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「発見!伊達順之助旧宅」 T氏から電話があり、 「伊達順之助の旧宅を探しに行きませんか」 とのお誘いがありました。 こういうお話なら、一も二もなくオーケーです。 伊達順之助とは、 檀一雄の小説「夕日と拳銃」のモデルにもなった、 有名な日本人馬賊です。(その後、東映でも映画化されました) 詳しくは、このブログ「青島満帆」の「青島人物伝」をご覧ください。 伊達順之助旧宅探索隊は、私とT氏と、 小魚山の近くに住んでおられるW氏、 それに、通訳として青島大学の学生、孫君が加わりました。 バス停「海水浴場前」で落ち合って出発です。 伊達順之助の旧宅を探すとは言っても、 雲をつかむような話です。 私がM女史から聞いた、 「斉東路に住んでいた」 という情報が唯一の手がかりです。 とりあえず「斉東路」を目指します。 斉東路は信号山の裏側に当たります。 旧青島日本中学校を縦断して斉東路に出ました。 坂道をゆっくり登っていくと、 奥さんをいたわりながら歩いている老夫婦に出会いました。 孫君が早速近づいて、 「昔、馬賊だった日本人の家を知りませんか」 と尋ねました。 すると、 何と! 「いつも馬に乗っていた日本の将軍がいたよ」 というご返事。 番地は26号。 勇躍その家を目指します。 通りがかりの別のおじさんも参加して案内してくれます。 ありました! ここです。 あとで、 伊達家と親交のあるM女史に確認してもらいましたが、 間違いないとのことでした。 伊達順之助は3階の部屋を自分の居室として使っていたそうです。 また、広い庭にはブランコなどがあったそうですが、 今は温室のようなものが建って狭苦しくなっています。 この建物には現在10所帯が住んでいて、 住人たちに話を聞くことができました。 1階のこの部屋だけが空いていますが、 あいにく鍵がなくて中に入れません。 外から埃だらけの窓を開けてもらって写真を撮りました。 写真はピンボケになりましたが、 この中に、 伊達順之助の調度品が残っているかもしれません。 こんなに順調に 伊達順之助の旧宅を探し当てられるとは思いませんでしたので、 満足、満足、大満足の一日でした。 その後、このことを群馬の姉に報告しますと、 これまた驚いたことに! 元憲兵だった私の父が戦犯容疑で青島の監獄に入れられたとき、 伊達順之助も一緒だったというのです。 少年時代、馬賊に憧れていた私の父は、 監獄の中で、 伊達順之助とどんな会話を交わしたのでしょうか。 ↑この写真は、伊達宅の対面の家で、 憲兵隊の偉い人が住んでいたそうです。 |
日本人が住んでいた家
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斎東路の道路。遥かな昔、学校から帰るとき殆んど人影はなく、ドイツパンの入った箱を担ぎ売る中国人の小父さんによく出会いました。静かな路を思い出します。有難う。
2007/12/9(日) 午後 3:51 [ aik*qi*a*2 ]
aikoqipaoさんへ、斉東路は今でも、市内では珍しい静かな路です。いいところに住んでいましたね。ドイツパン売りのおじさんがひょっこり出てきそうな、雰囲気のある路です。
2007/12/9(日) 午後 10:37
海からの景観はまるでシドニーのように変貌してしまった青島に、まだ「馬賊」とか「憲兵」とかを偲ばせるものが残っていたのですね。探索隊、ご苦労様でした。ちょっとタイムスリップした感じで拝見しました。
2007/12/10(月) 午後 10:11 [ はっさん ]
はっさん、新しいビル群の街と、戦前の昔にタイムスリップできる街が共存している街ですね。これからも老人探索隊が青島の街を発掘します。
2007/12/11(火) 午後 10:26
足立先生
あげまして おめでとう ございます
2007/12/31(月) 午後 3:56 [ xia*qi*ner_*2*007 ]
黒い中山服のシナ人が、ふらりと現れて、もう、その後ろには先白い顔の女が消えている。海から噴いてクル青島の風は、無粋な私を、夢見る老人にします。もう、何回行ったかなあ。なけなしの金をはたいて洗うようにいなくなった仲間のことを、突然に、麻薬患者の発作のように思い出しましたねえ。良いな、すこし田舎の方もいいんでしょうね。大阪桜、亡くなったんでしょう?
2008/2/17(日) 午前 7:21 [ tan*y*shi*35 ]