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雪景色、のち少し晴れ ↑古い住宅の屋根も雪化粧。 11日朝、起きてカーテンを開けると外は雪景色。 寒いわけです。 この寒さにも負けず、 張さんは元気に日本語の勉強にやってきました。 寒いのが好き、高いところが好き、お米のご飯が好き という今時の中国娘です。 楽しく授業を終えて、 お昼を食べて、昼寝をして、 目が覚めて外を見ると空がやや明るくなっています。 やっと天気回復の兆しが見えてきました。 ↑右上に見えるのがテレビ塔。右下に貯水山の裾野が見えます。 夕方、T大大学院博士課程のY研究員が今度は寒そうに現れました。 彼は青島の教育史の研究中で青島に史料探しにやってきたのです。 日本では遅まきながら青島の歴史研究が若者の手で始まったようです。 若き歴史研究家たちの研究史料と、 私たち素人集団が収集した資料とが助け合うことによって、 青島の歴史研究に立体感を与え、 大きな成果を上げることができるでしょう。 待望の若き青島歴史研究家の出現です。 青島の歴史、青島の教育の歴史研究は、 日本の将来像、アジアの将来像に 必ずや多くの指針を与えるものと確信します。 ↑ビール博物館がよく見える。 朝は中国の若い女性、夕方は日本の若者、 それぞれ有意義な会話を交わし、教えられ、 心も体も大いにリフレッシュした日でした。 ↑ビルの向こうに浮山が聳えている。 そして翌12日、久しぶりの朝日が、 窓の右のほうからかすめるように差し込んでいます。 私の部屋はどうやら東北を向いているようです。 外の景色も澄んでいます。 早速窓を開けて、カメラのシャッターを押します。 膠州湾の海が大港の向こうに姿を現し、 工事中の膠州湾横断道路が遥か向こうに見えています。 青島の旧市街がダイナミックに動いているのを感じます。 明日14日はいよいよ春節です。 ↑大港の埠頭の向こうに膠州湾の海が見える。 ↑工事中の膠州湾横断道路が遠くに見えます。 |
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素晴らしい景色の写真拝見しました。はっきりと青島の発展している息吹きが感じられる風景ですね。それにしてもアパート群の多さ、人口が増えた事がはっきり分かったような気がしました。T大の青島の歴史研究者が来訪して来たとの事、大学はいろいろな事やるものですね。資料室が早速役にたちましたね。吉弘さんも嬉しかったでしょう。今後ますます充実することを願っています。
2010/2/13(土) 午前 8:10 [ ターチャン ]
貯水山はこういう風に見えるんですね。泊っていたホテルの海岸ふちから毎日見ていましたからもっと高い所にあるのかと思っていました。
旧市街地の位置関係がわかります。それにしても何と興味深い様相を見せるのでしょう。
今、私は横浜でぐずぐずしていますが風景が違います、人間のエネルギーのようなものを感じます。
2010/2/13(土) 午前 8:27 [ ぜん ]
「いやぁ、いい仕事してますね」。お宝鑑定団の中島氏ではないですが,喜んで言いたくなりました。反日・親日では割り切れない中国人と日本人の交流史で、今までになかった視点が開けそうです。
足立さんは正に生き字引き。T大の若者君にも声援を送ります。
2010/2/13(土) 午前 11:09 [ 直大 ]
「朝は中国の若い女性、夕方は日本の若者…」。充実した生活の一部を感じます。若い歴史研究家たちに慕われる足立さんたちの集めた資料が、必要になって役に立つ時がくると思います。楽しみですね。
活気に満ちた青島の風景は、貯水山の裾野や労山しか知らない私には別世界です。そこで活躍される足立さんは「若い」です。
2010/2/13(土) 午前 11:10 [ はっさん ]
tadaoさん、やっと空が晴れて海のほうまで見渡すことができました。雪のためまだ外を歩き回ることはできませんから、部屋に引きこもったままカメラで景色を楽しむしかありません。
大学院生が青島の教育史に目をつけたとは、すばらしいことです。当時の青島の教育の先進性はこれからの日本の針路を考える上で大事な研究課題です。研究の成果に期待するもの大です。そして私たちロートルの出番もあります。
2010/2/13(土) 午後 1:11
ぜんそうさん、この写真ではまだ旧市街の位置関係まではわからないと思いますが、これからこの辺りの写真をたくさん撮りますので、人間のエネルギーをもっともっと感じるでしょう。どうぞ旧市街の様相をゆっくりご覧ください。
2010/2/13(土) 午後 1:19
