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今年は虎と阿修羅像 今年も墨絵画家・白水貫魚画伯より色紙をいただきました。 一枚は今年の干支・虎の絵です。 虎が、 まさにこちらに迫ってくるようです。 “虎は千里往って千里還る” と言われていますが、 これは勢いが盛んなことの譬えだそうです。 今年の私の運気が 虎のように勢い盛んであることを祈るばかりです。 ↑今年の干支、虎の墨絵。白水貫魚画伯画。 2枚目の色紙は、あの阿修羅像です。 「阿修羅」とはそも何者ぞ。 未だ悟りを開けぬ私としては 「阿修羅」と聞いただけで恐れおののいてしまいます。 しかし始めて拝観する阿修羅像は、 何と激しく、 しかし、 何ものをも包み込んでしまうような、 心に優しさを与えてくれるような、 そんな仏様でした。 ↑広い心を感じさせる阿修羅像。白水貫魚画伯画。 今年は、 虎のように猛々しく、 しかし、阿修羅のように広い心で、 一年を過ごしましょう。 白水貫魚先生、ありがとうございます。
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阿修羅像の特徴がよく出ていますね。私もこの表情に惹かれて、奈良の興福寺まで観に行きました。強い意志を持ちながら、憂いを含み、慈しみの情を感じさせます。何百年も前につくられたのに、現代の美人像です。
男はその表情の中に、共に過ごしてきた女性の理想像を感じて、申し訳ありませんでしたと、頭を下げるのではないでしょうか。僕にとっては良心の痛みと癒しの表情です。
2010/1/26(火) 午前 11:55 [ 直大 ]
直大さん、興福寺まで阿修羅像を観に行かれましたか。奈良まで行く価値は十分ありますね。
なるほど、男はあの表情の中に女性の理想像を感じて頭を下げるのですか。あれだけの表情を画ききるというのもすごいですね。
私にとっては敗北から這い上がる力のような気がします。
現代の男にこそ、あの厳しさが欲しいですね。
2010/1/26(火) 午後 4:17
敗北から立ち上がる、ですか。
なるほど、取るに足らぬつまらない事や人間ににいつまでも、かかわって行くわけにはいきませんから、ね。
ゆっくりと、痺れか魔法から解放されて行く感じがします。
2010/1/27(水) 午前 11:37 [ ぜん ]
ぜんそうさん、私はいつも敗者でしたから、内に秘めた強さにあこがれるのです。
「取るに足らぬつまらない事や人間ににいつまでも、かかわって行くわけにはいきませんから」
とは、何だか見透かされているみたいですね。
2010/1/28(木) 午前 9:23
連戦連敗は、私も一緒です。
ともかく、悔やまれるのは、中途半端。いつも腰が引けていることです。言い訳がましく言えば、理性的、物事の行く先、出口ばかりがいつも気になってガムシャラに突進していくことができません。
限りある命、たった一度度だけの、とは思っては見るのですが、平均値や統計、ある種の可能性バランス論などと言う物にこだわっています。
まぁ自虐的に言えばインテリの弱さです。
わたしは貴方にある強い意志の力、遠くの汽笛を聞いている人間のニヒリズムのようなものを感じています。
三島由紀夫が、市ヶ谷で「、、、誰もいないのか」と叫び更に大きな甲高い声で「、、、そうか、一人もいないのか、」と言ったような気がします。
「そうか、誰も、ひとりもいないのだな」と自分自身に確認したのではなかったでしょうか。
これも幼稚な男のセンチメンタリズムですが、だからと言って、やめることはありません。
そう言った、吹っ切れた空気を貴方に感じます。わたしの勝手な感想ですね。
2010/1/28(木) 午後 3:06 [ ぜん ]
ぜんそうさん、いろいろと想像力をふくらませていただきありがとうございます。
私の実像は単なる天邪鬼で、ずぼらな男です。
日本の地元での私の評価は「中国で女に狂っている男」とか「毛主義にかぶれた男」とか散々です。そういうたわごとを悠々と聞き流して生きるのも楽しいものですよ。
2010/1/28(木) 午後 10:13
然り。
2010/1/29(金) 午前 11:57 [ ぜん ]