青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

青島の街研究

[ リスト ]

旧日本商工会議所跡

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

館陶路の旧取引所跡をさらに大港に向かって行くと、

旧青島日本商工会議所跡がある。


“1940年建築”とあるから、

わずか5年の命運だったことになる。


建築1年後に第二次大戦が始まり、

間もなく日本の敗色濃厚になる。


子供だった私には戦争の情勢はわからなかったが、

海の輸送もままならなくなり、

商業活動も停滞し始めた。


当時、日本向けに弁柄の輸出をやっていた私の父も、

商売あがったりであった。


いち早く見切りをつけて内地へ引き揚げた商人も多く、

結局、その人たちは賢明だったということになる。


一時は4万人に達した青島在留邦人も、

終戦時は3万6千人に減っていたといわれる。


終戦間際に日本に向かった最後の客船は、

途中でアメリカの潜水艦に撃沈された。


その船に乗った、まだ中学2年生の私の友人は、

家族のすべて失い、ただ一人生き残ったそうだ。


「青島は危ない」という情報に動揺した青島在留邦人の中には、

I氏一家のように、旧満州に避難する人たちもいた。

I氏は大連で終戦を迎え、内地引き揚げがさらに遅れた。
(I氏の「青島中学の思い出」をご覧ください)


私の家族も旧満州への疎開を準備していたそうだが、

直前になって父が中止を決意し、最悪の事態は免れた。


私はそのとき北京の学校にいて、内地引き揚げは一番早かった。


波乱に満ちた、青島の在留邦人たちであった。

閉じる コメント(2)

顔アイコン

そうですかあ。輪つぃは、実は60にもなるのに、何をしようかと今頃考え始めて、都会に行くことにしましたね。

2006/11/21(火) 午後 0:00 [ tan*y*shi*35 ]

顔アイコン

taneyoshi135さん、そうですね。私も田舎に引っ込むよりは都会の刺激の中で暮らしたほうがいいとおもいますね。青島が一番ですけどね。

2006/11/21(火) 午後 6:22 bad**uan1*3


.
bad**uan1*3
bad**uan1*3
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

最新の画像つき記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事