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中村八大さんの旧宅を探す ↑中村校長一家の写真。 中村八大さんの旧宅を見つけました。 中村八大さんというよりも、 お父さんの中村校長宅と言ったほうが正確でしょうか。 中村校長は、作曲家・故中村八大さんの父親であり、 青島第一日本尋常高等小学校の名校長として市民に親しまれていました。 (このブログの「青島人物伝」2005年11月15日をご参照ください) 退官後は八大関に住まわれていたとのことでしたが、 昨年、そのお住まいが正陽関路21号だと教えてくださる方がいらっしゃいました。 1月30日(金曜日)、まだ春節気分が抜けきらない静かな日、 由君が 「車がありますから市内を少し廻りましょう」 と誘ってくれました。 「それでは遠慮なく」 とばかりに、八大関に車を飛ばしてもらいました。 八大関に着くと、広場の横に車を止めて由君が探しに行きました。 「先生、ありますよ」 「え、ほんと?」 林に隠れて建物らしきものが見えず、諦めかけていたところへ、 由君のうれしい知らせです。 正陽関路のゆるい坂道を登って行くと、 ありました! ↑林に隠れて見えなかった中村校長旧宅が見えてきた。 ↑道路側から見ると平屋ですが・・・。 正陽関路に面したほうから見ると平屋ですが、 裏に廻って南側から見ると2階建てになっています。 2階は事務所になっていますが、今日は正月休みで人はいません。 1階には人が住んでいました。 ↑南側から見ると2階建てです。 写真を撮っていると住人のおじさんが出てきて説明してくれました。 <この建物の持ち主は、ロシアから革命を逃れてやってきたお金持ちでした。 当時、このあたりを分譲地として売り出してもなかなか売れず、 それが却って幸いして、静かな環境が残ったのです。 この土地がやっと売れて、1932年に家が建てられました。 ですから、これがこの辺で一番新しい建物と言えます。> そう言えば、一昨年いらっしゃった羊会の吉田さん宅も、 大家さんがロシア人だったということでした。 革命を逃れてきた、いわゆる白系ロシア人が瀟洒な家を建て、 それを後日、日本人が借りたというケースが多かったのでしょう。 ↑広い庭。周りは広場に囲まれて静かな環境。 いずれにしても、この家で中村八大さんはピアノのレッスンに励み、 戦後、数々の名曲を生み出したのです。 お父さんの中村校長にも数々の逸話が残されています。 魚山会の井上睦三さんからのメールには、 「中村校長はナカナカ堅い人で、 居留民団事務の仕事で洋車(人力車)が出迎えに来ても、 官庁用車を使わず歩いて行き、 洋車がノコノコ後をついて話題になっていたそうです」 と書いてあります。 八大関の自宅から日本居留民団まではかなりの距離ですが、 頑として出迎えの車を拒絶し、 車夫が空の人力車を引いてその後を付いて行ったというのも、 思わず噴出したくなるような、中村校長ならではの逸話でしょう。 ↑昭和15年第1小学校入学式にて。右端に立っているのが中村校長。 (大阪伊藤さん提供) |
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八大さんが、いまだ存命であれば昔を思い出されて感無量だった事でしょう。若くして亡くなられた事、残念です。
2009/2/6(金) 午前 8:23 [ tadao678 ]
2小の6年時代、家が同じ方向の者は一緒に帰ることになっていました。私は忠の海から競馬場方面のグループで、そこに八大君やブラジルの峰村君、京大教授になった佐々木君らがいました。私はいちばん近い金口一路でしたが、彼らはそれから延々と歩いて通っていたんですよね。一時間近くかかったんじゃないかな。だけど、海を見下ろしながら魚山路を下り、競馬場を突っ切って行くのは爽快だったと思います。
八大君は土曜日は外国人のピアノ教師の家に行っていました。当時その事はあまり友達にも話さなかったけど、、、彼の明るいメロディーには、なにかその頃の青島の景色が感じられます。そして今、写真で見る彼の家も、、、
2009/2/6(金) 午前 10:14 [ 直大 ]
tadaoさん、直大さん、思い出は尽きませんね。八大さんの早世は惜しみて余りあります。
八大関から青中への道は最高の通学路ですね。秀でた人物が生まれるのもうなづけます。
八大さんの旧宅付近は八大関の中でも私が一番好きな場所です。天津から毎年青島へ出かけてあの辺をぶらつくのが楽しみでした。春は新緑、秋は紅葉に彩られて、何度行っても飽きないところです。
羊会のみなさんで一度訪問してはいかがでしょう。
2009/2/6(金) 午後 1:24
早速見に行こうと思っていますが、何か当時を物語るものなどは
無いでしょうか?
*すみません幼稚な質問かもしれませんが、八大という名前は
八大関からついたんでしょうか?
2009/2/6(金) 午後 4:18 [ kor*k*ro*chi*001 ]
korokoroさん、ご家族か当時親しかった方に聞いてみなければわかりませんが、恐らく当時を物語るものは残っていないと思います。今は事務所になっている2階の室内に何か痕跡があるかもしれません。
八大さんの名前は八大関とは関係ないようです。これもご家族に聞いてみなければ確信を持って言えませんが・・・。
2009/2/6(金) 午後 4:53
八大関と名前には関係ないようです。中村家は子沢山の家庭で兄弟が多く兄さんには二大、三大、・・・と云う名前の方がおり8番目の子かどうかわかりませんが八大と云う名が付けられたと聞いた事があります。参考まで。
2009/2/7(土) 午前 7:52 [ tada0678 ]
満帆さん、tadaさんありがとうございました。偶然であれば
なお因果を感じますね。近々見に行こうと思っています。
2009/2/7(土) 午前 9:04 [ kor*k*ro*chi*001 ]
八大さんの名前は中村先生の好みで付けられたと聞いております。字の左右が中心で分けると同じだということだそうです。
2009/2/7(土) 午前 10:29 [ 相子 ]
教えていただきありがとうございます。八大さんの名前、珍しいですよね。私も八大関と関係があるのかと思いました。後に八大関に住むことになるのですから、korokoroさんのおっしゃるとおり、縁を感じますね。
2009/2/7(土) 午後 5:16
お久し振りです。少し思い出したことがありましたので書きます。長野県から青島の第一小学校に転校した時の校長先生が 中村八大さんのお父さんで 中村八大さんは 日本の学校に転校するので日本では学生帽でないといけないので(当時は戦闘帽を学生はかぶっていた)君の学生帽子を譲ってほしいとのことで私の帽子を中村八大さんに譲りました・(小生の父は 青島中学に奉職しており 中村校長とは周知でした)。太平角一路11号に住んでいた こまみき 記
2016/10/22(土) 午後 5:09 [ fuk**god*su ]
我喜欢遮掩的故事,多谢您, Good,news,very interesting this story is.
Hatidai nakamura is great artist and splendid human.
2016/11/9(水) 午前 1:22 [ ze ]