青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

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青島神社考

青島神社考




イメージ 1

   ↑青島に上陸した水兵も、
    まずは神社参拝して武運長久を祈った(?)。
    写真は、奈良県の白水さん提供。




1914年、ドイツから青島の権益を受け継いだ日本は、

モルトケ山(現貯水山・日本名若鶴山)の中腹に青島神社を建造しました。

1918年着工、1919年10月竣工。

その広大な敷地は靖国神社のほぼ2倍といわれます。

遼寧路から大鳥居をくぐると緩やかな坂の長い参道があり

その先の広場からさらに長い階段を昇りつめたところに

小鳥居と神殿がありました。

百段以上ある階段のほかに、右のほうに細い山道があり、

その途中に小さい休憩所、

さらに登ったところに猿舎がある小動物園がありました。


桜の季節には参道の両側の桜並木が咲き誇り、

境内のいたるところに植えられた桜の樹の下での花見、

毎年春秋に行われる大祭のにぎわい。



そこはまさに私たち子供たちにとって、

自由に遊べる広場であり、公園であり、

天国のようなものでした。


日本国内には至る所に鎮守様があるように、

この荘厳な青島神社の存在は、在留邦人にとって

「ここは日本なのだ」と思わせるに十分な仕組みだったのです。

日本が手に入れた植民地に、いち早く神社を建造した意味が、

今鮮烈によみがえってきます。

1923年、日本の軍政から中国に返還されたとき、

日本居留民団や日本の小中学校の敷地と共に、

青島神社の敷地もまた日本の権益として確保されたのです。


イメージ 2

   ↑青島神社大祭。階段を上がるお神輿。


□   □   □   □   □

当時青島神社の宮司の子息だった

羊会会長の宮崎豊茂氏からいただいたメールによりますと、

青島神社の社格は「別格官幣社」、ご祭神は天照大神と明治天皇。

ご神体は「鏡」だったそうです。

お宮に奉仕する神官は内務省所属の公務員で、

宮崎氏の御父上も公務員の転勤として青島神社宮司に赴任したことになります。

神殿の周りには松が植えられ、

その松の緑を守るため一般の立ち入りは禁止され、

山全体が柵または鉄条網で仕切られ、

青島神社への出入り口は大鳥居のある表参道、

東側は黄台路につながる南門、

北側は吉林路に出る北門の3か所でした。

敷地としては妙心寺(吉林路と泰山路の角)の裏近くまであり、

そこにお稲荷さんがありました。

神官の身分は、宮司、禰宜、主典とあり、

武徳殿(階段下の広場の左側)のすぐそばに社宅がありました。


終戦になると、

できるだけ早く青島神社を閉じて

御神体を本宮にお返ししなければなりません。

居留民団の方がたと相談の結果、昭和20年(1945年)12月末、

引き揚げの順番を早めてもらって船に乗り、鹿児島港に上陸しました。

落ち着き先の山口県から父はすぐに上京し、

無事、明治神宮に御神体をお納めし、お役目を果たしました。

(以上、宮崎豊茂氏のメールから)


イメージ 3

   ↑青島神社小鳥居。


□   □   □   □   □


現在、旧青島神社は貯水山公園として整備され、

市民の憩いの場として日本統治時代以上のにぎわいを見せています。

1988年5月、私と姉は44年ぶりに青島の地を踏み、

真っ先に向かったのがここ青島神社でした。

階段の上のほうに一塊となって日向ぼっこをしていたお年寄りたちが、

懐かしげに声をかけてきました。

この辺に日本人が大勢住んでいたことをよく知っていました。

第一小学校も知っていました。

そのあと、私たちの住んでいた家などを回りましたが、

どこに行っても久しぶりの日本人の訪問に何のこだわりも見せず、

気持ちよく迎えてくれたのです。


最近出版された青島関係の書物の中に、

「青島神社は敗戦直後火が放たれ、市民たちの手によって打ち壊された」

などというあり得ない話が記されています。

これは10月10日の青島高女の火事を見誤った

誤報によるものと思われます。


青島日本中学校教諭・及川作松氏の記録「青島引き揚げ」の中に、

次のように書かれています。(青島中学25期生同窓会誌「魚山」)


