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青島日本中学校校史から推測すると、
中野町(聊城路)の奥の方、つまり膠州路に近い一帯を新町と呼び、
その辺が歓楽街だったらしい。
その辺の建物はほとんど昔のままの姿で残っているが、
どこにダンスホールがあったのか、
どこにキャバレーがあったのか、特定するのは難しい。
その中に、ちょっと娼館ぽい建物があったので撮ってみた。
聊城路の途中に階段があり、そこを下りたところが市場三路になる。
そこに、電気館が、昔の面影を残したまま建っている。
私もMさんも、ここで「風の又三郎」を見た。
Mさんからのメールを紹介しよう。
「中の街のテーケー商会は羊会の中島嘉子さんの家で、洋品店でした。
ショーウィンドに素敵なものが並んでいました。(略)
テーケー商会のほかにテーケー洋行おというのもありましたが、
どういう商売か知りません。
文房具屋さんもあり、良く歩いて鉄山路から買いに行きました。
鉄山路から行くとき、中の街に入ってゆく左角に
ブラックキャットというカフェがあり(注:カフエーネコの看板のところか?)、
何か大人の隠したい所らしいと思ったことです。猫のネオンがありました。
テーケー商会の所は前に青島に行った時、見に行きましたら
中国銀行になっておりました。」
ところで、
「はっさん」という方からコメントをいただいた。
「はっさん」の同級生の朝鮮人の友達が遊廓の息子だった。
そしてその遊廓は、
新町公園(第二公園ともいった)から第一小学校へ向かう道の途中にあった、
というのである。
ということは、遊廓は、公園を挟んで、新町の歓楽街とは反対の方角になる。
そのあたりは、西島君の家(芸者の置屋)のあったところだし、
「はっさん」の記憶もかなり正確のようだから、遊廓があったのは確かだろう。
もう一度聊城路を歩いてみた。
「はっさん」の言う遊廓のあった辺りは、
今は即墨路市場の車の出入り口になっていて、昔の面影は残っていない。
また、新町公園は深く掘り下げられて、大きな工事が始まっている。
そこから第一小学校へ向かう道に、旧い小さな旅館があった。
捨てがたい営みを感じたので写真に収めておいた。
旧日本人商店街の中野町と、新町の色街探訪はここでひとまず終わるが、
まだわからないのが、ピンカンリー(平康里)という遊廓の場所である。
「平康里」は新町ではなく、別の所にあったという情報がある。
正確な情報が入り次第、続編でお知らせすることにする。
※写真は上から、旧電気館(88年撮影)、旧電気館(現在)、市場三路階段、旧青島劇場、
娼館ぽい建物、工事中の新町公園、小さな旅館。
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懐かしい写真を有難うございました。当然ながら大河内伝次郎、片岡千恵蔵、上原健らの看板がかかっていた時代と雰囲気がすっかり変わってしまいました。電気館の前に大きな星のネオンが輝いていたSTARというキャバレーがありました。
2006/7/1(土) 午後 11:18 [ はっさん ]
懐かしい写真ですね。青島にいるときにはよく 即墨路市場に買い物行きました。
2006/7/2(日) 午後 11:09 [ qin**aokob* ]
はっさんへ、もう映画館の雰囲気はありませんね。88年のときはどうにか映画館だったということはわかりましたが、今は何度行ってもこれが電気館だとはわかりませんでした。星のネオンですか。私は親と同伴の時代ですから何も覚えていません。
2006/7/4(火) 午後 6:49
qingdaokobeさん、即墨路市場ですか。即墨路にあったときの市場は知っていますか。今度88年当時の即墨路市場の写真をお目にかけますね。
2006/7/4(火) 午後 6:52
昨年12月の即墨路市場は活気がありました。入り口のビニールシートは日本の街では見られませんね。地下の旗袍の店が参考になりました。次回の写真が楽しみです。
2006/7/6(木) 午前 9:32 [ 相子 ]
相子さんへ、あのビニールシートは傑作ですね。よく考えました。外の寒気を遮断するには効果がありますね。これからも新旧写真をお届けします。
2006/7/6(木) 午前 10:28