かの山」は、あのテレビ塔が立っている太平山だったのだ。
今年になって、もう一度テレビ塔に登ってみた。
裾野は鬱蒼と樹が生い茂り、麓の公園は立派に整備されていた。
山裾に、ビルが間近に迫っていた。
見渡すと、新しい市街地がどこまでも広がっていた。
青島はすっかり生まれ変わった。
だが、青島はまだ私の思い出の中にある。
※ Mさんからのメール、続き
雪の降った後の風景もなかなか良かった記憶があります。潅木に積もった雪が体に降りかかり、皆で大声を上げながら進んだ記憶は鮮明に覚えております。お弁当が雪の中では食べられませんから、学校のスチームの上にルックサックを載せて出かけ、帰校後チョコレートが解けてしまい、がっかりしました。
楽しく、懐かしい思い出です。
陸戦隊に毛皮を寄付すると聞いておりましたので、学校の傍の陸戦隊の所を通るときには必ず何処に干してあるのかなーと眺めたものです。考えてみればそんな僅かなものが役に立つはずありませんものね。
※ 青島のウサギ狩り
青島のウサギ狩りは、太平山のほかに、信号山、匯泉岬でも行われたそうだ。
中学生になると、それぞれグループに分かれ、好きな狩場を選んでウサギを追った。
匯泉岬では、岬の先端のほうに網を仕掛け、陸側から追い込んで行った、と聞いた。
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