直大さん、おっしゃるとおり、日中交流史に新たな視点が開けます。既成の歴史観にとらわれない新しい歴史観を持つ若者が、青島の教育史に取り組もうという姿勢に感激し応援したくなります。我等昭和一桁世代の体験が、若き研究家の理解に血と肉を与えることになるでしょう。
みんなで応援しましょう。
2010/2/13(土) 午後 1:39
はっさん、活気に満ちた青島の景色、堪能いただけましたか。
青島の歴史、教育史がやっと注目される日がやってきました。旧満州や北京、上海とは一味違った青島の歴史は、もっともっと研究されなければなりません。私たち日本国籍青島人の体験談が、若い人たちの公式文書史料の文字だけの研究に花と息吹を与えます。大いに若返って、体験を語りましょう。
2010/2/13(土) 午後 1:56
テレビ塔の写り具合で、わかりますよ。いつも青島の地図も同時にみながら見ていますから、この反対側に第一海水浴場のあるホテルがありその途中に即墨路。ぜひ、ひき続きよろしくお願いします。
2010/2/13(土) 午後 2:59 [ ぜん ]
若鶴山(貯水山)の左裾野が写っている写真の左上にビール博物館が写っていますが、そうすると中央付近に写っている白い建物(ビル)は3小の跡地に建てられた医学校の建物でしょうか?位置的にあっていると場所と思いますが・・・・・・
2010/2/13(土) 午後 4:44 [ ターチャン ]
tadaoさん、あの辺はtadaoさんのほうが詳しいですね。私も3小跡には何度も行きましたが、あのビルが医学院なのか自信がなくて書けませんでした。確かに位置的にはあれがそうですね。
今度しっかり確認してきます。
2010/2/13(土) 午後 5:41
ぜんそうさん、さすが旅慣れているお方です。失礼しました。
古い住宅が残っている場所は、遼寧路、泰山路、臨淄路、吉林路にはさまれた地域です。
2010/2/13(土) 午後 5:49
いいえ、口はばったいことを申し上げました。恐縮です。
足立さんの教え子の一人が訪ねてきた際に「すまいる青島」をいただきました。大変に役に立っています。
私は経済の問題もありますができるだけタクシーは利用しないでバスを使います、すると町の全体図がよくわかります。
こういう小冊子やりたいものです。
2010/2/14(日) 午前 9:02 [ ぜん ]
ぜんそうさん、バスを利用するのが賢明ですね。
青島の情報誌はほかにもありますから、新たに食い込むのは大変だと思いますよ。
2010/2/14(日) 午前 9:27
凄い場所から撮影されてるのでしょうか??
もぅ。そりゃ。全貌ってくらい色々見えますねぇ〜。
おやや?ビール工場??可愛いし(●´∇'*●)
2010/2/15(月) 午前 11:00 [ - ]
ノムノムさん、マンション23階の窓からの撮影です。残念ながら子供のときに住んでいた鄒平路の辺りは後ろ側になって見えません。
この辺は下町ですが、ITの街「青島の秋葉原」としてにぎわっているところです。
追々この辺の地上の景色をお届けします。
2010/2/15(月) 午前 11:21
T大大学院生のY研究員です。
足立さま、その節は大変お世話になりました。史料からは決して見えない興味深いお話を伺うことができ、感謝しております。
また、みなさまのご声援に応えられるよう、研究を続けて参りたいと存じます。早速日本人学校の資料室も使わせていただきました。
直大さまが「反日・親日では割り切れない中国人と日本人の交流史で、今までになかった視点が開けそうです」とコメントされているとおり、イデオロギーで歴史を語る時代はもう終わったと私は考えています。そうではなく、実態として何が行われていたのか、冷静に見つめることが何よりも大事だと考えております。こうした視点で、青島(さらには山東省全体)の近代教育に日本の教育がどのように影響を与えたのか、地域の人々(日本人も、中国人も)がその教育をどう受け取っていったのか、分析していこうと考えております。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
2010/2/15(月) 午後 2:26 [ iss**_yama*oto ]
T大の山本さん、コメントありがとうございます。
私のブログがますます重みを増してきます。青島教育史の研究が立派な成果を挙げられますよう、元青島在住日本人一同心から応援します。
そして何よりも私たち老いの境地に入った者たちには、若い研究家の新しい視点が必要なのです。
どうぞ今後ともよろしくご指導ください。
2010/2/15(月) 午後 3:19