青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

想い出の青島

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中山路の今と昔

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中山路は昔、山東路といった。

市場通りの角からゆるやかな長い坂道を上り、上り詰めて平坦になった先に桟橋がある。

長い坂道の中間あたりに映画館があった。今もある。

小学生のとき、学校で時々映画を見せに連れていってくれた。

当時のことだから、「ハワイ・マレー沖海戦」とか「海軍」といった、戦意高揚の映画である。

一方、巷の女性たちは、「愛染かつら」や「暖流」などのメロドラマに熱狂していた。

中山路は、新市街ができるまで、青島随一の目抜き通りであり、

世界大戦が始まるまでは、国際色豊かな商店街であった。

「青島日本中学校史」から、当時の中山路の様子を拾ってみよう。

「山東路には、日、中、欧の人びとがそれぞれ店舗を構え、両側の裏通りには中国人の店・・・」
(第十八回生・松本昌洪)

「山東路の高橋写真館でセピア色の写真を、博文堂で与謝野晶子の「黒髪」を買った話など、

・・・(略)・・・。カフェ・フロッセルのおいしいコーヒーは知らなかった。

私事をいわせてもらえば、海岸通りに近い山東路の一角にロシア嬢のいる喫茶店があり、

私は日曜外出の折、中華料理でおなかをふくらましたあと、

最後にこの喫茶店で、サモワールで沸かしたコーヒーを飲みながら、青春のひと時を楽しんだものだ」
(第四回生・斉藤昌司)

「消燈後、寄宿舎を抜け出して深夜の紅燈を彷徨する。

といっても、もっぱら食い気専門で、中国服に変装して、

山東路の裏通りあたりを、悦賓楼とか便宜楼などに餃子やワンタンを仕入れに行く。

平康里に行った剛の者もいたらしいが、中国料理にせいぜい禁制の映画ぐらいだった。

よく行った映画館が洋画専門の「福禄寿」だったり、

『外人部隊』や、『望郷』を、ニキビ面に血を沸かして見た。

洋画専門館は、たいてい9時半頃から夜の部が始まり、

殆ど中国人や外人の観客ばかりで、私ら脱棚組には好都合であった。

洋画はすべてノーカット。

私は中学三年ぐらいから、ジン・アーサーやデートリッヒ、クローデット・コルベルのファンだったし、

彼女たちの濡れ場を毎度見てきた。

内地育ちの同輩諸君や、通学生の皆より年期が入っているので、

人生いろごと、機微にも長じてきたと自負している」
(第二十三回生・白石泰資)

といった具合で、いかにも当時の青島の自由な雰囲気がうかがえる。

当時内地では見られなかった映画と言えば、

Mさんからのメールにも、次のようなくだりがある。

「父は戦時中、青島で映画『風と共に去りぬ』を見たそうで、大変感動したと話しておりました。」

幸いなるかな、古き「青島人」たち。

※古い写真は、88年に撮影したもの。

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ここは、いわゆる下町ですか、一度、餃子を食べに行って万年筆だけ買って怖くんなって帰った記憶があるのですが、確か、ジャスコから15元くらい。

2007/11/4(日) 午後 7:44 [ たね ]


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