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「日本人が住んでいた家」 最近、 子ども時代に青島に住んでいた方々を案内したり、 電話をいただいたりして、 日本人が住んでいた家が少しずつわかってきました。 敗戦によって心ならずも青島を離れ、 再び戻ることが許されなかった人たちにとって、 青島の旧・我が家を発見したときの感激は、 筆舌に尽くしがたいものがあります。 旧第二小学校の近くでは、 まず大学路の社宅に住んでおられたYさん。 我が家を発見して喜ぶYさんご夫妻の写真です。 旧市政府の建物のある通りを湖南路といいます。 湖南路の5号にはMさんの旧宅、 7号にはTさんの旧宅があります。 第二小学校の斜め前で、通学には便利だったことでしょう。 このあたりは桟橋のある海岸に近く、 いわば高級住宅街です。 湖南路の並木道をご覧ください。 湖南路13号には、 青島出身の同窓会・羊会のメンバー、 Sさんの旧宅があります。 同じく羊会メンバーのKさんの旧宅は常州路。 残念ながら最近取り壊され、 今はレンガの山でした。 先日60年ぶりに青島を訪れたKさんは、 タッチの差で、我が家と対面することはできませんでした。 さぞ無念だったことでしょう。 取り壊されたKさん宅の前に、 回教のお寺がありました。 1898年と書いてありますから、 ずいぶん古い建物です。 この建物は保存されるようです。 常州路は、東方飯店の裏になり、 あまり目立たない場所でした。 青島市の大改造は、 いよいよ旧市街へと移っていきます。 その模様は順次お伝えします。
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青島の街研究
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戦前というと、60年以上も前のおうちが、まだ残っているんですね!住宅ブームで、古い建物がどんどん取り壊されていってますが、そういう建物にも、誰かの思い出が詰まっていると思うと、もったいない気がしてきます。皆様、お元気なうちに、ぜひ見に来て欲しいですね〜。
2007/6/6(水) 午後 4:03
Makkyさん、その通りです。思い出がいっぱい詰まっている建物です。今、駅の西側から小港、中港に至る一帯が取り壊されています。日本のみなさん急いでください。来るなら今のうちですよー。
2007/6/6(水) 午後 7:23
案外に日本人はきれいなところに住んでいたのですね。今の私のところよりもいい。
2007/10/14(日) 午後 1:13 [ なんだろうおる ]
なんだろうさん、この辺は青島の山の手ですからいいとこのお坊ちゃん、お嬢さんの家です。下町のほうにもたくさん日本人が住んでいましたよ。
2007/10/14(日) 午後 6:31
そうでしょうね。そうでなければ変。
2007/10/16(火) 午後 10:40 [ なんだろう ]
なんだろうさん、これから下町のほうを探訪します。まずは黄台路です。そのあと続々(?)記事に載せますよ。
2007/10/17(水) 午後 5:25
コウイウマチを残さないで一体何を中国は残そうとしているでしょう。
日本領事館を有効利用したいと思っていたのに相棒が居無くなっちまった。
2013/11/13(水) 午前 3:01 [ ぜ ]