青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

想い出の青島

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青島駅、今と昔

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小学校6年のときの修学旅行は、北京だった。

当時、青島から北京まで、列車の旅は二十四時間かかった。

青島駅は小さな田舎の駅だった。

青島に住んでいても、駅がどこにあるのかよく知らなかった。

修学旅行で初めて列車に乗り、途中、済南に寄って大明湖を見学した。

北京は、天檀公園と、頤和園を回った。

買い物は東安市場である。

東安市場は、一度入ったら出口がわからなくなると言われるほど広い市場だった。

「迷子にならないように」
「スリに会わないように」

という注意を何度も聞かされて、こわごわ市場に入ったものだ。
今は、その東安市場も大きなビルになっている。

頤和園(万寿山)は、長い廊下(長廊)と、石の船だけが思い出に残っている。

1989年、44年ぶりに北京を訪れたとき、真っ先に行ったのが頤和園であった。

慌ただしい修学旅行だったが、

1943年という終戦間近のあの当時、よくも北京まで連れて行ってくれたものだ。

6年生は全部で6クラス。3クラスずつ2班に分かれて出発した。

何事もなく旅行は終わったが、引率の先生方の苦労が、今思いやられる。

それからわずか2年後、

私が再び北京へ向かうことになろうとは、思いも寄らないことであった。

1945年4月、私は北京の電気通信学院に入学することになった。

青島発の夜行列車には、予科練入隊の青島中学の生徒も乗っていた。

彼らは、朝鮮半島を周って内地へ向かうのだった。

アメリカの潜水艦の出没で、青島港から船で内地へ向かうことはもはやできなかった。

家族に見送られて列車に乗り込んだ私が、

再び青島の土を踏んだのは、43年後の1988年のことである。

それからは毎年、青島を訪れた。

1992年、青島駅はドイツ時代の面影を少し残して改築された。

ごみごみした駅周辺の売店が取り払われ、駅前広場ができたとき、

駅から桟橋のある海岸までがこんなに近かったのかと、そのとき初めて知った。
(2006年6月6日)

※古い青島駅の写真は1990年に撮影したもの。

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この記事を徳満さんに見せてあげたいです。お父様が駅長さんだったと聞いております。徳満さんのアドレス知っている方は知らせてあげてください。

2006/6/11(日) 午後 7:15 [ 相子 ]

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相子さんへ、そうですか。徳満さんに知らせてあげたいですね。ありがとうございます。

2006/6/11(日) 午後 10:00 bad**uan1*3


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