|
一小撮影解禁。校内に立ち入った第一号は? 青島の第一日本国民学校が撮影解禁になり、 先日私が早速撮影に成功しましたが、 その次の日、 来青中の相子さんが校内に立ち入ることができました。 ↑コの字型校舎の中庭。ここで毎朝朝礼が行われた。 その日、M田さんの車は一小正門前に乗りつけました。 前日と違って守衛室には制服に身を固めた兵士が見張りに立っています。 私は車の中で様子を見守っていましたが、 M田さんは相子さんを連れて兵士に近づき、 得意の中国語で交渉を始めました。 後で聞いた話ですが、 M田さんは、 「私のお祖母さんが日本からはるばるやってきて、 昔学んだこの小学校の中をどうしても見たいと言っています。 おそらくもう二度と来ることはできませんので、 何とか見せてやってくれませんか」 と頼んだそうです。 兵士は上司に相談してオーケーとなり、門を開けてくれました。 その上、校舎の周りを先に立って案内してくれたそうです。 M田さん「親切でやさしい兵隊さんでしたよ」 ↑校舎の東側。 こうして、戦後70年間、固く固く閉ざされた一小校門の中に、 相子さんが日本人として初めて足を踏み入れることができたのです。 掲載した写真はM田さんに撮ってもらったものです。 校内は昔とは少し様子が変わっていますが、 コの字型に囲まれた校舎の中庭あたりをたっぷりとご覧ください。 ↑一段下の校庭から校舎を見る。 ↑右側の建物のあたりに講堂があった。 ↑校舎の西側。昔ここにプールが造られた。 □ □ □ □ 当ブログの「青島第一日本国民学校の変遷」の一部を再録します。 青島に最初に小学校が設立されたのは大正4年(1915年)4月で、 後に第二小学校(広西路)になる青島小学校と李村小学校でした。 その後、青島在留邦人の急激な人口増加により、 大正6年(1917年)4月、一校が新設され(後の青島学院校舎)、 第一青島尋常高等小学校となり、 最初に設立された青島小学校は第二青島尋常小学校と改称されました。 第二小学校は元ドイツの実科学校跡を利用したものです。 各小学校の通学区域も定められましたが 高等科は全区域とも第一小学校に集められました。 大正7年(1918年)4月、第一小学校は武定路に新校舎が落成し、 移転しました。 大正12年(1923年)、青島の租借権が返還され、 邦人の各学校は居留民団立となり、第一、第二小学校はそれぞれ 青島第一日本尋常高等小学校 青島第二日本尋常小学校 と、改称されました。 ・・・以下略・・・
|
全体表示
[ リスト ]





まさかの入構が出来ました。幸運としか言いようがありません。M田さんのお陰です。感謝の心一杯で帰国しました。
2010/4/13(火) 午後 5:58 [ 相子 ]
相子さん、確かに運がよかったと言うべきでしょうか。中庭も案外きれいなので安心しました。余分な建物がなければもっとよかったのに、と思いますが仕方がありませんね。
青島から相子さんのブログにはまだアクセスできません。こちらのほうも解除してほしいですね。
2010/4/13(火) 午後 6:08
私は昭和13年に1小に入学、3年生の時新設校の3小に学区制により転入させられた生徒でした。3年間学んだ1小でしたがこんに立派な大規模なすばらしい学校は現在の日本でも見当たらないのではないでしょうか。こんな学校でまた素晴らしい先生の下で学んだ私は一生の思い出の宝として今も大事にしています。先の青島訪問時の時は中に入る事はもとより禁止(陸軍部隊の兵舎であった)運動場の端から垣間見る事しか出来ませんでした。クラスメートだったあい子さん、今回戦後1小に初めて見学できた最初の一人と成った事、ほんとに幸運でした。我々青島人の歴史に残る快挙でしたね。
2010/4/13(火) 午後 8:24 [ ターチャン ]
tadaoさん、1小の校舎をあらためて写真で見ると、その広大さと豪華さに目を見張る思いです。
思ったよりも大事に使われていたような状態なので救われました。担任の先生やクラスメートの顔が目に浮かんできます。私たちにとって、いつまでも忘れられない校舎です。
この歴史に残る小学校の建物を、再開発で破壊される前にぜひ大勢の人に見てほしいものです。
2010/4/13(火) 午後 9:15
1小の皆さんが羨ましい。どういう経緯で解禁になったんでしょうかね?2小はどうなるのか。あそこは海軍の部隊が入っていますよね。将来、解禁になった時は、ぜひ今回のような探訪をお願いします。
1小の校舎を私は外側から眺めた程度なので、規模の大きさに改めて感心しました。60年以上経ってもこれだけ立派に残っていたとは、、、
60年前と現在。中国風にアレンジされている部分もあるでしょうが、昭和の日本の香りがするようです。
2010/4/14(水) 午前 8:40 [ 直大 ]
直大さんの言われるとおり、一小の校舎は昭和の日本の香りがしますね。名言です。
思うに、あの辺一帯、武定路、甘粛路が再開発の計画に上り、一小も解体の対象になったのではないでしょうか。残念ですが早ければ年内にも解体工事が始まるのではないかと想像します。
2小方面は保存地域ですから当分解体もなく、海軍基地ですから撮影禁止は続くでしょう。
旧市街の再開発は続きます。青島のバブルが続く限り止まることはないでしょう。
昭和の日本の香り、残して欲しいですね。
2010/4/14(水) 午後 0:46
「戦後70年間、固く固く閉ざされた一小校門の中に、相子さんが日本人として初めて足を踏み入れることができた」そうですね! 相子さん、おめでとうございます。彼女の「相子老婆的山南海北的話」で報告されるでしょう。「青島満帆」さん、M田さん、良い所に案内してくれて有難うございました。
2010/4/14(水) 午後 10:07 [ はっさん ]
はっさん、お元気ですか。最近、中国から相子さんのブログにアクセスできないのです。相子さんのブログにももう報告されたと思っていました。当人より先に報告してしまって申し訳ありません。
私も足の具合がよくなくて出歩くことが少ないのですが、先日タクシーで偶然一小正門の前を通ったとき、校舎の中が空っぽなのに気が付いたのです。これはスクープだ、と直感しました。
相子さんはちょうどいいところへ青島へ来ましたね。
2010/4/14(水) 午後 10:27
第一小学校の写真有り難う画材ました。私は国民学校の1年から4年1学期まで学び遊んだ学校!薄れ行く記憶の中で涙が出るほど懐かしく拝見しました。2度青島には行きましたが、家はなく「熱河路18号」の標識と石塀が残っていただけもちろん学校は入れませんでした。
2010/5/28(金) 午後 3:49 [ セイコ ]
セイコさん、第一小学校の写真を懐かしくご覧いただいたとのこと、みなさんに喜んでいただけることが私にとってもこの上ない喜びです。どうぞこれからも青島においでください。旧市街のご案内はお任せください。
2010/5/28(金) 午後 5:17