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「日本人がいた街、黄台路(三)」 旧ドイツの青島における「建築取締仮規則」には、 「建築ハ何レモ街、交通、堅牢及ビ耐火ノ要求ニ適スルモノ タラザルベカラズ。 建築物ノ外観ハ之ヲ建設スベキ当該市区ノ体裁ニ適応セシムベシ」 (「青島日本中学校校史」より) と書いてある。 つまり、木造建築は禁じられ、 周囲の景観を損なうような建築は許可されなかった。 日本が統治するようになってからも、 この法令が踏襲され、 一定水準以上の街並みが維持されたのである。 そのため、日本人の設計による建物も、 外観はドイツ様式が取り入れられ、 内部の部屋には畳を敷いて暮らすというのが一般的だった。 今回は、今に残る黄台路一帯の洋風建築の写真を ずらりと並べて、 みなさんにごご覧いただこうと思う。 この家は、門を入って階段を上がると立派な庭がある。 それぞれ、内部はいささかくたびれているが、 玄関には、いずれも沓脱ぎがあり、 板張りの廊下、階段が見える。 次回も引き続き、黄台路の洋風建築をご紹介しようと思う。 |
青島の街研究
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こちらのお写真、楽しみに拝見しています。
ちまき
2007/11/1(木) 午前 11:02 [ zof*x ]
ドイツは早くから「建築基準法」的なものを作って街造りをしていたのですね。内装は日本的、住人は中国人。観光地・青島はドイツの功績が大きいと言えますか。
2007/11/1(木) 午後 2:14 [ はっさん ]
ちまきさん、次回も楽しみにしてください。まだまだ瀟洒な洋館が残っています。
2007/11/1(木) 午後 3:39
はっさん、ドイツは火事と伝染病の蔓延を恐れたのでしょうね。ドイツが青島に投じた港湾設備と街づくりへの投資は莫大なものです。現代中国もこの街づくりに負けないうまさを持っているようです。
2007/11/1(木) 午後 3:47
昨年の秋に青島へお邪魔したときは、こちらの方面を少し歩きましたが、体調を崩しており普段の健脚さがまったく失われてしまい、途中で引き返してしまいました。今度、青島へ行く機会があればこの周辺を重点的に歩きたいと思っております。
しかしながら、青島における僅か十数年のドイツ租借地の時代に作り上げた都市計画のシステムというのは、凄いものだなとつくづく感心してしまいました。日本人にしろ中国人にしろ、ドイツ時代の素敵な建物を見れば真似したくなりますよね(笑)。
2007/11/2(金) 午後 8:46 [ ヨウタロウ ]
ヨウタロウさん、今度ぜひ歩いてみてください。中を見せてくれる人もいます。ドイツの植民地経営はとてもまねできませんね。規模が違いすぎます。中国にとっても、都市計画のいい見本を造ってくれたわけですね。
2007/11/2(金) 午後 10:31
環境問題に対応する姿勢を見ますと、ドイツ人の思考は素晴らしいものがありますね。青島に残したものもドイツ人の真髄かも知れませんね。ドイツ式半地下のある家で暮らした月日を思い出し、青島の美しさに感動した子供の一人としてこのような家を拝見し嬉しく思います。
2007/11/3(土) 午後 8:49 [ aik*qi*a*2 ]
aikoqipaoさん、国を挙げて住環境を守ろうという考え方は日本人も見習うべきでしょうね。青島の街を見ると、日本人の都市計画は昔からずいぶんいい加減だったんだなあと思います。
2007/11/3(土) 午後 10:10
フム、階段を上がって庭。いいですね、ところでこれでいくらくらいですか?
2007/11/4(日) 午後 7:18 [ たね ]