|
「日本人がいた街、黄台路」 1914年、日独青島戦争が終わり、 青島は日本の軍政下に入った。 翌1915年3月、 「青島未開発丘陵地及び若鶴地区に日本人新市街地の造成を開始し、 商工業誘致を計画する。」 (青島日本中学校校史より) 若鶴地区というのは、 現在の貯水山公園一帯のことで、 青島第一日本小学校、青島高等女学校(ともに1918年竣工、移転)、 そして、青島神社が造営された(1919年)。 黄台路も若鶴地区の一角にあり、 両側にドイツ建築を真似た瀟洒な建物が並んでいる。 いわば旧市街の「山の手」といった雰囲気である。 私の同窓会「羊会」のメンバー6人ほどが、 この黄台路に住んでいた。 この度、日本人にとって懐かしい街、黄台路を探索することにした。 家の内部の写真を撮りたいため、 生徒二人を連れて万全の体制である。 幸いなことに、 快く家の中を案内してくれたおじさんに出会った。 まずはその家の中から紹介することにしたい。 玄関ドアは、以前は引き戸だったそうだが、 欄間があって日本建築らしい造りである。 玄関を入ると靴を脱ぐように一段高くなっている。 部屋の中には押入れがあるのが目に付く。 収納場所として今も利用しているのがうれしい。 驚いたのは、 和風の模様のついたガラス窓の欄間である。 よくぞ保存しておいてくれたものである。 窓は二重窓になっていて、 部屋の中は外の騒音から遮断され、さながら別天地のようだ。 そして暖かい日差しが自然のぬくもりを保ってくれる。 昔の青島では、ほとんどの家が二重窓を採用していたが、 なぜ二重窓を取り壊してしまったのか。 省エネの時代を考えると、もったいないことをしたものだ。 この部屋と隣の部屋は、 もとは襖で仕切られた一つの部屋だったそうだ。 台所は、隣に小さな食堂らしき部屋があり、 その間に小窓があったというから、 カウンターキッチンだったのではないか。 今は現代風に改造され、きれいに使われている。 台所の隣にあるのが洗面所とお風呂場だと思われる。 これだけ昔の状態を保存したまま暮らしてきたこの家の住人に、 感謝の気持ちでいっぱいである。 ありがとう! おじさん。 (つづく) 次回も引き続き黄台路を歩いてみたい。
|
青島の街研究
[ リスト ]





快く日本建築の趣を残した家の中を案内してくれたおじさん、私からもありがとう! 二重窓は懐かしいです。続きが楽しみです。
2007/10/17(水) 午後 1:37 [ はっさん ]
ガラスの模様、素敵ですね。
ちまき
2007/10/17(水) 午後 2:20 [ zof*x ]
きっと日本の知恵のつまったこの家は過ごしやすいのかもしれませんね♪
次回も楽しみにしてますよぉ〜♪
2007/10/17(水) 午後 3:32 [ - ]
はっさん、ほんとにうれしいおじさんでした。また日本人を案内してあげてください、と頼んでおきました。中国の北のほうは二重窓が必要ですね。
2007/10/17(水) 午後 4:45
ちまきさん、こんなきれいな模様の窓がある部屋に泊まってみたいですね。
2007/10/17(水) 午後 4:48
ノムノムさん、外観はドイツ様式、中は和式というのもいいですね。「和の知恵」がいっぱいです。
2007/10/17(水) 午後 4:51
こんにちは、足立さん、西村唯雄です。青島満帆を拝見、戦前住みし黄台路44号の我が家の写真、隣りの善導寺跡(今は亡き本原邦夫君の住居)徳満君の住居などなどを見て、改めて昔のよき日の思い?が
よみがえって来ました。どうも有り難うございました。07/11/1 記
2007/11/1(木) 午前 8:25 [ ターチャン ]
今でも、青島で、和風のものを見るのが懐かしいね。私も一度黄台路をゆっくりまわろうと決心しました。。。きっとなにかいいものを見つかれるような気がします、楽しみです。
2007/11/9(金) 午後 3:58 [ isa*iqd ]
tadao678さん、私も今度初めて黄台路をゆっくり探訪しました。ほんとうによいところだったんですね。いつまでも残して欲しいですね。
2007/11/9(金) 午後 9:59
isamiqdさん、黄台路をゆっくり歩いて見てください。そしていいものを見つけてください。
2007/11/9(金) 午後 10:02