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「青島研究『広西路』(二)」 前回に引き続き「記憶の中の広西路」をもとに、 広西路を歩いてみよう。 「広西路を更に東に進むと、 郵便局や、 電信電話局があり、 坂を左に登ると旧市政府に出た。」(記憶の中の広西路) これが郵便局跡である。 「膠州郵政局跡」のプレートがある。 その隣の建物が、電信電話局跡だ。 電信電話局については、今後もう少し詳しく調べてみたい。 「記憶の中の広西路」には、 電信電話局の隣の建物についての記述がない。 しかし、 幸い、Mさんから送られてきた 「青島」という旅行案内書がある。 ジャパンツーリストビューローが、 昭和15年(1940年)に出版し、 2000年に再刊(限定版)されたものである。 その冊子の巻末にいくつかのホテルの広告があり、 その中の「青島ホテル」の広告には、 「(青島ホテルは)青島市広西路にあり、 隣は電報局にて、 前は名に負ふ海軍桟橋を目前に・・・」 と宣伝文句が書かれている。 電報局の隣といえば、 この建物になる。 つまり、 これが「青島ホテル」跡ということになる。 その隣にも豪邸があるが、 「1903年築・ドイツ人私宅跡」のプレートがある。 この建物の裏庭の中に入っていくと、 さらにもう一棟の豪邸があった。 かなり古びていて荒れているが、 当時は庶民が近づけないような、 豪華な屋敷だったに違いない。 さらに東には青島路を隔てて ドイツ大使館跡がある。 これは以前、紹介したことがあるので省略する。 「記憶の中の広西路」はつづく。 「更に東に行くと 第二小学校の裏門からロシアパン屋、 東方市場を通って 青島中学に行くことができた」 その辺りの様子は、 最新の写真撮影が終わり次第ご報告することにしたい。 (つづく)
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青島の街研究
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父が堂邑路の局からこの電電の青島支社に移り、太平路の下でよく父と一緒に鯊釣をしました。水は澄み、魚影が濃く、足元まで鯊が寄ってきます。今はどういうことになっていましょうか。一昨年、青島に行きました時の歩道は立派でしたのが印象に残っております。
2007/6/17(日) 午後 1:43 [ 相子 ]
相子さんへ、あのあたりで鯊が釣れたんですね。いい思い出ですね。電電のこと、先輩に聞いて、もう少し調べてみたいと思います。
2007/6/17(日) 午後 3:46
はじめまして、東京在住の者です。ときどき楽しく拝見させていただいております。昨年2度ほど青島を訪れ、すっかりこの町に魅了されてしまいました。広西路はドイツ時代のモダン建築が多く残り、これらの建物を写真におさめまくっていましたが、かって住んでいた方の貴重な話を聞くと、私のアルバムの青島の建物の写真がまた違って見えてきたような気がします。今年の秋にでも青島へまた行きたいと思っております。
2007/6/26(火) 午後 9:36 [ 東村山のヨウタロウ ]
ヨウタロウさん、青島に住んでいるとますます離れ難くなります。ドイツ時代の建物が日本統治時代には何に使われていたのか、少しずつ調べていきたいと思っています。青島にお寄りの際はお立ち寄りください。
2007/6/26(火) 午後 10:57