青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

青島の街研究

[ リスト ]

「続・昔、色町があった(二)



平陰路には我が家のほかに、向かい側に本田君一家が住んでいた。

本田君以外と遊んだことはなかったから、

ほかに日本人は住んでいなかったと思う。

イメージ 1

↑平陰路の坂下から。88年5月撮影。



坂を下ると小港に出るが、

当時、私は坂を下ったことはない。


坂を下がったところに平康里2里があったというのは、

まさに寝耳に水である。

イメージ 2

↑再開発中の平陰路。標識。

イメージ 3

↑再開発中の平陰路。坂下から。

イメージ 4

↑同平陰路の角。このあたりに平康2里が?

イメージ 5

↑再開発で破壊される平陰路の建物内部。




小学校へ行くには反対に坂を少し上ってから下がると、

冠県路に出る。

その冠県路を左に曲がって小学校に向かった。


右に曲がると市場通りに出る。


市場には時々買い物に行ったが

その途中の角に平康3里という遊里があったとは、

子供のこととて、全く知る由もなかった。

イメージ 6

↑冠県路。前方は大港方面。



まだ小学校2年生だから行動範囲も狭い。

まして、夜の道など歩いたことはなかったから、

子供の記憶としてはこんなものなのだろう。



前回にも書いたが、

平康里という宿は、

一軒か二軒の楼が

住宅や商店の間に何気なく営業していたに違いない。

イメージ 7

↑冠県路。このあたりに平康2里があった?




H氏から、

情報を提供されたお年寄りの手紙を、

原文のまま送っていただいたので再録する。



「赤線の話しですが、東海楼も平康里と同様で、

他に平康東里、平康五里もありましたが、

行ったことも無く所在地も解りません。


平康二里は平陰路だったと思います。


夕方になるとドラが鳴り、随分賑やかなものでした。


昭和18年当時、確か一泊2元だったと記憶して居ります。


生きてる内にもう一度青島に行きたいと想って居ります。

一にも二にも健康が一番、お互いに長寿を祈りませう。」


大正生まれのお年寄りらしく旧仮名遣いの文章になっているが、


<一泊2元だった>


と、値段まで書いていただいた。



当時の通貨は、


「昭和13年3月10日、中国聯合準備銀行が設立され、

昭和14年3月10日以降、聯銀券以外の通貨の流通は禁止された」

(1940年(昭和15年)旧JTB発行「青島」より)



つまり、日本銀行券1円が、聯銀券1元に換金された。


当時、2元で何が買えたか。



前記冊子「青島」によると、


市内遊覧バス乗車賃が2円、


となっているから、


平康里のお遊び代は、

遊覧バスで2時間半の市内観光をする料金と同じである。


ちなみに、市内の3級旅館の一泊料金は3円からとなっている。



昭和18年(1943年)といえば、

猛烈なインフレが現地を襲い始めた時期である。


お遊び代も当然値上がりしたことだろう。


2元というお遊び代が高いか安いかは、

読者のみなさんの判断にお任せする。




もう一軒の「東海楼」の所在地は、

冠県路を市場通りへ曲がらずに真っ直ぐ行った道である。


小港のまん前だから、

船乗り相手の商売として繁盛していたに違いない。


その莘県路には古い建物はほとんど残っていない。


残っていた解体寸前の建物を撮ってきたが、

この中に「東海楼」跡があれば幸いである。

イメージ 8


イメージ 9


イメージ 10





「平康1里」については、

「青島日本中学校校史 」の中に次のような思い出文がある。


「(私の)住所は当時の街名膠州路といい、

(中略)

色町の横を通る中野町との交差点でした。


街路を隔てて向かいは『第一楼』、


その裏は大辰、上がった所には三浦屋という大料亭があり・・・」

(第3回生・徳重文一郎)


この文中の『第一楼』というのが、

「平康1里」のことであろう。

イメージ 11

↑聊城路から膠州路に出る角。




手元にある資料は出し尽くした。


「続・昔、色町があった」

もこの辺で筆を置くことになる。


青島帰りのお年寄りの手紙の中には、

このほかに

「平康東里」

「平康5里」

というのがあったと書かれている。



また新たな情報が入れば、

「続々・昔、色町があった」

を書くことになろう。

閉じる コメント(3)

顔アイコン

昔、日本人が闊歩した時代の青島の街研究、興味深く拝見しました。1988年撮影の写真は郷愁を誘います。
「平康里のお遊び代は、遊覧バスで2時間半の市内観光をする料金と同じで」とは!娼婦たちの待遇が想像され哀れです。
中国聯合準備銀行のことや1943年当時の物価など勉強になりました。有難うございます。

2008/1/14(月) 午後 1:51 [ はっさん ]

顔アイコン

はっさん、1988年当時はほとんど昔のままでしたね。懐かしい風景です。聨銀のことやインフレの状況など、資料がたくさんあればもっと調べられるのですが、調べるといろいろわかっておもしろいですね。

2008/1/14(月) 午後 5:02 bad**uan1*3

顔アイコン

薄暗い部屋の門口に立つ、青いズボンの男の所在ない感じ。堀返されたままにされたレンガの山に人けの絶えた浦通り、、、。ありますねえ、こういう感じは人間を無気力にし哲学さえ覚えさせますからね。、

2008/2/17(日) 午前 7:26 [ tan*y*shi*35 ]


.
bad**uan1*3
bad**uan1*3
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

最新の画像つき記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事