「4月の14日、いよいよ引き揚げの日が来た。

許可されただけの荷物をトラックに積んで、

指定の集合場所である青島神社前の広場に集まった。

これがほとんど最後の船で、

あとしばらく間を置いて一回出るというのであったから、

帰る人々は多かった。

民団長も総領事もいっしょだった。

皆で青島神社に最後の参拝をし、

それぞれ係員の指示に従って班を編成した。」


つまり、青島神社の宮司は12月の引き揚げ船に乗るまで

神社内の社宅に居住し、

及川氏は翌年4月14日の船に乗る際に、

青島神社に最後の参拝をしたのです。

その間、青島神社が焼打ちに遭ったなどということは、

根も葉もないまったくの作り話であることがわかります。


ならば青島神社はいつ解体されたのでしょうか。

私は以前、神社の近くに住んでいたT君に聞いたことがあります。

彼は子供のころ(80年代初め)、神社内でよく遊んだそうですが、

神社の建物はまだ残っていて、倉庫などに使われていたそうです。

そして更に、彼のお父さんに聞いてもらったところ、

神社の大鳥居は解放後(1949年)早いうちに取り壊されたが、

桜並木や建物が完全に撤去されたのは70年代後半から80年代にかけて、

と話してくれました。


青島人の気質、北京や上海から遠く離れた地理的条件、

戦後も続いた中国全土の内戦とその後処理、

などの状況から考えても、

T君のお父さんの証言が妥当なところでしょう。


中国人を十把ひとからげにして、

「日本の神社は中国人の怨嗟の的であった。

だから、青島神社も敗戦後間もなく打ち壊された」

などと結論付けるのはあまりにも一面的で皮相な見方と言わざるを得ません。

日中関係史の研究の上からも「青島人の懐の深さ」について、

もっともっと相互検証が必要だ、と私は考えます。


イメージ 4

   ↑青島神社で我が家の記念写真。ここはまるで日本だ。

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閉じる コメント(6)

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青島神社の戦後史がよく分かりました。
確かに青島の中国人は、一時の熱狂で破壊するとか、時勢に便乗して自分の欲望を満たそうなんてケチなことはしませんでしたね。
戦後、中国の警察や軍部によって住まいを追い出された日本人はいましたが、それが周囲に波及して、一般民衆が我れも我れもと真似をして、日本人を家から追い出すようなことはしませんでした。
”分を心得えている”と言うか、秩序が保たれていました。
その民族性が、今でも世界各地で起こって、収拾がつかなくなっている国々とは違うところでしょうか。 削除

2010/7/17(土) 午後 0:07 [ 直大 ] 返信する

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戦前、青島に住んでいた日本人にとって青島神社は切っても切れない思い出のつまった場所の一つであると同時に、また今考えてみれば、精神的、道徳的、・・・・兎に角日本人としての心のより所としての役割りも神社が果してきたものと思います。現在建物その他すべて取り壊され市民の憩い場として公園化されているようですが、あの百段あまりの正面石段はそのまま残され利用されていることは、我々元在留日本人とって心温まる事柄の一つに違いありません。青島訪問時、訪問者は必ずと云ってよいほど訪れる場所の一つでもあります。

2010/7/17(土) 午後 4:09 [ ターチャン ] 返信する

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直大さん、貴重なご意見です。青島人を例にして、中国人という民族をもう一度しっかりと見つめなおすときがきましたね。いつまでもありきたりの観点でしかものを見ない人たちを正せるのはわれわれ昭和一桁世代でしょう。特に青島で少年時代を送ったわれわれが声を上げていくべきです。
今日は李さんの結婚式に招かれました。初対面の人たちと同じテーブルで何の違和感もなく過ごしました。アジアは一つです。

2010/7/17(土) 午後 10:13 bad**uan1*3 返信する

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tadaoさん、青島神社には思い出がいっぱい詰まっていますね。この青島神社を何のこだわりもなく、市民の憩いの場として活用しているのを見るとうれしくなります。今年は日本からのお客さんをたくさんご案内しました。私はまだ百段の階段を上がることはできませんが、そのうちにきっと自力で上がれるようにリハビリをがんばります。
みなさん、どうぞおいでください。

2010/7/17(土) 午後 10:25 bad**uan1*3 返信する

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思いがけず「青島神社」の画像を拝見し、三年前の旅を思い出しました。
今年93歳になる父は、かつて北支派遣で青島経由で北京に駐屯していました。
殆ど戦争体験を話すことは無かったのですが、喜寿を過ぎた辺りからぽつりぽつりと孫たちに話し始め、青島に行きたい…と話していました。
卒寿の祝いをかねて、訪れた町は自分の記憶にある町とは全く変わっていたのは当然ですが、それでも幾つかの「日本人」に関わる場所を訪ねることが出来ました。
この画像も、早速父に見せたいと思います。
ありがとうございました。 削除

2010/9/14(火) 午前 9:08 [ 林の子 ] 返信する

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林の子さん、お父さんのお役に立てて光栄です。
青島に関する記事は誰にも負けない自信があります。どうぞご家族共々、お父さんの思い出話に耳を傾けてあげてください。そしてこれからも青島訪問の旅においでください。お待ちしています。

2010/9/14(火) 午後 2:51 bad**uan1*3 返信する

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