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旧青島日本高等女学校校舎跡(現青島大学医学院) 1940年ごろ(?)の女学校生徒と現在の石段 正門横の池 大運動会の演技(於青島第一日本小学校運動場)。1940年ごろ? Kさんの「青島高女の思い出」 第9号が届きましたのでご覧ください。 <V青島高女の思い出(九)> 『辮髪の話』 青島の思い出もだんだん薄らぐことを危惧し、 第9号をお送りすることに致します。 先般は高足踊りでしたが、 本日は弁髪のお話をお送りします。 勿論、この弁髪の話は よほど古い方でないと分からないのではと思います。 私の両親は大正9年の日独戦争当時、青島近在に配属され、 その後除隊し青島に在住しました。 その際に我が家にきていたボーイさんは 弁髪といって 頭頂の部分の頭髪(茶碗の大きさの円周)部位を 長く腰のあたりまでたらした髪型だったようです。 母が結婚してからですから、大正末期のことだと思います。 弁髪に税金がかけられるため、 長年の愛着を持ち、なかなか剃髪出来なかったそうです。 昭和に生まれた私などには考えられない歴史があったのですね。 この弁髪も清の時代の名残なのでしょうね。
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想い出の青島
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辮髪は実際には見たことはありませんが、映画では見ますね。清朝は厳しかったのですね。「頭を残す者は髪を残さず。髪を残す者は頭を残さず」という言葉があります。辮髪を拒むと恐ろしいことになるのですね。
2007/3/18(日) 午前 6:48 [ 相子 ]
相子さんへ、清朝は辮髪だけは厳しかったのですね。日本に来た清の留学生たちは、学帽で辮髪を隠してしていたそうですが、日本人から見るとやはりちょっと異常な感じがしますね。
2007/3/18(日) 午後 7:38